歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
ただの歴史ファンです。

「鎌倉殿の13人」と「草燃える」・北条義時とは何者か。

2021-04-13 | 鎌倉殿の13人
「鎌倉殿の13人」の主人公は、鎌倉執権北条義時です。執権2代目となりますが、初代とも言えそうな人物です。父は時政です。教科書にも載っているのに、知名度はいま一つでしょう。大河において主人公格で扱われたのは、1979年の「草燃える」が最後です。そもそも源頼朝以後の「実朝時代の鎌倉」は「草燃える」でしか描かれません。「日本史上最大の事件」と思われる「承久の乱」を起こしたのに、いや起こしたからこそ不人気なのかも知れません。

鎌倉御家人というのは、幕府の成立から滅亡まで、ずっと抗争を繰り広げている「感じ」があります。特に頼朝死後はそうです。梶原事件、比企事件、畠山事件、和田合戦、承久の乱、泰時の時代はやや安定、そして宮騒動、宝治合戦、、、と安定期がほとんどありません。そういう荒々しい時代の「執権」ですから、北条義時もとてもお上品な武士とは言えません。お上品ではやっていけない時代です。

むしろ「悪党」の名がふさわしい人です。実際「草燃える」では、悪党として描かれました。もっとも最初はとても純粋な青年で、徐々にどんどん悪くなっていきます。松平健さんです。
彼が悪くなっていくのと反比例して、荒くれたワルだった伊東十郎(義時の友人)が、どんどん善人になって、最後は仏道に目覚め、琵琶法師になって平曲を語ります。この善と悪の「クロス」が非常に印象的でした。

今は総集編を見られます。全5回です。実は「全編が残っている」のですが、家庭用VTRの画像であるため画質が悪いのです。かつて時代劇専門チャンネルで放送されました。録画したのですが、BDRに移したら再生不能になってしまいました。ぜひもう一度放送するか、画質悪いままDVDにしてほしいものです。

さて北条義時。源頼朝死後、御家人同士の「パワーゲーム」、仁義なき戦いに生き残り、執権政治の基礎を築きます。承久の乱では後鳥羽上皇と戦い勝利。3人の上皇を配流。天皇を廃して、新天皇を即位させます。六波羅探題を京において、朝廷を監視するとともに、治安の維持を行います。治安の維持は難しかったようですが。

つまり「本当の意味で武士の世を開いた人」です。ただ上皇と戦っているため、「素晴らしい」とか「立派だ」とか「言いにくい人」なわけです。

三谷さんがどう描くか分かりませんが、「徹底したワル」ではないでしょう。義時の知恵袋は大江広元で、この人は元朝廷の下級役人です。源頼朝のブレーンでもあります。この人は京都出身で、京都が怖いとは思っていません。「上皇、かかってくるなら来い」と思っていたのはこの人で、実際そんな感じで義時を励ましたりします。

この大江広元を「ワル」にして北条義時は「意外と純粋」とできるかどうか。義時のやったことが、全て大江広元の指示ではないので、難しいかも知れません。でも上皇と戦うという局面では、大江広元の指示で、北条政子の熱意に動かされ、となるかも。しかし義時も相当年をとってますから、そんな「かいらい」みたいな感じにはできないかも知れません。

「草燃える」に話を戻します。見た時はまだ子供でした。でもとても印象に残っている義時の言葉があります。こんな感じです。

「今になって、兄貴が考えていたことが分かってきた。あれは源氏の旗揚げではなかった。おれたち坂東武者の旗揚げだった。源氏は借り物。おれたちが主体だったのだ。」

鎌倉、源氏の幕府と言っても、源氏はすぐ絶えてしまうことが、子供心に不思議だったのですが、「源平合戦ではない。平家もしくは京都対坂東武者の戦い」とすれば、すんなりと理解できます。

今は「古い史観」として異論があるのかも知れませんが、坂東武者が主体というのは否定しがたいと思います。「すんなりと理解できる」ことは重要で、あんまり小難しい論理を構築しても、「分かりにくくて、すんなりと理解できない解釈」は、歴史学者の「言葉遊び」とされても「仕方ないのでは」と思います。

桃崎有一郎さん「京都を壊した天皇、護った武士」の感想文

2021-04-13 | 天皇制
「京都学」の本です。もう少し書くと、京都学、歴史学、天皇制学の本です。京都とは何か。日本とは何か。天皇とは何か。天皇制とは何か。日本文化とは何か、の本です。筆者は高千穂大学の教授です。歴史探偵にも出演なさっていました。他の本を読むと分かりますが、もの凄い博識で、中世の礼制と法制の専門家です。

「非常に読みやすい文体で、言いたい放題、目次が細かく目次を見れば内容が予想できる読みやすさ優先の本」なので、筆者の「本当の意図」が見えてこない場合もあるかも知れません。でも私が一番気になったのは、筆者の「動機」です。それは前書きとあとがきにきちんと書かれています。

「封筒を開くと憂鬱になる健康診断書が、根っこでは健康長寿を願う愛情に基づいているように、私も京都愛をそのような形で表明することにした」

これを言い換えるとこうなります。私が考えた言い換えです。
「天皇の行為についての憂鬱な史実の報告が、根っこでは天皇制、日本、日本文化への愛情に基づくと考え、京都愛(日本愛、歴史への愛、日本文化への愛)をこのような形で表現することにした」

そう考えるなら、筆者の異常ともいうべき「後醍醐帝への毒舌」が、どうして語られたかを理解できます。なお「武士が護った」というのは「忘れてくれるな」という「限定的な意味」だが、誤解を恐れず「主張してみた」としています。「わざと主張した」という意味です。これが分からないと筆者の術中にはまります。

「屈折しているなー」が感想です。筆者が「屈折させて」と書いているので、これは批判にはならないと思います。「なるほどね」と思いました。「あの有名な後醍醐帝、後鳥羽上皇は、京都を破壊する行為をしていたんだよ。知ってる?知らないでしょ。知らないなら天皇制や京都や日本文化をもっとまじめに考えようよ。」ということです。

戦国本にも京都愛、天皇制愛に満ち溢れたものはあります。しかしあまりに愛しているために、叙述が詳細になり、ひたすら細かいだけの叙述になってしまうこともしばしばです。そういう本は「こんなに儀式をしていたのだよ」と主張します。しかし大方の歴史学者の反応は冷淡で「凄いよね。でも戦国だよ。量より実効性でしょ。お祈りをして何になるの?武力から京都を守れるの?」で終わりです。私自身、そういう本を読み進めることはできず、さっとななめ読みして終わり、あとは歴史学者の「書評」を見るというのがいつものやり方です。

そういう本と比較すると「屈折した愛情に基づくこの本」は、確かに読ませる本になっています。京都に多少の興味がわいてくることも確かです。ただ私の場合は東京育ちで、京都愛は希薄なため、筆者が語る京都の変遷部分は、どうしても「さっと読み」になってしまいました。そして後醍醐、後鳥羽への「毒舌部分」、三種の神器への「毒舌部分=偽物だ」、明治維新への「毒舌部分」だけが耳に残ります。「毒舌が正確な歴史の叙述、評価になっているか」は、確かめてみたいと思います。確かめるとは他の歴史本と照らし合わせるということです。

京都を考えよう、日本文化を考えようとこの本は言外に主張しています。「日本文化」は面白そうです。ただ京都については、東京なので勘弁というところだし、京都を「そこまで詳しく考えなくても」日本史を考えることは可能だと思います。とにかく筆者が京都愛に満ち溢れて、そのあまりに毒舌になっていることは理解しました。頭がいい人は過剰な部分をみんな持っているようです。上から目線で不快でしょうが、桃崎さんの本は、他の本も含め、この二日ずっと読み込んでいたのです。やっと意図が分かりました。それに免じて許してください。