“元” 日立市立塙山小学校 大地の会 会長日記

“元”おやじの会会長が勝手に綴る日々のたわごと集 塙山以外のみんなもあつまれ~ヽ(^o^)丿

諏訪の水穴

2010年01月28日 | 郷土ひたち
諏訪梅林から県道37号日立常陸太田線を太田方面に2キロほど行ったところに天然記念物『諏訪の水穴』があります。



根っからの日立人であれば場所も名前も知ってて当たり前の史跡でしようが、前述の通り、“移民”である私には手探りの史跡であります。(;^_^A


事実、諏訪の水穴を目指して行ったのですが、その場所にたどり着く前に、看板を読み違え、どんどん山奥へ進んでしまい、気が付けば、かみすわ山荘まで行ってしまいました。(;^_^A



来た道を戻り、県道37号線を太田方面に行くとほどなく、右側に画像の石碑が現れました。



そして、鮎川の対岸にぽっかりと空いた“穴”・・・そうこれが『諏訪の水穴』です。







この水穴が空いている岩山はこの地域特有の石灰岩で、穴は長い時間をかけ雨水や地下水により浸食されできたと思われます。






いまでも穴からは清水が流れ出ており、鮎川に注いでいます。







近づいて見ましたが、なんとも神秘的な感じが・・・







事実、この水穴にはさまざまな伝説などがあるようです。



案内看板には



○諏訪の水穴(神仙洞)(しんせんどう)は、ここ諏訪町大平田(たいへいだ)にあり、普賢ヶ嶽(ふげんがだけ)の麓、緑豊かな木々に覆われた清水湧き出る鍾乳洞です。



この水穴には、遠い昔、信州(長野県)諏訪大社の御分霊をこの諏訪の地に祀られた神官万年太夫藤原高利夫妻が自分の木像を造り諏訪神社に納めて水穴に入り、再び帰らなかったという伝説があります。



また、水戸黄門徳川光圀公もこの水穴に入り洞(ほら)の狭くなった三の戸に「これより奥には入らぬように」と記されたとも伝えられています。



その後、水戸藩の学者や文人が訪れ、名勝として紹介してくれましたので、広く知られるようになりました。



ところが、戦後、下流に防災ダム






が設置され、水穴は、砂利で埋没し、30年もの間、昔の面影を失っておりました。



この間、地元の強い復元運動が起り、県や市並びに関係団体のご協力で、このたび、水穴は立派に昔の姿に甦りました。



この価値ある天然記念物、史跡名勝としての「諏訪の水穴」を大切に守っていくことは私たちの責務です。



水穴見学の際には、充分安全に注意し、汚したり、傷つけたりすることのないようお願いいたします。



と記されていました。



水穴を訪れたあと、諏訪小学校の保護者にこのことを話すと、諏訪小学校の子ども会では夏になると、子ども会育成会の指導のもと、この水穴に探検に入るとのことでした。



「夏になったらご案内しますので、是非、長靴を履いておいで下さい。」



と、お誘いをいただきました。



よっしゃ~*^-^*



私だけではもったいないので、来年の大地の会のイベントにして塙山の子どもたちも連れて来ちゃおっかな~ヽ(^o^)丿



なかなか身近で鍾乳洞体験なんて出来ないですものね~p(^ ^)q



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