緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

志布志港湾の安全性

2010年09月25日 17時49分58秒 | 地域社会
9月25日(土) 

 昨日の「志布志港国際バルク戦略港湾フォーラウム」の続きを書いてみますと、まず、志布志港の安全性にどれ位の点数が付けられるのか、元船舶職員として筆者なりの採点法で考えてみます。手元に精密なデータがある訳でも有りませんので、内容は過去に志布志湾で見聞した事柄から入っていきます。

印象に残る場面、志布志湾の暴風雨時における安全性、筆者自身が志布志湾で確認しました海難事故が二件ありました。まず一件は、思い起こされるのは十数年前に志布志湾停泊中の北朝鮮船籍貨物船が暴風雨で沖合から大崎町柏原海岸の砂浜に乗り上げて動けなくなった海難事故です。幸いな事に船体は砂浜に乗り上げたままで横転も無くてスクリューも全体が確認できて重量トン数で三千噸ほどの小型に属する外航貨物船です。志布志港に何を積んできたのか、どうやら稻ワラで用途は家畜飼料か畜産資材なようでした。外航船として小型船に属したのが幸いしたか、死者は出なかった模様です。


撮影:2002.8.2

当時、自宅から時間を見つけては数回難破船見学に出かけました。それだけ救援策が遅れたのでしょう。当時も北朝鮮とは国交がなくて無事で合った乗組員も座礁した本船に止まったままです。不自由な生活を強いられてようで援助より監視されている雰囲気でした。その後、大型タグボートが沖合に到来して、半日以上かけて満潮時に本船を沖合へと砂浜から引っ張り出して行きました。船体に破損箇所が無くて、そのまま何処かの港へ曳航されていきましたが、その後、外航船として使い物になったか?不明です。スクリュー・シャフト・メインエンジンに損傷やひずみが生じなかったか、元船舶機関士の関心事でした。

次が写真にも掲載してますがパナマ船籍穀物運搬船の座礁事故です。
1.発生日時:平成14年7月25日21時43分(海上保安庁覚知)
2.発生場所:鹿児島県曽於郡大崎町菱田川沖合200m付近の海上
3.事故原因及び概要:パナマ船籍穀物運搬船が座礁(台風によるものであるかは海上保安庁で調査中)し、船体が二つに折れ、燃料油が流出し沿岸一帯に流れたもの。乗組員19人は、救命ボートで脱出したが、うねり等で救命ボートが本船に打ち付けられ大破したため、全員が海上に投げ出された。15名は海岸にたどり着き救助され、残りの4名は行方不明となっていたが4人の死亡が確認された。



4.座礁船
・船 名:穀物運搬船「コープベンチャー号」(総トン数:36,080t、積荷:トウモロコシ)
・船 籍:パナマ船籍 ・乗組員:19人(インド人4人、フィリピン人15人)
・搭載燃料:A重油65トン、C重油837トン(合計902トン)
5.被害状況
人的被害 死者4名 中等症3名 軽症12名
物的被害 穀物運搬船1隻(大破)、燃料油、積荷(トウモロコシ)の流出
油流出量 400~625klの模様。(海上保安庁情報)
http://www.fdma.go.jp/detail/174.html



海難事故と港湾の繋がりを一様に決めつける事は出来ませんが、志布志港湾に於いて台風時の対策として何らかの港湾施設が必要ではないか。港湾施設の専門家でもありませんのでこれ以上の言及は出来ませんが、戦略港湾とは掛かる事故が予防できる体勢が必要です。ニューヨーク湾沖合で仮泊アンカー中に一万噸の貨物船が突風でものの見事に沖合に流されて危うく大型タンカーにぶつかりそうになった体験を持ちます。危機脱出はメインエンジン暖機無しでのスタートエンジンでした。危機一髪でした。

志布志港の短所は台風に弱い事か?海底はどうやら砂地でアンカーが突風時には滑るのではないか?避難港には何らかの対策が必要です。船舶の専門家はこのあたりは先刻承知の事柄です。今更、素人が知ったかぶりで言う事柄でもありません。海難事故は天候不順を始めとして様々な要因が重なり船員には絶えず緊張感が求められる職場でもあります。

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