歴史とドラマをめぐる冒険

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織田信長はいつ「第六天の魔王」になったのか。

2021-03-30 | 織田信長
信長の「魔王色」を最も強くデフォルメして描いたのは「おんな城主直虎」です。その後NHKは歴史秘話ヒストリアで金子拓氏の説を紹介し「世にもマジメな魔王」と名付けました。このあたりの経緯は知りませんが、流石に「デフォルメし過ぎた。もうこれ以上魔王としては描けない。」とでもなったのでしょうか。

そもそも信長を「魔王として描いた」作品は少ないのですが、近年に集中しているため、大河では「魔王として描いてきた」ことになってしまっているようです。

1973年「国盗り物語」
総集編しか残っていない。魔王色は薄い。叡山焼き討ちの時、光秀が「信長は魔神か」と考える。そもそも司馬さんの原作小説には「魔王として描こう」という意図はみじんもない。司馬さんは信長が好きではなかった。特に残虐性が嫌いだったようである。国盗り物語信長編は編集者の意向で「仕方なく」書いた。残虐性に「意味」を与えるため「中世を破壊し、近世を拓いた天才」という設定にした。後年の随筆では「信長のような男は日本社会に受け付けられない」としている。

1978年「黄金の日日」
魔王色はないが、高橋幸治さんという役者がそもそも魔王みたいな顔をしている。よく勉強しているなと思わせる信長。信長は「近世を拓いた」とした。しかしこの近世は「検地」でも「伝統勢力の掃討」でもない。ただ一点「商品経済=堺への着目」である。主人公が商人であり、「堺が生み出した子」であることがそうした信長像を形成した要因であろう。「中世の断末魔と近世のうぶ声が同時に存在した時代」に「近世の子」として歩み始めた主人公と秀吉の愛憎。そして主人公の「あるじ」である今井宗久が「信長と安土の城にかけた夢」が描かれる。楽市楽座が描かれないのは、たまたまであろうか。それとも楽市楽座は信長の主たる政策ではないと知っていたのか。分からない。
信長は秀吉を「筑前」と呼び、仲間のように会話している。激することもほとんどない。ただ「冷徹」である。人々とも普通に話をしている。魔王色はない。

1983年「徳川家康」
「国盗り物語」の信長に近いが、若い頃の役所広司さんが演じ、元気がいい。徳川家康の方が織田信長より優れていたという設定のため、信長は万能の天才では全くない。金ケ崎でも信長はうろたえるが、家康が諭して撤退させたとされる。本能寺での信長もやや未練がましい。「ああ生きたい」とか言ったりする。魔王ではない。

1988年「武田信玄」
脇役である。桶狭間も「信玄の計画」とされた。最後は上杉謙信に打ちのめされて逃げていく。たぶん手取川の戦い。史実としては信長は手取川にはいない。とにかく魔王ではない。

1992年「信長キングオブジバング」
再現フィルムのような信長もの。若い頃は朝廷も幕府にも敬意を持っている。だんだん傲慢にはなっていく。ただデフォルメはほとんどない。最後の最後に自己神格化が出ている。デフォルメもしないし、サービス精神もない作品だった。信長VS天道が描かれる。信長は天道を恐れている。恐れつつ天の意志に立ち向かっていく。神になろうとして挫折するが魔王ではない。

「秀吉」「利家とまつ」、、、分析できるほどきちんと見ていません。ただし信長が圧倒的な「強者」として描かれたことは覚えています。

2006年「功名が辻」
私の考えでは、この作品で「魔王化はやや顕著」になります。司馬さんの原作ですが「原作には全く登場しない信長」を「国盗り物語」風に描きました。「風」なのですが、そこにデフォルメを入れてしまった。「もはや幕府も天皇もいらぬ。わしこそが日本の王なのだ」と自らを誇ります。

2011年「江」、、、わしは魔王ではない、、と言い訳をする信長だったような気がします。

2014年「軍師官兵衛」、、魔王性は薄い。しかし「日本に二人の王はいらぬ」といい、それが本能寺の変の原因となる。

2017年「おんな城主直虎」、、、魔王化の完成形態です。完全な「第六天魔王」でした。

2020年「麒麟がくる」、、、よくよく考えると、やってることは今までの信長と同じという気もします。

後半疲れて、書き方がいい加減になりました。





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