アールグレイ日和

春畑 茜(短歌人+里俳句会)のつれづれ。
降っても晴れても、そこにサッカーはある。

『眼鏡屋は夕ぐれのため』(佐藤弓生歌集)を読む

2006年12月08日 16時05分24秒 | 歌集・句集を読む
『眼鏡屋は夕ぐれのため』は佐藤弓生さん(かばん)の第二歌集。
平成十八年十月二十五日、角川書店発行(21世紀歌人シリーズ)。
定価1905円(税別)。

あたたかみのある綺麗な装丁の本で、
このような色合いを眺めていると
まだ自分が少女だった頃の、何かなつかしい時間へ戻ってゆくような気がしてしまう。



*

・眼鏡屋は夕ぐれのため千枚のレンズをみがく(わたしはここだ)

・水に降る雪のごとくにこなぐすりこころに受けてやがて忘れぬ

・通過・通過・通過電車が連れてくる春はるかなるみどりの火種

・雨はなぜしずくのかたちはらはらと春のあなたをうつくしくする

・ひどい雨 おおひどい雨 ましろなる瞑目をいま街はよろこぶ

・ふうらりと焼きたてパンの列につく明日という日もあるものとして

・ヘンゼルとグレーテルだね 段ボールだらけの春の闇にねむれば

・アッシジの聖者というは第三の性の声もつ者か小鳥よ

・敷石のあいだあいだのハルジョオンなにかがもっとよくなるように

・むらさきの雲が窓まで下りてきておそろし春の祭典おそろし

・ふれられぬはだれゆきふる城はありワインボトルのラベルの奥に

・窓を開け放てば冬がなだれきてわたしの耳は大空の耳



佐藤弓生さんの歌は、時に予言のようでもあり、また祈りのようでもある。
何かそのようなものを感じさせる作品に多く惹かれた。
歌集中に出てくる「わたし」はごくふつうの日常を生きるどこにでもありそうなヒトでしかないのだけれど、
つねに広い世界へ、宇宙へ、そしてそれを超える大きなものへ
つながっているように思える。
その広がりが佐藤弓生作品の魅力のひとつでもある。


・舌の上を詩篇ひとひら泳ぎだす未知の都のあかりの方へ

・真夜中の豆電球のこんこんとこの世の泉この世にひとり

・うつせみがきょうもたくさんハンガーにわたしを脱いだわたしを掛ける

・どんなにかさびしい白い指先で置きたまいしか地球に富士を

・吊革にあたまつければものすごい速さで離れゆくものばかり

・ゆっくりとミシンを漕げばゆっくりと銀のお告げが滴りおちる

・袖口であつあつの鍋つかみざまいのちのはてへはこぶ湯豆腐



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この本が多くのよき読者に恵まれますように。