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西源寺
愛知県名古屋市西区枇杷島1丁目15-20 Visit :2006-04-17 16:00
◎由緒
本尊阿弥陀仏
寛永三年(1626)、空念寺(三重県桑名市多度町柚井1395)の僧祐信、もしくは松翁という人によって開基されたと伝えられるが詳細については未詳。
◎寛政九年(1797) 第十代水野太郎左衛門正和作 喚鐘
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銘 曰
鑄 造 銅 鐘 一 口
重 六 十 六 斤 四
両 喜 捨 在 春 日
井 郡 東 琵 琶 島
西 源 寺 子 孫
永 保 用 者
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我 家 浄 土 一 向 之 教
爲 檀 越 于 本 寺 者 於
今 五 世 慈 住 持 上 人 嶺 山
□ □ 鐘 破 裂 謀 重 新
之 困 納 此 鐘 豈 啻 報 佛
恩 重 法 儀 乃 所 以 共 承
家 訓 而 敬 奉 上 令 也
寛 政 九 年 丁 巳 閏 七 月
加 藤 俊 方 識
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鑄 工 水 野 太 郎 左 衛 門
藤 原 政 和
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☆旅硯青鷺日記
当山は、浄土真宗本願寺派の寺であり、写真のごとく堂宇上手に親鸞上人の銅像が建立されている。坊守さんのお話によれば、第二次世界大戦に伴い梵鐘は供出され、鐘楼跡は無縁墓地と化しているが、幸いにして喚鐘の供出は免れたと聞かれる。喚鐘の写真に対してはご快諾を戴いて撮影したが、上記二面の「池の間」の外に、もう一面にも八十文字程度の銘文が陰刻されていたが、脚立が使えず縁側から喚鐘に向けて撮ったことから、写真を拡大したものの残念なことに、不鮮明で判読できなかった。しかし、名古屋市博物館部門展「尾張の鋳物師」の資料に銘文が掲載されていたことから、それを引用させていただき追記しました。
当寺前の道は、東海道の熱田宿から中仙道の垂井宿に至る美濃路であり、西に行くと、直ぐに庄内川左岸に出、かつては案内板の右手上流に写真の木橋が架けられていた。東に向かうと、数十年前までは名古屋の台所として青果物の市で賑わっていた所を通り、それに続く通称八坂通を経由し名古屋城西口に至り、正門前から南に折れると熱田の宮宿に続く東海道の脇街道であった。この街道は、織田信長が今川義元を迎え撃つため、清洲城から桶狭間に向かった街道でもあり、また徳川家康が関ケ原の戦いに勝利した後、凱旋した「吉例街道」としても知られている。
水野太郎左衛門系譜 http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/42f77dfdd91dfcd69ef3357f3d0bfd06
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