●江戸幕府幕閣・幕臣水野氏在職表[第2版]1/3
1.本表は、『江戸幕府役職集成』(増補版)笹間良彦著 雄山閣出版社 1981.05 、『幕府奏者番と情報管理』国文学研究資料著 名著出版 2003.03 、 『江戸幕府旗本人名辞典 第3巻』小川恭一/編 原書房 1989.10などをもとに、「水野氏」のみを抜粋し作成した。
2.今般、幕閣幕臣水野氏名を年代順に表に記したことにより、「水野氏」が如何に長期に渡り幕閣および幕臣の中核をなし、忠勤に励んでいたかが判る。
因みに、在任期間の累計は、老中51年間、側用人9年間、若年寄59年間、奏者番131年間となり、江戸幕府260年間の半分の期間に渡って幕政に参画していた。
3.人名の下の年号は就任と退官年。
4.別掲載の「 R-2>江戸幕府幕閣・幕臣水野氏在職年表」と併せて御覧下さい。
▼老中の一覧表
水野和泉守忠之(ただゆき)――三河岡崎藩主三万五千石後四万五千石
享保2年(1717)
享保15年(1730)
水野出羽守忠友(ただとも)――老中格 駿河沼津藩主二万石後三万石
天明1年(1781)
天明5年(1785)
水野出羽守忠友(再任)
天明5年(1785)
天明8年(1788)
水野出羽守忠成(ただあきら) ――駿河沼津藩主三万石後五万石
文化14年(1817)
文政1年(1818)
水野出羽守忠成(再任)
文政1年(1818)
天保5年(1834)
水野越前守忠邦(ただくに)――遠州浜松藩主四万五千石後五万五千石
天保5(1834)
天保14(1843)
水野越前守忠邦(再任)
弘化1年(1844)
弘化1年(1844)
水野和泉守忠精(ただきよ)――出羽山形藩主三万五千石
文久2年(1862)
慶応2年(1866)
水野出羽守忠誠(ただのぶ)――駿河沼津藩主五万石
慶応2年(1866)
慶応2年(1866)
▼側用人の一覧表
水野出羽守忠友(ただとも)――駿河沼津藩主二万石
安永6年(1777)
天明1年(1781)
水野出雲守忠成(ただあきら)――駿河沼津藩主三万石
文化9年(1812)
文化14年(1817)
▼若年寄の一覧表
水野監物忠之(ただゆき)――三河岡崎藩主三万五千石後四万五千石
正徳1年(1711)
正徳4年(1714)
水野壱岐守忠定――信濃五千石後北条に転封一万二千石
延享2年(1717)
延享5年(1720)
水野壱岐守忠見(ただちか)――北条陣屋一万二千石後一万五千石
宝暦10年(1760)
安永4年(1775)
水野豊後守忠友(ただとも)――駿河沼津藩主二万石
明和4年(1767)
安永6年(1777)
水野出羽守忠成(ただあきら)――駿河沼津藩主三万石
文化3年(1806)
文化9年(1812)
水野壱岐守忠韶(ただてる)――北条陣屋一万五千石後鶴牧へ移封
文化5年(1808)
文政11年(1828)
水野左近将監忠精(ただきよ)――出羽山形藩主五万石
万延1年(1860)
文久2年(1862)
▼奏者番の一覧表
水野隼人正忠(ただきよ)――信州松本藩主七万石
慶長7年(1602)
元和1年(1615)
水野石見守長勝(ながかつ)――武蔵男衾の内八百石後大和國宇智・葛下・式下の内二千石加増(伏見常番兼帯)
慶長7年(1602)
慶長14年(1609)
水野備後守元綱(もとつな)――三河新城藩主一万三千石後上野安中二万石
寛永9年(1632)
万治2年(1659)
水野右衛門大夫忠春(ただはる)(寺社奉行兼帯)――三河岡崎藩主三万石
天和1年(1681)
貞亨2年(1685)
水野監物忠之(ただゆき)――三河岡崎藩主三万五千石後四万五千石
宝永2年(1705)
正徳1年(1711)
水野肥前守忠見(ただちか)(宝暦7年11月25日壹岐守)――北条陣屋一万五千石
宝暦7年(1757)
宝暦8年(1758)
水野壹岐守忠韶(ただてる)――上総鶴牧藩主一万五千石
天明7年(1787)
文化五年(1808)
水野出羽守忠成(ただあきら)(寺社奉行兼帯)――駿河沼津藩主三万石
享和二年(1802)
文化3年(1806)
水野左近将監忠邦(ただくに)(寺社奉行兼帯)――遠州浜松藩主四万五千石
文化12年(1815)
文政8年(1825)
水野壹岐守忠実(ただみつ)――上総鶴牧藩主一万五千石
文政12年(1829)
天保10年(1839)
水野壹岐守忠順(ただより)――上総鶴牧藩主一万五千石
嘉永1年(1848)
文久2年(1862)
水野大監物忠精(ただきよ)(寺社奉行兼務帯)――出羽山形藩主五万石
嘉永6年(1853)
万延1年(1860)
水野河内守忠寛(ただひろ)――駿河沼津藩主五万石
安政5年(1858)
安政6年(1859)
水野出羽守忠誠(ただのぶ)(寺社奉行兼帯)――駿河沼津藩主五万石
文久3年(1863)
元治1年(1864)
水野肥前守忠順(ただより)(再任)――上総鶴牧藩主一万五千石
文久3年(1863)
明治1年(1868)
▼寺社奉行の一覧表
水野右衛門大夫忠春(ただはる)――三河岡崎藩主三万石
天和1年(1681)
貞亨2年(1685)
水野出羽守忠成(ただあきら)――駿河沼津藩主三万石
享和3年(1803)
文化3年(1806)
水野左近将監忠邦(ただくに)――遠州浜松藩主四万五千石
文化14年(1817)
文政8年(1825)
水野左近将監忠精(ただきよ)――出羽山形藩主五万石
安政5年(1858)
万延1年(1860)
水野出羽守忠誠(ただのぶ)――駿河沼津藩主五万石
文久3年(1863)
元治1年(1864)
▼京都所司代の一覧表
水野和泉守忠之(ただゆき)――三河岡崎藩主三万五千石
正徳4年(1714)
享保2年(1717)
水野左近将監忠邦(ただくに)――遠州浜松藩主四万五千石
文政9年(1826)
文政11年(1828)
▼大阪城代の一覧表
水野出羽守忠職(ただとも)――松本藩主七万石
承応3年(1654)
明暦2年(1656)
水野出羽守忠職(再任)
万治2年(1659)
万治3年(1660)
水野右衛門太夫忠春(ただはる)――三河岡崎藩主三万石
貞享1年(1684)
貞享1年(1684)
水野左近将監忠邦(ただくに)――遠州浜松四万五千石
文政8年(1825)
文政9年(1826)
▼大目付の一覧表
水野河内守守信(もりのぶ)――旗本三千五百石後五千石(常滑水野監物守隆の子)
寛永9年(1632)
寛永13年(1636)
水野伊豆守守政(もりまさ)――旗本五千七百石(守信養子)
貞享2年(1685)
貞享4年(1687)
水野対馬守忠伸(ただのぶ) ――旗本(水野重矩の男因幡守忠順の養子)
延享1年(1744)
延享4年(1747)
水野若狭守忠通(ただゆき)――旗本千二百石(水野勝成四男勝忠の嫡男勝岑の曾孫)
文化7年(1810)
文政6年(1823)
▼町奉行の一覧表
[南町]
水野備前守勝彦(かつよし)――旗本(勝成四男勝忠の二男勝直の三男)
天文4年(1739)
天文5年(1740)
▼勘定奉行の一覧表
水野若狭守重格(しげのり・しげただ)――旗本近江佐野郡の内千六百石(後因幡守忠順)下総守定勝二男
正徳2年(1712)
享保4年(1719)
水野小左衛門信房(のぶふさ)――旗本平三郎信遙の孫
正徳3年(1713)
享保8年(1723)
水野対馬守忠伸(ただのぶ)――旗本因幡守忠順の養子
元文3年(1738)
延享元年(1744)
水野若狭守忠通(ただゆき)――旗本(勝成四男勝忠の嫡男勝岑の曾孫)
文化3年(1806)
文化7年(1810)
水野筑後守忠徳(ただのり)――旗本水野忠長の養嗣子
安政1年(1854)
安政2年(1855)
▼外国奉行の一覧表
水野筑後守忠徳(ただのり)――旗本水野忠長の養嗣子
安政5年(1858)
安政6年(1859)
水野筑後守忠徳(再任)
文久1年(1861)
文久2年(1862)
▼軍艦奉行の一覧表
水野筑後守忠徳(ただのり)――旗本水野忠長の養嗣子
安政6年(1859)
安政6年(1859)
▼神奈川奉行の一覧表
水野筑後守忠徳(ただのり)――旗本水野忠長の養嗣子
安政6年(1859)
安政6年(1859)
▼伏見奉行の一覧表
水野石見守忠貞(たださだ)――旗本(新宮水野重仲の二男定勝の嫡男忠矩の五代)
正保4年(1647)
寛文9年(1669)
▼京都町奉行の一覧表
[東町奉行]
水野伊勢守忠全(ただまさ)――旗本(生没年未詳。幕臣、安政六年(1859)九月京都東奉行に就任・同年十一月作事奉行に転任。京都には着任せず。『京都市姓氏人物歴史大事典』)
安政6年(1859)
安政6年(1859)
[西町奉行]
水野備前守勝直(かつなお)――旗本(水野勝成の六男勝忠の二男)
元禄9年(1696)
元禄12年(1699)
水野下総守重明(しげあき)――旗本(貧窮者の救済など米価高騰対策を実施。在任中に没す。『京都市姓氏歴史人物大辞典』)
弘化3年(1846)
嘉永5年(1852)
▼大坂町奉行の一覧表
[東町奉行]
水野若狭守忠通(ただゆき)――旗本千二百石(水野勝成四男勝忠の嫡男勝岑の曾孫)
寛政10年(1798)
享和3年(1803)
水野若狭守道一(みちかず)――(未詳)
天保13年(1742)
弘化4年(1747)
[西町奉行]
水野因幡守正篤(まさひろ)――(未詳)
文化10年(1813)
文化12年(1815)
▼長崎奉行の一覧表
水野河内守守信(もりのぶ)――旗本三千五百石後五千石(常滑水野監物守隆の子)
寛永3年(1626)
寛永6年(1629)
水野要人忠通(ただゆき)――旗本(勝成四男勝忠の嫡男勝岑の曾孫)
天明6年(1788)
寛政4年(1792)
水野筑後守忠篤(ただあつ後の忠徳)――旗本水野忠長の養嗣子
嘉永6年(1853)
安政元年(1854)
水野筑後守忠篤(ただあつ後の忠徳) (再任)
安政4年(1857)
安政4年(1857)
▼山田奉行の一覧表
水野甲斐守忠福(ただよし)――旗本(忠近二男義忠の曾孫忠欽の男)
寛延4年(1751)
宝暦11年(1761)
▼日光奉行の一覧表
水野備前守勝彦(かつよし)――旗本(勝成四男勝忠の二男勝直の三男)
享保17年(1732)
享保20年(1735)
水野備前守勝羨(かつなが)――旗本千石(勝成四男勝忠の二男勝直の曾孫)
天明4年(1784)
寛政元年(1789)
水野忠道(ただみち)――(未詳)
寛政8年(1796)
寛政10年(1798)
▼堺奉行の一覧表
水野河内守守信(もりのぶ)――旗本三千五百石後五千石(常滑水野監物守隆の子)
寛永6年(1629)
寛永9年(1632)
水野籐右衛門信之(のぶゆき)――旗本(納戸頭から堺奉行へ 210石457合)
文政6年(1823)
文政12年(1829)
▼箱館奉行の一覧表
水野筑後守忠徳(ただのり)――旗本水野忠長の養嗣子
文久2年(1862)
文久2年(1862)
R-4>江戸幕府幕閣・幕臣水野氏在職表[第2版]2/3
R-4>江戸幕府幕閣・幕臣水野氏在職表[第2版]3/3
つづく
1.本表は、『江戸幕府役職集成』(増補版)笹間良彦著 雄山閣出版社 1981.05 、『幕府奏者番と情報管理』国文学研究資料著 名著出版 2003.03 、 『江戸幕府旗本人名辞典 第3巻』小川恭一/編 原書房 1989.10などをもとに、「水野氏」のみを抜粋し作成した。
2.今般、幕閣幕臣水野氏名を年代順に表に記したことにより、「水野氏」が如何に長期に渡り幕閣および幕臣の中核をなし、忠勤に励んでいたかが判る。
因みに、在任期間の累計は、老中51年間、側用人9年間、若年寄59年間、奏者番131年間となり、江戸幕府260年間の半分の期間に渡って幕政に参画していた。
3.人名の下の年号は就任と退官年。
4.別掲載の「 R-2>江戸幕府幕閣・幕臣水野氏在職年表」と併せて御覧下さい。
▼老中の一覧表
水野和泉守忠之(ただゆき)――三河岡崎藩主三万五千石後四万五千石
享保2年(1717)
享保15年(1730)
水野出羽守忠友(ただとも)――老中格 駿河沼津藩主二万石後三万石
天明1年(1781)
天明5年(1785)
水野出羽守忠友(再任)
天明5年(1785)
天明8年(1788)
水野出羽守忠成(ただあきら) ――駿河沼津藩主三万石後五万石
文化14年(1817)
文政1年(1818)
水野出羽守忠成(再任)
文政1年(1818)
天保5年(1834)
水野越前守忠邦(ただくに)――遠州浜松藩主四万五千石後五万五千石
天保5(1834)
天保14(1843)
水野越前守忠邦(再任)
弘化1年(1844)
弘化1年(1844)
水野和泉守忠精(ただきよ)――出羽山形藩主三万五千石
文久2年(1862)
慶応2年(1866)
水野出羽守忠誠(ただのぶ)――駿河沼津藩主五万石
慶応2年(1866)
慶応2年(1866)
▼側用人の一覧表
水野出羽守忠友(ただとも)――駿河沼津藩主二万石
安永6年(1777)
天明1年(1781)
水野出雲守忠成(ただあきら)――駿河沼津藩主三万石
文化9年(1812)
文化14年(1817)
▼若年寄の一覧表
水野監物忠之(ただゆき)――三河岡崎藩主三万五千石後四万五千石
正徳1年(1711)
正徳4年(1714)
水野壱岐守忠定――信濃五千石後北条に転封一万二千石
延享2年(1717)
延享5年(1720)
水野壱岐守忠見(ただちか)――北条陣屋一万二千石後一万五千石
宝暦10年(1760)
安永4年(1775)
水野豊後守忠友(ただとも)――駿河沼津藩主二万石
明和4年(1767)
安永6年(1777)
水野出羽守忠成(ただあきら)――駿河沼津藩主三万石
文化3年(1806)
文化9年(1812)
水野壱岐守忠韶(ただてる)――北条陣屋一万五千石後鶴牧へ移封
文化5年(1808)
文政11年(1828)
水野左近将監忠精(ただきよ)――出羽山形藩主五万石
万延1年(1860)
文久2年(1862)
▼奏者番の一覧表
水野隼人正忠(ただきよ)――信州松本藩主七万石
慶長7年(1602)
元和1年(1615)
水野石見守長勝(ながかつ)――武蔵男衾の内八百石後大和國宇智・葛下・式下の内二千石加増(伏見常番兼帯)
慶長7年(1602)
慶長14年(1609)
水野備後守元綱(もとつな)――三河新城藩主一万三千石後上野安中二万石
寛永9年(1632)
万治2年(1659)
水野右衛門大夫忠春(ただはる)(寺社奉行兼帯)――三河岡崎藩主三万石
天和1年(1681)
貞亨2年(1685)
水野監物忠之(ただゆき)――三河岡崎藩主三万五千石後四万五千石
宝永2年(1705)
正徳1年(1711)
水野肥前守忠見(ただちか)(宝暦7年11月25日壹岐守)――北条陣屋一万五千石
宝暦7年(1757)
宝暦8年(1758)
水野壹岐守忠韶(ただてる)――上総鶴牧藩主一万五千石
天明7年(1787)
文化五年(1808)
水野出羽守忠成(ただあきら)(寺社奉行兼帯)――駿河沼津藩主三万石
享和二年(1802)
文化3年(1806)
水野左近将監忠邦(ただくに)(寺社奉行兼帯)――遠州浜松藩主四万五千石
文化12年(1815)
文政8年(1825)
水野壹岐守忠実(ただみつ)――上総鶴牧藩主一万五千石
文政12年(1829)
天保10年(1839)
水野壹岐守忠順(ただより)――上総鶴牧藩主一万五千石
嘉永1年(1848)
文久2年(1862)
水野大監物忠精(ただきよ)(寺社奉行兼務帯)――出羽山形藩主五万石
嘉永6年(1853)
万延1年(1860)
水野河内守忠寛(ただひろ)――駿河沼津藩主五万石
安政5年(1858)
安政6年(1859)
水野出羽守忠誠(ただのぶ)(寺社奉行兼帯)――駿河沼津藩主五万石
文久3年(1863)
元治1年(1864)
水野肥前守忠順(ただより)(再任)――上総鶴牧藩主一万五千石
文久3年(1863)
明治1年(1868)
▼寺社奉行の一覧表
水野右衛門大夫忠春(ただはる)――三河岡崎藩主三万石
天和1年(1681)
貞亨2年(1685)
水野出羽守忠成(ただあきら)――駿河沼津藩主三万石
享和3年(1803)
文化3年(1806)
水野左近将監忠邦(ただくに)――遠州浜松藩主四万五千石
文化14年(1817)
文政8年(1825)
水野左近将監忠精(ただきよ)――出羽山形藩主五万石
安政5年(1858)
万延1年(1860)
水野出羽守忠誠(ただのぶ)――駿河沼津藩主五万石
文久3年(1863)
元治1年(1864)
▼京都所司代の一覧表
水野和泉守忠之(ただゆき)――三河岡崎藩主三万五千石
正徳4年(1714)
享保2年(1717)
水野左近将監忠邦(ただくに)――遠州浜松藩主四万五千石
文政9年(1826)
文政11年(1828)
▼大阪城代の一覧表
水野出羽守忠職(ただとも)――松本藩主七万石
承応3年(1654)
明暦2年(1656)
水野出羽守忠職(再任)
万治2年(1659)
万治3年(1660)
水野右衛門太夫忠春(ただはる)――三河岡崎藩主三万石
貞享1年(1684)
貞享1年(1684)
水野左近将監忠邦(ただくに)――遠州浜松四万五千石
文政8年(1825)
文政9年(1826)
▼大目付の一覧表
水野河内守守信(もりのぶ)――旗本三千五百石後五千石(常滑水野監物守隆の子)
寛永9年(1632)
寛永13年(1636)
水野伊豆守守政(もりまさ)――旗本五千七百石(守信養子)
貞享2年(1685)
貞享4年(1687)
水野対馬守忠伸(ただのぶ) ――旗本(水野重矩の男因幡守忠順の養子)
延享1年(1744)
延享4年(1747)
水野若狭守忠通(ただゆき)――旗本千二百石(水野勝成四男勝忠の嫡男勝岑の曾孫)
文化7年(1810)
文政6年(1823)
▼町奉行の一覧表
[南町]
水野備前守勝彦(かつよし)――旗本(勝成四男勝忠の二男勝直の三男)
天文4年(1739)
天文5年(1740)
▼勘定奉行の一覧表
水野若狭守重格(しげのり・しげただ)――旗本近江佐野郡の内千六百石(後因幡守忠順)下総守定勝二男
正徳2年(1712)
享保4年(1719)
水野小左衛門信房(のぶふさ)――旗本平三郎信遙の孫
正徳3年(1713)
享保8年(1723)
水野対馬守忠伸(ただのぶ)――旗本因幡守忠順の養子
元文3年(1738)
延享元年(1744)
水野若狭守忠通(ただゆき)――旗本(勝成四男勝忠の嫡男勝岑の曾孫)
文化3年(1806)
文化7年(1810)
水野筑後守忠徳(ただのり)――旗本水野忠長の養嗣子
安政1年(1854)
安政2年(1855)
▼外国奉行の一覧表
水野筑後守忠徳(ただのり)――旗本水野忠長の養嗣子
安政5年(1858)
安政6年(1859)
水野筑後守忠徳(再任)
文久1年(1861)
文久2年(1862)
▼軍艦奉行の一覧表
水野筑後守忠徳(ただのり)――旗本水野忠長の養嗣子
安政6年(1859)
安政6年(1859)
▼神奈川奉行の一覧表
水野筑後守忠徳(ただのり)――旗本水野忠長の養嗣子
安政6年(1859)
安政6年(1859)
▼伏見奉行の一覧表
水野石見守忠貞(たださだ)――旗本(新宮水野重仲の二男定勝の嫡男忠矩の五代)
正保4年(1647)
寛文9年(1669)
▼京都町奉行の一覧表
[東町奉行]
水野伊勢守忠全(ただまさ)――旗本(生没年未詳。幕臣、安政六年(1859)九月京都東奉行に就任・同年十一月作事奉行に転任。京都には着任せず。『京都市姓氏人物歴史大事典』)
安政6年(1859)
安政6年(1859)
[西町奉行]
水野備前守勝直(かつなお)――旗本(水野勝成の六男勝忠の二男)
元禄9年(1696)
元禄12年(1699)
水野下総守重明(しげあき)――旗本(貧窮者の救済など米価高騰対策を実施。在任中に没す。『京都市姓氏歴史人物大辞典』)
弘化3年(1846)
嘉永5年(1852)
▼大坂町奉行の一覧表
[東町奉行]
水野若狭守忠通(ただゆき)――旗本千二百石(水野勝成四男勝忠の嫡男勝岑の曾孫)
寛政10年(1798)
享和3年(1803)
水野若狭守道一(みちかず)――(未詳)
天保13年(1742)
弘化4年(1747)
[西町奉行]
水野因幡守正篤(まさひろ)――(未詳)
文化10年(1813)
文化12年(1815)
▼長崎奉行の一覧表
水野河内守守信(もりのぶ)――旗本三千五百石後五千石(常滑水野監物守隆の子)
寛永3年(1626)
寛永6年(1629)
水野要人忠通(ただゆき)――旗本(勝成四男勝忠の嫡男勝岑の曾孫)
天明6年(1788)
寛政4年(1792)
水野筑後守忠篤(ただあつ後の忠徳)――旗本水野忠長の養嗣子
嘉永6年(1853)
安政元年(1854)
水野筑後守忠篤(ただあつ後の忠徳) (再任)
安政4年(1857)
安政4年(1857)
▼山田奉行の一覧表
水野甲斐守忠福(ただよし)――旗本(忠近二男義忠の曾孫忠欽の男)
寛延4年(1751)
宝暦11年(1761)
▼日光奉行の一覧表
水野備前守勝彦(かつよし)――旗本(勝成四男勝忠の二男勝直の三男)
享保17年(1732)
享保20年(1735)
水野備前守勝羨(かつなが)――旗本千石(勝成四男勝忠の二男勝直の曾孫)
天明4年(1784)
寛政元年(1789)
水野忠道(ただみち)――(未詳)
寛政8年(1796)
寛政10年(1798)
▼堺奉行の一覧表
水野河内守守信(もりのぶ)――旗本三千五百石後五千石(常滑水野監物守隆の子)
寛永6年(1629)
寛永9年(1632)
水野籐右衛門信之(のぶゆき)――旗本(納戸頭から堺奉行へ 210石457合)
文政6年(1823)
文政12年(1829)
▼箱館奉行の一覧表
水野筑後守忠徳(ただのり)――旗本水野忠長の養嗣子
文久2年(1862)
文久2年(1862)
R-4>江戸幕府幕閣・幕臣水野氏在職表[第2版]2/3
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つづく