尾藤正英さん(東大名誉教授)の「水戸学の意義」は「日本の国家主義」という本に収録されいます。論文の一部です。6ページ。でも私のような門外漢には読むのも「やっと」というところです。
水戸学について「昔考えたきりで最近考えたことはないな」と思ったことが、読んでみようと思った動機です。この専門書の存在は本郷和人氏「空白の日本史」で知りました。
まず結論的なことを簡単に
「尊皇攘夷思想、国体思想、大義名分論は水戸学の考え方である。しかし尊王攘夷、国体、大義名分、3つとも朱子学の用語ではない。中国の古典にも直接的には典拠を求めることができない。水戸光圀の思想と幕末の水戸学には直接的なつながりはない。あるように見せかけたのは藤田東湖たちである。」となります。
断っておきますが「だから偽物」ということではないのです。藤田東湖たちが新語を作った。その背景は「国学」であろうということになります。長州の吉田松陰などは水戸学を学び広げようとするわけですが、長州のベテラン儒学者にとっては「古人のいわざる新奇なこと」であったとあります。「変な思想が出てきたな。儒学じゃないだろ」と受け止められたわけです。幕末よりはるか過去に生きた水戸光圀も「聞いたら驚く思想」だったことになります。「おれはそんなこと言ってないぞ」となります。
「尊王攘夷も、国体も大義名分」すら「中国の書に直接的な典拠を求めることができない」というのは驚きです。日本人が作った「新語」とあります。
しかし「戦後二十年」(この文章が書かれた時代)におよぶ「研究の空白期間」がそんな基本的なことすら忘れさせた、というのが尾藤さんの考えです。
しかし水戸学はまるで空気のように「当然の考え方」として戦後も存在している。水戸学なぞ知らなくても日本人の考え方を今現在も規定している。知らず知らず「水戸学風に考える」習慣がついている。そこまで明治から戦前までの教育は強力なものであった。「今の問題」なのである。「だからこそ」、自分の考え方の根っこを「相対化」するためにも、水戸学を「朱子学的大義名分論」とか「過去の考え」という風に軽く考えることなく、(学者は)研究しないといけない、、、というのが尾藤さんの考えだと「私は」そう捉えました。
以下引用
「名分」という熟語は四書五経など儒家の古典の中には見出すことができないできないものであり、「大義名分」に至っては、「尊王攘夷」とひとしく日本製の新語であって、もとより朱子学の用語ではない。朱子学の特色といえば大義名分論と考えることこそが、実は水戸学などによって作られた日本的な儒教観なのである。
私の関心
「尊王攘夷」「大義名分」「国体」という言葉を作ったのが幕末の水戸学であり幕末の人間とするなら、それまで日本にはその用語、それに近い用語がなかったのかが気になります。実はあまりに読みにくいため、300ページのうち、自分が関心のあるところを中心に読んだに過ぎないからです。おもしろいのですが、全体を読むのも理解するのも、かなりの時間のかかる本です。時間かけても理解できないかも。「思想」というのは多かれ少なかれすべて「毒」ですが、これは「思想を相対化するための本」だということはわかりました。
「大義名分」という言葉は戦国武将を説明する時も「当然のように」使われます。私はいつも「本当だろうか」と思っていたのです。「大義名分を必要とした」、、えっ本当かということです。例えば織田信長の美濃攻め、、、相手は美濃守(正式な美濃の守護)です。どんな「大義名分」がなりたつのか。「斎藤義龍は親父殺したろ」ぐらいかなと。そんなもの「大義名分」と言えるのか。「戦国武将だって大義名分に縛られていた」、、、「本当だろうか」というのが私の「感覚」でした。その「感覚に過ぎないもの」が「もしかしたら正しいかも」と思い始めています。もし仮に大義名分という言葉そのものがないとすれば、やや図式的思考にはなりますけれども、大義名分を考えようもないわけです。考えたのは単なる「理由」で、雑に言えば「どんなものでもいい」。だから大義名分に縛られるわけがない、、となります。これが「正しい考え」かは今は分かりません。それをきちんと書くには、あと数年は必要なようです。だから今は「ここまで」です。
水戸学について「昔考えたきりで最近考えたことはないな」と思ったことが、読んでみようと思った動機です。この専門書の存在は本郷和人氏「空白の日本史」で知りました。
まず結論的なことを簡単に
「尊皇攘夷思想、国体思想、大義名分論は水戸学の考え方である。しかし尊王攘夷、国体、大義名分、3つとも朱子学の用語ではない。中国の古典にも直接的には典拠を求めることができない。水戸光圀の思想と幕末の水戸学には直接的なつながりはない。あるように見せかけたのは藤田東湖たちである。」となります。
断っておきますが「だから偽物」ということではないのです。藤田東湖たちが新語を作った。その背景は「国学」であろうということになります。長州の吉田松陰などは水戸学を学び広げようとするわけですが、長州のベテラン儒学者にとっては「古人のいわざる新奇なこと」であったとあります。「変な思想が出てきたな。儒学じゃないだろ」と受け止められたわけです。幕末よりはるか過去に生きた水戸光圀も「聞いたら驚く思想」だったことになります。「おれはそんなこと言ってないぞ」となります。
「尊王攘夷も、国体も大義名分」すら「中国の書に直接的な典拠を求めることができない」というのは驚きです。日本人が作った「新語」とあります。
しかし「戦後二十年」(この文章が書かれた時代)におよぶ「研究の空白期間」がそんな基本的なことすら忘れさせた、というのが尾藤さんの考えです。
しかし水戸学はまるで空気のように「当然の考え方」として戦後も存在している。水戸学なぞ知らなくても日本人の考え方を今現在も規定している。知らず知らず「水戸学風に考える」習慣がついている。そこまで明治から戦前までの教育は強力なものであった。「今の問題」なのである。「だからこそ」、自分の考え方の根っこを「相対化」するためにも、水戸学を「朱子学的大義名分論」とか「過去の考え」という風に軽く考えることなく、(学者は)研究しないといけない、、、というのが尾藤さんの考えだと「私は」そう捉えました。
以下引用
「名分」という熟語は四書五経など儒家の古典の中には見出すことができないできないものであり、「大義名分」に至っては、「尊王攘夷」とひとしく日本製の新語であって、もとより朱子学の用語ではない。朱子学の特色といえば大義名分論と考えることこそが、実は水戸学などによって作られた日本的な儒教観なのである。
私の関心
「尊王攘夷」「大義名分」「国体」という言葉を作ったのが幕末の水戸学であり幕末の人間とするなら、それまで日本にはその用語、それに近い用語がなかったのかが気になります。実はあまりに読みにくいため、300ページのうち、自分が関心のあるところを中心に読んだに過ぎないからです。おもしろいのですが、全体を読むのも理解するのも、かなりの時間のかかる本です。時間かけても理解できないかも。「思想」というのは多かれ少なかれすべて「毒」ですが、これは「思想を相対化するための本」だということはわかりました。
「大義名分」という言葉は戦国武将を説明する時も「当然のように」使われます。私はいつも「本当だろうか」と思っていたのです。「大義名分を必要とした」、、えっ本当かということです。例えば織田信長の美濃攻め、、、相手は美濃守(正式な美濃の守護)です。どんな「大義名分」がなりたつのか。「斎藤義龍は親父殺したろ」ぐらいかなと。そんなもの「大義名分」と言えるのか。「戦国武将だって大義名分に縛られていた」、、、「本当だろうか」というのが私の「感覚」でした。その「感覚に過ぎないもの」が「もしかしたら正しいかも」と思い始めています。もし仮に大義名分という言葉そのものがないとすれば、やや図式的思考にはなりますけれども、大義名分を考えようもないわけです。考えたのは単なる「理由」で、雑に言えば「どんなものでもいい」。だから大義名分に縛られるわけがない、、となります。これが「正しい考え」かは今は分かりません。それをきちんと書くには、あと数年は必要なようです。だから今は「ここまで」です。