緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

薬丸野太刀自顕流の演武

2011年08月29日 18時17分24秒 | 歴史
8月29日(月)   

 毎年恒例の内之浦のえっがね(伊勢海老)祭り、今年は昨日がその日で、鹿児島県肝付町内之浦漁港で伊勢海老漁の解禁をまって開催されます。今年は薬丸野太刀自顕流の演武が祭り会場へイベントとして披露されました。会場が地元だけに見物者へ演武の凄みも伝わってきました。


高山肝付道場の皆さんによる薬丸野太刀自顕流の演武


http://www.youtube.com/watch?v=xdKMpc13-E4
薬丸野太刀自顕流-1(内之浦えっがね祭り)

かっての薩摩藩の剣術と言えば、示現流と薬丸野太刀自顕流の二派が有ります。名前だけは昔から聴いておりましたが、聴いていたと言うより、どういう訳か両派に入門した訳でもありませんが、庭に埋め込んだ柱の側面を両手に握りしめた木刀で正面から打ち据える、これを数十回繰り返して気合いを入れる。受験勉強の合間に行った運動でも有りました。正当な剣術師範の元で基礎訓練を受けておれば半世紀は続いたでしょうが、いかんせん我流であればそれまでです。

http://www.youtube.com/watch?v=dHFrB06y7Go
薬丸野太刀自顕流-2(内之浦えっがね祭り)

時代も昭和三〇年代ですから示現流や薬丸野太刀自顕流二派の道場なども近くには無く、むしろ世の中は新しい社会へと向かう時代ですから、古式剣術とも言われる二派の剣法を目にする機会など希有で有りました。こうして内之浦漁港で薬丸野太刀自顕流の演武を眺めますと、司馬遼太郎の世界「この国のかたち」が浮かんできます。明治政府を切り開いた幕末から明治へかけての薩摩の若者達、薬丸野太刀自顕流を修行で身に付けていたと言います。

http://www.youtube.com/watch?v=90Mur9nCN6I
薬丸野太刀自顕流-3(内之浦えっがね祭り)

当日に配布を受けた資料によりますと、演武に出演された方々は、高山肝付道場の皆さん方と大分県高校生とで構成されております。昔通りの作法にのっとり観衆に剣法の技を披露されて、しばし見とれました。こうして六〇歳代半ばから訪問するようになりました大隅半島、さまざまな地域のイベントや祭りや旧跡が有るもので、時空を駆け巡る思いで地域社会の有り様を楽しんでおります。

http://www.youtube.com/watch?v=8xGwDhNrLiw
薬丸野太刀自顕流-4(内之浦えっがね祭り)

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