ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

『大草原のビッチの告白』 ④ マイケル・ランドン

2019-08-24 14:25:50 | ひと

《  からのつづき 》

 

早起きとハードな仕事により、ティーン時代のアリソンは、常に睡眠不足でした。

シミ・ヴァレーに往復する車の中で眠り、ランチの休憩時間中にも眠ったものの、まだまだ寝不足。

自分の出番がないときは、誰にも見つかることなく平和に眠れる場所を探し、こっそり昼寝をするのが習慣になっていました。

やがてアリソンは、昼寝に理想的な場所を発見します。小道具用のトラックです。

小道具を担当する二人のお兄さん――ロンとダニー――は、アリソンのニーズに応えて、彼女をトラックの中で眠らせてくれました。

そんな風にうたた寝を楽しんでいたある朝。外で足音がしました。

はじめは(小道具係に会いにきた誰かだろう)と気にも留めませんでしたが、その声を聞いたとき、凍りつきました。

マイケル・ランドンだったからです。あわてて息と気配を殺すアリソン。

ロンは「いつものやつですね?」と、マイケルが差し出す発砲スチロールのカップに、ワイルド・ターキーを注ぎます。

「指4本分(の高さまで)くれ」と指示するマイケル。コーヒーを注ぎ足す余地を残すためと、アリソンは解釈しました。

まだ午前10時半でしたが、アリソンは驚きませんでした。

マイケルはアルコールを飲みました。実際、『大草原『のクルーの大部分が絶え間なく飲みました。俳優にも飲む人がいました。

それにもかかわらず撮影は毎週きちんと完了し、スケジュールよりも早く進み、決められた予算内で納まっていました。

アリソンが14歳だったとき、小道具係のロンは彼女に気軽に教えてくれました。

「ビールの残りが1ケースになっちゃったから、誰かを買いにやらなきゃならなかったよ。

一日に最低2ケース半は要るから、これは危機的状況なんだ。」 ・・・

ビールが品薄になることは、予備の撮影フィルムがなくなるのと同じくらいに深刻な問題のようでした。

 

朝っぱらからワイルド・ターキーを口にしているにもかかわらず、撮影現場でのマイケルは常にきびきびとエネルギッシュで、スタミナ満載。

現場に最初に到着し、現場を最後に離れるのも、通常はマイケルでした。演技を監督し、照明に指示を出し、カメラのアングルにも気を配りました。

ランチタイムには翌週のエピソードを書きました。

俳優でいることだけでは満足できなかったようです。製作し、書き、監督もしなければ。

 

    

  

   

 

 

 

監督をよそから雇った場合でもマイケルの立ち位置は変わらず、マイケル・ランドンに異議を唱える人間などいませんでした。

『大草原』への新参者でない限りは。

スウェーデン人監督アルフ・ケイジェリン(Alf Kjellin)のケースが、まさにそれでした。

ハワイ5-00011ナポレオン・ソロなどの人気シリーズを手がけたケイジェリンは、“Town Party, Country Party”

(邦題:オルガの靴、オルガを演じたのはキム・リチャーズ)のエピソードを監督するため招かれました。

撮影は順調にすすみ、見せ場である池のシーンにさしかかります。

オルガに意地悪したネリーは、ローラに「カニに足指をちょん切られるわよ!」と嚇されて池の中を逃げ、転んでびしょ濡れになります。

 

走って転ぶまでは、ネリーのスタント役の女性が演じ、その後姿を撮影することになっていました。

でもアリソンが、走って転ぶところも自分で演じてみたいとケイジェリンに希望したため、ケイジェリンは、

スタント版とアリソン版の両方を撮影することにします。

ですがスタントの女性が思った通りの演技をしてくれたため、マイケル・ランドンはアリソン版は必要なしと判断し、水中に没したあと

髪から藻をぶらつかせながら立ち上がるネリーのシーンのため、アリソンを池の中に座らせて、楽しげに藻を彼女の髪にのせ始めます。

そこにやって来たのが、ケイジェリン。「一体何をしている!」と、マイケルに向かって怒鳴りました。

「次のシーンの準備をしているんだ、他の何に見えるね?」振り向きもせず、藻のアレンジを続けるマイケル。

「だが、彼女が転ぶところも撮影することになっている!」

ここでマイケルはようやく立ち上がり、ケイジェリンに向き合います。手にはまだ藻をつかんだまま。

「いや、スタントの転倒は完璧だった。余計な手間をかける必要はない」

「しかし監督はこの私だ!」

この後の数分間、憤りに満ちた罵りあいが続いたあと・・・、「あんたはクビだ!」

「クビにはできんぞ、辞めるんだからな!」

ケイジェリンは怒りのあまり足音高くその場を後にし、家族を呼び集め(あいにくこの日は彼の妻子が撮影現場を訪れていました)、

車で去っていきました。哀れアリソンは、その間ずっと池の水に浸かりっぱなしでした・・・。

(同エピソードのその後はマイケルが監督しましたが、ウィキで見ると、監督はケイジェリンのままになっていますね。)

 

マイケル・ランドン(1936‐1991)は3度結婚しました。最初の結婚(1956-1962)中に浮気し、その相手と再婚。

二度目の結婚(1963‐1982)中に『大草原』のメーキャップ・アーティストと浮気し、その相手と再々婚(1983)。

  

しかしカメラの中ではチャールズとキャロライン・インガルスという究極の、完璧な、理想的両親像を作り上げました。

インガルスの子供たちは、最高に幸せな子供たちでした。ひどく惨めだった、マイケル自身の子供時代とは対照的に。

マイケルの本名はユージーン・モーリス・オロウィッツ。ユダヤ系の家庭に育ちました。

父親はユダヤ教を信仰していましたが、母親はカトリック。子供の教育方針をめぐって、夫婦間で衝突が絶えませんでした。

子供時代のマイケルには、夜尿症がありました。本人にはどうにもならない医療上の問題だったにもかかわらず、

彼の母親は彼を厳しく罰しました。おねしょしたシーツを、窓の外に掛けることによって。スクールバスが彼らの

住居の真下に停止するので、彼がおねしょしたことを、多くの子供たちに知らしめるために。

そのためマイケルは、早起きして濡れたシーツを近くのコイン・ランドリーで洗って乾かして帰宅してベッドをつくり、

おねしょしなかったふりを装う。あるいは、放課後スクールバスには乗らずに走って帰宅し、友達に見られる前に

シーツを取り込む。のどちらかをしなければなりませんでした。

その後優秀なアスリートに成長した彼は、やり投に才能を発揮。

(英語版ウィキによると、1954年に彼が出した58.93mという記録は、同年の全米高校生中の最高記録だそうです。)

残念ながら肩の故障によりアスリートの道を断念せざるを得なくなり、その結果演技の道に進むことに。

のちに彼は、自らの子供時代の体験をもとに、The Loneliest Runner という自伝的TV映画を製作しています。

 そのTV映画には描かれていなかった出来事を、アリソンはセットの中で耳にしました。

マイケルの母親はマイケルがユダヤ教徒になることに反対だったため、彼がバル・ミツヴァーを祝った日、

パーティーをしていた部屋から彼を引張り出すと、こう嘲ったそうです。

「覚えておきなさい、お前は赤ん坊のときにもう私が洗礼を受けさせてあるの。だからこれは、全部ただのジョークなのよ!」

それから数十年後、マイケルは毎週毎週教会に列席し、オルデン牧師とともに賛美歌を斉唱したわけで・・・

そんな彼の胸中を思い、アリソンは複雑な心境になるのでした。

 

マイケルは、ゴージャスでした。筋肉隆々のたくましい体、浅黒くなめらかな肌、白い歯、くるくるとカールした輝く髪。

まるでファラー・フォーセットの男性版のようだったので、アリソンはときどき、彼があの赤い水着を着たらどんなだろうと想像しました。

マイケルは自分がセクシーであることを承知していて、皆にも確実にそれを知らしめました。

 彼はよくマッチョなポーズを取り、それはアリソンを微笑ませました。

というのも彼は身長は高くなく、実のところ、背はとても低かったからです。でもアリソンは、彼の実際の身長は知りません。

なぜなら彼は、チャールズ・インガルスのブーツの中に、高い上げ底を忍ばせていたからです。

他の男性俳優と一緒のシーンでは、必ず階段や梯子などに自分を配置しました。

他のキャストのため穴を掘りまくる以外は、何でもやりました。

(今ググってみたところ、マイケルの身長は1.75mと出ました。だとしたら「とても低い」はちょっと大げさでは?

そしてマイケルは、チャールズ・インガルスのズボンの下には下着をはいていなかったため、

ズボンに下着の線が出ることは決してありませんでした。

これはマイケルの戦略でした。NBCが視聴者リサーチをしたとき、視聴者の最大層は40代女性との結果が出たのです。

そこでチャールズのズボンは体にぴったりタイト・フィットし、下着は引き出しにしまったままになり、

シャツは事あるごとに脱がれ、完璧に日焼けした上半身は露出され、サスペンダーは両乳首のすぐ脇にくるようアレンジされたのです。

 

 

 『大草原』は大ヒット、否、メガ・ヒットし、アリソンは当時も今も、その事実に驚いたままです。

ヌード・シーンも、派手な警察の追跡も、バイオニックなボディー・パーツも含まない、モラルと信仰とコミュニティーをテーマとするドラマ。

なのに『大草原』は、1974年から1975年にかけては、視聴率ナンバーワンの位置を保持しました。

シリーズは9年間続き、エピソード数は230に上り、140を超える国々で放映され、現在でも多くの国々で放映されつづけています。

ローラ・インガルス・ワイルダーが著した『大草原の小さな家』シリーズから、どうしてこれが、大成功をおさめるTVシリーズになると予見できたのか。

それまでアリソンは、ローラ・インガルス・ワイルダーの名前すら聞いたことがありませんでした。

ネリー役を獲得したのは撮影が始まる直前だったため、ようやく『プラム・クリークの土手で』を買って読むことができたのは、

何週間も経ったあとでした。そのスローで退屈な内容に、アリソンは驚愕。ただガース・ウィリアムズの挿絵だけは、完璧でした。

ローラに自分の人形を見せびらかしたあと、彼女が触れないよう人形を遠ざけるネリー。

   

挿絵のネリーと自分が鼻の形までそっくりなことに、ネリーは畏怖の念すら覚えるのでした。

 

原作はドラマチックなエピソードに欠けていたため、マイケルは自分のクリエイティブな才能を発揮し、冒険や興奮や涙を、

ほぼすべてのエピソードに加えました。彼は一度、訊かれたことがありました。

「なぜ原作により忠実に製作されないのですか?」

彼は答えました。

「原作を読みましたか?アップル・フリッターの作り方に、一章をまるまる全部使っているんですよ。あれを撮影することはできません。」

 

 “マイケル・ランドン死す” という緊急ニュースが飛び込んできたとき、

アリソンはHIVに感染した子供や家族をサポートする組織 Tuesday's Child でボランティアをしていました。

死因は膵臓癌。癌の中でも早期発見が難しく、進行が速く、手術不可能で、診断からわずか3ヶ月後の死でした。

『大草原』が終わったあとも、アリソンは折に触れてマイケルに出くわしました。アリソンがソロのコミカル・トーク・ショーを始め、

毎晩のようにマイケルを笑いのネタに使うようになっても、彼は彼女に会うたびに必ず、大きな笑顔でハグしてくれました。

膵臓癌と診断されたマイケルにメリッサ・ギルバートは会いに行きましたが、アリソンにはその勇気はありませんでした。

いつもエネルギッシュで生気に満ち溢れていたマイケルを死の床に訪ねることに、耐えられなかったのです。

11歳のときに父親(=養父ポール・ギルバート、メリッサ・ギルバートは誕生後すぐに養子に出された)を亡くしたメリッサは、

『大草原』の9年間、マイケル本人のみならず彼の家族とも、実の家族のように交流していました。

ニュースを聞いたアリソンがメリッサに電話すると、メリッサはヒステリー状態にありました。

すぐにも飛んで行って悲しみを分かち合いたかったのですが、それはできませんでした。

その日アリソンは、Tuesday's Child に関して Entertainment Today のインタビューを受けることになっていたからです。

マイケルの死を受け、インタビューの内容はマイケル一色になってしまいましたが。

 

マイケルの葬儀は内輪だけで、カルバー・シティーにある Hillside Memorial Park で執り行われました。

葬儀の間中5台のヘリコプターが上空を飛びまわっていたものの、葬儀は素晴らしいものでした。

ロナルドとナンシー・レーガンも来ていました。

『大草原』のキャストのほとんどが、列席していました。席につくと、皆、気がつきました。

前から数えて、『大草原』の教会のシーンとまったく同じ列順に、皆が無意識に、席を占めていたことに。

女性は『大草原』で自分の夫を演じた男性と同列に。

(アリソンの夫を演じたスティーヴ・トレイシーは故人でしたから、アリソン自身は例外でしたが。)

それはまるでマイケルがメガホンを通じて召集をかけ、オート・パイロット状態になった皆が編隊を形成したかのようでした。

 

メリッサ・スーも来ていて、腕には赤ちゃんを抱いていました。

結婚した彼女は赤ちゃんを抱いている。なら彼女は、とうとうハッピーになったに違いない。

アリソンは彼女に近づき、話しかけました。「なんて可愛らしい赤ちゃん!生後どれくらいなの?」

母親は皆、我が子のことを話すのが大好きで、話し出したら止まらなくなるものだわ。

「6ヶ月」 ぞんざいに言ったメリッサ・スーは、くるりとアリソンに背をむけその場を去っていきました。

 

追悼の辞は、『大草原』でジョナサン・ガーベイを演じたメーリン・オルセンが述べました。プロのフットボール選手でもあった彼は、

当時FTD(生花の国際配達サービス)のCMで有名で、壇上に立つとCMと同様「ハロー、メーリン・オルセンです。花を売ってます。」で辞をスタート。

 

彼の辞は素晴らしいものでした。感動的で、同時に愉快で。マイケルの物真似すらしてみせました。

生前マイケルは自分の葬儀が楽しいものになるよう主張していたから、その願いが叶ったわけです。

友人につぐ友人、逸話につぐ逸話で、人々は大いに泣き、笑いました。

アリソンは、メリッサ・ギルバートのことが心配でした。メリッサは震えを止めるために両膝をしっかり固めているようで、

アリソンは、メリッサが無事スピーチを終える前に失神するのではないかと気が気ではありませんでした。

 

メリッサは、アカデミー女優パトリシア・ニールが出演したエピソードで使われた詩を朗唱しました。

 それはマイケルが書いた二部構成の、“Remember Me” (邦題:『思い出』)というエピソードでした。

エピソードの中でニールは、死期が迫っていることを知り、自分の3人の子供たちの引き取り手を探す未亡人である母親を演じました。

 

Remember me with smiles and laughter,

Because that's how I'll remember you all.

If you can only remember me with tears,

Then don't remember me at all.

 

*       *       *

 

 「マイケル・ランドンって本当はどんな人だったの?」は、アリソンが最もよく訊かれる質問のうちのひとつ。

でも実のところ、その答えは、アリソンには決して知り得ないことです。

 彼と結婚していたわけでもないし、付き合っていたわけでもないし、彼が父親だったわけでもないし、

彼と昼夜を問わず一緒に暮らしたわけでもなかったから。

 「マイケルは父親みたいな存在だった?父親みたいに愛してくれた?」もよく訊かれる質問です。

アリソンには彼が自分を愛してくれたかどうかはわかりませんが、それ以上に良いことをしてくれた。と思っています。

マイケルは、アリソンを、彼の下で働く子役たちを、尊重してくれました。

 

『大草原』は子役が多いドラマだったため、あるとき、子役のやる気を保持させようと、ガムと飴をご褒美に使おうとしたスタッフがいました。

子供たちに自分を“マイルズおじさん”と呼ぶよう言いつけたADのうちの一人が、皆いい子にしていたら、その日の

撮影終了後にお菓子を配り出すようになったのです。エキストラの子供たちが主な対象でしたが、幼いレギュラー出演者の

数人もお菓子をもらうようになりました。アリソン自身はもうそれほど幼くなかったし、当時歯に矯正用のブリッジをしていたため、

お菓子に近づくことはありませんでした。

「オーケー、皆今日もいい子にしていたかい?ならマイルズおじさんがガムをあげるよ!」

マリオン叔母さんとアリソン自身の情報網のおかげで知ったことですが、マイケルはこれには全く感銘を受けず、

すぐさまやめるようマイルズに言い渡しました。

「良い子にしていたらガムだって?じゃあもし誰かが『今日はガムは欲しくないから、いい子にしなくてもいいや』と言い出したらどうする?

子供たちにガムは必要ない。他の皆と同様、彼らは仕事をするためここにいるんだ。報酬ももらっている。ガムが欲しければ、

自分で店に行って買えばいい。いい子にしていたからって、ガムをもらう必要はない。いい子にしていなかったら、クビにされるだけだ!」

事の顛末を聞いたとき、感動のあまりアリソンは、マイケルに駆け寄って抱きつきたい衝動に駆られました。

これはマイケルがしたことのうちでも最も偉大なことのひとつだと思ったからです。マイケルは、子供たちが間抜けのように、

あるいはご褒美をエサにパフォーマンスする動物のように扱われることを、拒否しました。子役たちは思考力のある人間、

撮影セットで働く他の皆と同様に、自分たちの行動に責任の持てる俳優と、見なされたのです。

 

子役を尊重するというのはなかなか出来ることではありません。多くの場合、子役は間抜けな動物や小道具のように扱われがちです。

キュートを演じ、馬鹿げたキャッチフレーズを繰り返し、おどけた表情を見せる以上のことは、多くの場合、期待されていません。

成長した元子役スターに頻繁に見られる、自信の欠如からくる自己破壊の原因のひとつはそこにある。と、アリソンは考えます。

多くを期待されず、責任も問われないということは、裏を返せばどんな偉業も自分のものにはならないということ。

誰でもよかった子役なら、その子役自体の存在などなかったも同様です。

でも『大草原』にはこれは当てはまりませんでした。そして『大草原』に関わった誰もが、誇りをもってこう言うことができるのです:

“Cast of Little House: No arrests, no convictions.”

「『大草原』のキャストには、その後逮捕された者も有罪となった者もなし。」

 そしてアリソンは、これはすべてマイケルのおかげだと思っています。

 

マイケルは煙草を吸い、酒を飲み、悪態をつき、ひどいジョークを飛ばし、下着ははかず、シーズンの終わりには

全員を競馬場に連れて行って打ち上げを祝う、生身の人間でした。彼はまたアリソンに、貴重な人生の教訓を

いくつも教えてくれました。

マイケル・ランドンはチャールズ父さんではなく、そのおかげで世界は、偉大なTVシリーズを得ることができたのです。

父さんは世界一の父親だったかもしれないけれど、敏腕プロデューサーにはなれず、『大草原』がオンエアされることもなかったでしょう。

『大草原』がなかったら、自分だってどうなっていたことか・・・ と、アリソンは訝るのでした。

 

 《  につづく 》

 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
« 『大草原のビッチの告白』 ③... | トップ | 9連休の終わり »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ちい)
2019-08-28 07:49:05
このシリーズの続きを心待ちにしてました!
アリソン可愛いですよね(^^)
ネリーは嫌な子だけど(笑)アリソンは美人で気取らない感じが素敵です。

マイケルランドンは、子供時代不幸だったようですよね。
お母さんが自殺未遂何度もしてたとか‥。
おねしょを友達にわざとバラされるなんて可哀想すぎる。
父さんはまっすぐな良い人だけど、本人は暗い闇の面もあったんだなぁと‥。
返信する
お待たせしました! (ハナママゴン)
2019-08-31 02:15:20
ようやく気分が乗ったので、このまま一気に連載を終えたいと思います。
(あと2回続く予定。)

そう、マイケル・ランドンて、あまり幸せでない子供時代を送ったみたいですね。
彼についてもいろいろと書きたいことがあるので、ここではアリソンの本で触れられていたことだけ書くにとどめ、また別記事にしたいと思っています。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ひと」カテゴリの最新記事