jurgen's Heurige Blog (ゆるげんのブログ)

I will, I will いっぱい足りないの切なくて
I feel, I feel いっぱい会いたいのボクだって

自分の世間体のために世間論をふりかざす

2010年11月08日 | 日記
中島義道さんの『人生を「半分」降りる』より。


「世間」という言葉を使う人は、
マジョリティの漠然とした「正しい」了解を武器に、
その真中に自分をおいて、
世間知らずの者や世間を無視する者の首根っこをつかまえてネチネチと攻撃してくる。

「そんな夢みたいなこといつまで言っているんだ!」
と怒鳴り、夢を希望を打ち砕くことにヤッキになる。

世間から痛い目に会わないように、
としかえしのつかない人生を歩まないようにと、
忠告しているはずなのだが、
その目的はいつしか忘れて、
自分が獲得できなかった目的物を上手く立ち回ってぶんどることを、
必死の思いで妨げようとする。

「世間の厳しさが今にわかるよ」
という言葉を絶えず吐いて、
世間の犠牲になった多くの悲惨なエピソードを加えて、
そんな「軽薄な人生」を送りよりもっと
「地に足のついた人生」を送ることをジュンジュンと説得する。

それでも自分の忠告に耳を貸さなかった人が、
数年後やはり夢打ち砕かれたことを知るとホッと安心し、
「世間の厳しさ」に対する確信はますます強まり、
次々に獲物を探してはその夢を砕いていく作業に専心するのです。

無慈悲な世間論者の中心に親がいる。
豊かな人生を送りたいのなら、
親の言うことを100%聞くことだけは避けねばならない。


親とは、子供たちが無事に人生を終えてくれることだけを願っている救いようのない人種。
英雄にならなくてもいい。
出世もそこそこでいい。
警察のごやっかいにならずに健康で、
きちんと定職について、
できれば結婚し家族をもってしわせに暮らしてくれればいい。
幸せに死んでくれればいい。
全世界の親の願い。

親の恩ではなく、
親とはなんと自分の子供に対して狭量であり勝手であるか。

「おまえのため」と思っていることの九割がそうではなく、
「自分のため」だということ。

私たちはどうなっても構わない。
お前のために言うのだよ。
仙人なんかにならずに人並みまっとうな暮らしをしておくれ!

「親心」という美名のもとに、
自分の納得のゆくように息子・娘を「つくりあげようとする」暴力。

親の暴力から逃れなさい。
そして自分のしたいことをしなさい。
そのかわりそれに対しては責任をもちなさい。

自分の人生からほとばしる何かをしたいとき、
いちばんの足かせになるのが親です。

親のいうことを聞き過ぎたら、
あるいはそれを尊重しすぎたら、
あなたは何もできませんよ。


自分のうちから湧き上がる何かをしたいのだったら、
親をも精神的に捨てる覚悟がないとできませんよ。



ブログのコメント欄でちらっと触れたことがあるけど、
以前に自分の長旅願望を親にちらっと漏らしたことがる。
親の反応は間髪入れず「定年になってからやれ!」だった。
一方的な物言いにかなりカチンときたのだが、
その後偶然に『人生を「半分」降りる』の上記部分を読んだおかげで、
「定年になってからやれ!」と言った親の心理の正体がわかった。

セリフに世間というコトバは入っていないが、世間論がやはりベースになっている。
親がもっとも恐れていることは、オレが今すぐ会社を辞めることである。
オレを心配しているのではなく、親自身の世間体を心配しているのである。
もしそうなったとき、近所からどう見られるか?どう思われるか?
近所のヒソヒソ噂話や「白い目」が気になって仕方ないのだ。
「ご近所」という半径50メートル以内の狭くて近い「世間」の目をものすごく気にしているのだ。
「(お前の将来が心配だから)定年になってからやれ」
はあくまでもオモテ向きの意味で、本音は
「(ご近所から何を言われるかわかったもんじゃないから)定年になってからやれ」
なのだ。

ご近所にしろ世間にしろ、よその目を気にするということは、
自分の価値判断や行動の基準を自分自身にではなく、他人の目に置いてしまうことになってしまう。
他人にどう思われるか、どう見られるかによって自分の決断が左右されてしまう。
そうなると、自分の心と正直に向き合うどころか、
自分にウソをついてまで他人に合わせてしまうことになってしまう。
これでは今を生きているという実感、生命の実感など味わうことができない。
精神的充足など得られるワケがない!
偽りの人生になってしまう。
本末転倒である。
しかも、自分のためではなく、
親のエゴや「ええ格好しい」のために、
自分のやりたいことを犠牲にするなんて!
ふざけるな!
だんだん腹立ってきた!!

「世間体を大事にする・ご近所の目/評判を大切にする」

「自分と正直に向き合い自分の意思を貫くこと」
とは言い換えると、
「自分を犠牲」
vs
「自分を大切」
となる。
180度正反対の行動原理である。
両立・同時進行は絶対にありえないのだ。

世間体やご近所の目を気にしていたらいつまでたっても、
自分と正直に向かい合うことができないし、
「自分にとって一番重要なものは何か」
「自分にとって一番の幸せとは何か」
といった本質的なことを考えることすらできなくなってしまう。


親は「自分のため・自分の世間体のため」に、世間論を振りかざす。
親のいうことを聞き過ぎたら、何もできない。
豊かな人生を送りたいのなら、親の言うことを100%聞くことだけは避けねばならない。



肝に命じます。。はい。