∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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C-4 >女鳥羽山 道樹院 玄向寺

2006-09-11 17:58:27 | C-4 >松本沼津水野



女鳥羽山 道樹院 玄向寺
   長野県松本市大村681 Visit :2006-08-11 10:50


§玄向寺の沿革
永禄四年(1561)、長譽光和尚が開基し「帰命山念佛寺」と称し、後に「光寺」と改称した。
 寛永十九年(1642)七月二十八日、水野忠重の四男隼人正忠が、三河国吉田から二万五千石を加増され、七万石で信州松本城に移封された。正保四年(1647)五月二十八日、六十六歳で卒す。法名は郭譽全忠眞珠院と号し小石川の傳通院山内の真珠院(*1)に葬られる。
二代出羽守忠職(ただもと)は、墓所を領地の松本に求めたいと考え、各地を訪ねた末、当大村の地を墓所に選定した。
 三代忠直は、当光寺の規模を改めて、父忠職の法名である道樹院殿信譽上昌玄向大居士から「道樹院殿上昌山玄向寺」とし、後に裏山の名前を採り山号を「女鳥羽山(めとばざん)」と改称した。なおこの山号については、水野氏の編纂した『信府統記』によると「上昌山」となっている。
 寛文九年(1669)、忠直は、当寺の東にある、女鳥羽の瀧の清流と日本アルプスを眺望する絶景の女鳥羽山麓に廟所を築き御霊屋を建立し、自ら朝廷に奏上し、大本山増上寺末となし、総本山は知恩院となった。廟所には、初代忠清夫妻、二代忠職夫妻、三代忠直夫妻、四代忠周(ただちか)夫妻、五代忠幹(ただもと)の九基の大五輪があり、廟所の入口には寛文九年(1669)銘の石の鳥居が現存する。廟所の裏に女鳥羽の瀧があり、本堂奥には御霊屋があり、ここには水野家歴代の位牌と、家康の生母傳通院(水野忠政の娘)の木像が安置されている。
 当寺は、初代から六代忠恒までの八十四年間に渡り、城主の尽力と保護により寺門隆興したが、水野家は六代忠恒が殿中松の廊下で刃傷に及んだことから松本水野藩はやむなく改易となった。
 しかしながら当家は、徳川家康の生母於大の方の出た外戚であることから、改めて、五千石の旗本から次第に取り立てられ、幕末には沼津六万石の大名となり、老中も輩出し幕末の政治に寄与した。
 当寺にはまた、北アルプス槍が岳の開山である播隆上人の遺物もあり、参道には六地蔵尊、松本三十三番観音像、百体観音像など多数の石仏が整然と並び、境内には四百有余年の松、杉、銀杏の三巨木があり、明治十八年(1885)には、戒譽隆説和尚が牡丹を植樹し、現在は百二十種、千二百株の牡丹園としても有名である。
また本町におかれた水野氏の菩提寺「華岳山宝松院春了寺」は地方の大寺で、水野家から百石の寺領を受けていたが、水野氏改易とともに廃され、廟所の寺玄向寺だけが残った。


§廟所復元改修
松本城主水野公廟所は、松本市特別史跡に指定されているが、これらは三百年以上も前に建立された墓石であり、周囲の大木の根が張ったり、また雪害等により五輪塔の基礎部分やそれを取り囲む玉垣の損傷が激しく、倒壊の危険があったことで、長年に渡り松本市に修復工事への支援を依頼してきたところ、平成十六年(2004)六月、同市から補助金の一部支給が決定したことで同十一月に漸く着工に至り、翌十七年(205)二月二十八日に工事は完了した。この工事では五輪塔を基礎から全てを取り外し、解体する大工事を行ったことで、五輪塔からは予想もされていなかった藩主と内室の遺骨が発見された。これまでは、玄向寺には三代忠直のみが葬られ、他の人達は江戸の菩提寺に葬られているものと考えられていたが、分骨とはいえ遺骨が発見されたことは、今まで形は五輪塔であるが遺骨が入っていないことから「供養塔」とされてきた伝承が覆された。今回遺骨が納められた墓であることが明らかにされ、歴史的にも大きく意味を変えたことに伴い、今後は専門家による研究が予定されている。


[註]
*1=正式には無量山 傳通院 寿経寺(むりょうざん・でんづういん・じゅきょうじ)、または小石川 伝通院ともいい、東京都文京区小石川3丁目の高台にある仏教浄土宗の寺。徳川将軍家の菩提寺。この無量山内に「無量山 真珠院」がある。




☆旅硯青鷺日記
 松本城を再訪した後、美ヶ原麓の西端にあたる当寺を訪ねました。庫裏をお訪ねし大黒様(坊守様?お庫裏さん?)に、訪問の主旨をお話ししましたところ、昨年行われた廟所復元改修工事についてお話し下さり、資料として「玄向寺報」を3部恵贈いただきました。その中から廟所工事に関する箇所を転載します。
 参道に戻り、坂道を辿って鳥居を潜り、廟所にお参りしました。九つの五輪塔には、それぞれお花が供えられ、掃き清められておりました。
 石段を下りると前方に日本アルプスが望まれ、二代出羽守忠職がこの地を墓所と決めたことに納得がいきました。


小河水野系圖http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/694986f5283c9212e7114538de019f95






















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