アールグレイ日和

春畑 茜(短歌人+里俳句会)のつれづれ。
降っても晴れても、そこにサッカーはある。

「里」9月号、ほか

2006年09月18日 11時52分50秒 | 俳句
昨日、「里」(俳句同人誌)9月号が届いた。
上田信治さんの連載「成分表」の内容が興味深く、それからずっと気になっている。

昨日の毎日新聞・短歌時評(藤原龍一郎さん執筆)も読む。
「ヘボ筋にはまっている」という言葉が印象的だった。


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昨夜は川崎フロンターレvsジュビロ磐田をテレビで生観戦。
テレビの前で叫んだり拍手したり。
とにもかくにも雨中での接戦を制した。
まもなく39歳になるという中山隊長(ゴン)のゴールに
家中が泣いた・・・と、日記には書いておく。



夜中に放送されていたU-17日本代表vs北朝鮮代表の試合(アジアの決勝戦)をさきほど録画で見る。
マリノスの水沼監督の長男が活躍していた。
ほかにも綺羅星のような才能ある選手数人。
こういう若い選手がどんどん育っていくのを見るのも楽しいものだ。




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・これからと思ふ双手に秋のみづ  (春畑 茜)「里」9月号


『スサノオの泣き虫』(加藤英彦歌集)を読む

2006年09月17日 08時32分50秒 | 歌集・句集を読む
『スサノオの泣き虫』は加藤英彦さん(同人誌「Es」)の第一歌集。
歌歴の長い歌人で、あとがきによれば、第一歌集をと勧められてから二十年余りがすぎているそうだ。
この歌集には2000年以降の6年間の中から、371首が収録されている。

2006年9月9日、ながらみ書房発行。定価2835円(税込)。
装幀は花山周子さん。大胆で力づよい印象に仕上がっている。


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・どのような世界にゆける黙したるこの水道の蛇口のくらさ


あとがきの中に
「せめて、限りなく日常の事実性から遠ざかることで、一首を自在な空間へ解き放とうと思った。(中略)そう、まちがっても日常生起する事実の堆積こそが現実であるなどと思わないことだ。言葉は、発せられた途端にたちまち虚構の芽をふきだすのだから。しかし、改めて作品を読み返して、ぼくの短歌はそのいずれからも遠かったように思える。非才は非才なりに、もう一度自らの足場を見つめるしかない。そう思った」とある。


先に上げた一首と、このあとがきから抜き出した真摯な言葉、それが私にとってはこの歌集の一番の魅力であると感じられた。
この作者がもう一度自らの足場を見つめたとき、この『スサノオの泣き虫』からさらにどのような作品世界がひらかれてゆくのだろうか。
たのしみにしたいと思う。



・叶うはずない夢ばかり指さきで折りかえす銀色の鶴首

・疾駆することなく過ぎし四十年 列島は未明の雨にうるおう

・テロリストにはなりきれぬ男いてその朝をふかくふかく渇けり

・とりもどしたき千の夜 千の夢。火ねずみがぐいと井戸をこぎだす

・目ざめれば雪ふるごとし病床になにもなかったように陽ざしは

・遂げえざる思いひとつを沈めたる沼あり今宵は月があがらぬ

・千の記憶、万の季節を駈けて来しひ悍馬いななく夢の野におり

・若き日の記憶が甦(かえ)る あたたかき父よあなたの手紙がもえる

・消しゴムで消すわたくしをわたくしの影をわたしのなかのわたしを




この『スサノオの泣き虫』が多くの方々に読まれますように。





ダム湖に沈む場所

2006年09月15日 15時06分53秒 | 短歌あれこれ
この画像は徳山ダムのダム湖にいずれ沈む場所(2006年9月、家族が撮影)をのぞむ。
下流側から上流側を撮影。

画像ほぼ中央に揖斐川を渡る石橋があって、向かって左側の更地は中学校跡。
数年前わたしが訪れたとき(既にダム工事は始まっていた)には
たしか青い屋根の体育館が残っていた。

向かって右側には小学校(旧徳山小学校)の建物が残されている。
この建物はこのまま沈むことになったそうだ。
以前ここにあった徳山村は昭和62年3月に廃村となり、
同年4月に藤橋村に合併され、
平成17年1月31日町村合併により揖斐川町に編入された。

山のずっと向うを越えると福井県になる。



(徳山ダムのデータ)

・型式:中央土質遮水壁方ロックフィルダム

・高さ:161.0m

・総貯水容量:約660,000千㎥

・有効貯水容量:約380,400千㎥

ダムは治水、利水(水道用・工業用)、発電(徳山発電所)、かんがい用水の補給に働く。





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(けふの即詠/九月十五日)

・廃村の秋のそらゆく雲ひとつひとつに時は等しく過ぎむ  (春畑 茜)






『風に帰らむ』(原田千万歌集)を読む

2006年09月14日 18時09分59秒 | 歌集・句集を読む
『風に帰らむ』は原田千万さん(短歌人)の第二歌集。
2006年6月20日、邑書林発行。定価2600円(税込)。

黒を基調とした渋い(!)装訂は、俳人・島田牙城さん(邑書林)によるもの。
カバーを外すと黒地に背表紙の銀の文字だけ。もちろん栞ひとすじも黒である。
いかにも牙城さんらしいこだわりの本づくりだな、と思ったが、
ひょっとしたら原田さん自身のこだわりなのかもしれない。
随分前に出された第一歌集も黒が印象的な本だった。


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・〈なぜ生きる〉を〈いかに生きる〉に摩り替へて葡萄の粒を口に運びぬ

この一首に代表されるように、原田さんはこの歌集において
「生きる」ということにこだわり、
郷里である信州の地に根ざして、生活や家族の為に生きてゆく自分の姿を
半ば否定するかのように厳しく見つめ続けているように思える。
それは時に痛々しいまでに孤独で、苦悶の表情にさえ見えることもある。
しかし、いのちあるかぎり「今ここに生きる」ということの意味を問い続けるその姿勢は、今のこのような時代において、とても貴重なものに思えてくる。
原田千万さんは軽いノリでは人生を語らない。
「なぜ生きる」とは、魂のレベルでの問いかけであり、
「いかに生きる」という生活レベルでの問題とは、根本的に違うのだ。
ひとが生きてゆくために摩り替えなければならないもの、
そのほんとうのかなしみを歌うのが原田さんであり、
この歌集であるように私には思える。


・雪の野に立つ樹に死者はつどひきてゆふべしきりにわれを呼びゐる

・父は子に越えられてゆくものなるや 天の頂に雲雀鳴きゐる

・見えがたきもの視るためにまづ眼ふたつをしづかに洗ひゐる朝

・翼なきものをすなはちにんげんといふやふかぶかと空はありたり

・手のひらに天道虫をあそばせてかぎりなく英雄にとほきわれあり

・かたはらに眠る妻と子 それぞれに明日のかたちを調へてゐむ

・鎮めかねし怒りはつひに悲しみとなり風のなか羊歯は揺れをり

・いつさいを焼かねばいのち生(な)らざらむ春来たりなば野に火を放つ


ほかにも多くの秀歌がおさめられている。
多くの方々にぜひこの歌集を読んでいただきたいと思う。





小鳥のお土産とダムのこと

2006年09月14日 12時59分54秒 | つれづれ
画像は徳山ダム見学のお土産にもらった小鳥。
藤橋村の道の駅に売っていたそうだ。
中にマグネットが入っているので、冷蔵庫などにもくっつく。
背景はちび鯱(4歳)の手。


徳山ダム(揖斐川)はいよいよ9月25日より試験湛水がはじまるそうだ。
何年か前にダムの湖水に沈む場所を訪れたことがあったけれど、
あの風景は今はもうほとんどが消えてしまったそうだ。




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昨日覚えた言葉:
・リップラップ(riprap)・・・(基礎工事用の)捨石、砕石、割り砂利、捨石土台(基礎)。


徳山ダム等のロックフィルダムの斜面をおおっているのは、この「リップラップ」だそうだ。
中部地区では、九頭竜ダム(九頭竜川)、御母衣ダム(庄川)、味噌川ダム(木曽川)などもロックフィルダム。
表面の石の並び具合は石工さんたちの手作業によるという。