判りづらい揶揄がトイレの壁にあり惱んだ後に水を流した 056:悩(酒井景二郎) 悩まずにまゐりませうか私はただわたくしの容れものとして 056:悩(本田鈴雨) 夏蜜柑ほどの重さだ左手に悩みをひとつ抱えつつ行く 056:悩(佐原みつる) パジャマだけ豊富に持っている彼は引きこもりだが毎日着替える 057:パジャマ(やましろひでゆき) 八月の帽子売場は海の匂い雨の匂いあの首を濡らした 058:帽(ひぐらしひなつ) お祭りの金魚をごはん茶碗にて飼えば淋しきあぶくがひとつ 059:ごはん(暮夜 宴) 秋弛む夕べはきはき炊きあがる豆ごはんとはつよい食べ物 059:ごはん(村上きわみ) 僕の名は酒井景二郎といひます 影を半分背負つてゐるんです 060:郎(酒井景二郎) 女郎花泡立つ午後を笑わなくなった姉から離れて歩く 060:郎(ひぐらしひなつ) 重さ、湿度、匂い。 文字から与えられるはずのない五感が刺激される。 これだから、短歌は。 |
春の熊わたしがねむっているすきに角砂糖ひとつ略奪されたし 051:熊(松下知永) 考えるかたちをしてる鈴蘭に 雨 雨 翠雨 のまれてしまう 052:考(斉藤そよ) みそラーメンだけが割高そのわけを考えていてもはやゆふぐれ 052:考(市川周) 1,000円の黒ネクタイは不意の死を待ちわびキヨスクの棚に垂れる 053:キヨスク(沼尻つた子) けど今はキヨスクよりも網棚であなたに呼びかける傘がある 053:キヨスク(我妻俊樹) ほうっておけば重さがつのる沈黙にあなたはうすく口笛を吹く 054:笛(こはく) 口笛で語らう風よ、言葉とは役にたたない呪文だつたと 054:笛(萱野芙蓉) とてもよわい笛の音色だいま空にいのちのようなものがのぼった 054:笛(みち。) 乾燥に強い種だからとだまされていやだまされたふりで受け取る 055:乾燥(やましろひでゆき) 肌よりも乾燥しやすい心かも知れずちいさな詩集をひらく 055:乾燥(あいっち ) この年、自分は題詠を完走できなかった。 こうしてみなさんの作品と一緒に読んでいると、その理由がわかる気がする。 これでは、走れなくなるなぁ。と。 だからと言って、今後、上手に舵が取れるようになるかといえば、それはまた別の話なんだけど。 また詠みたいなぁという気持ちと、途方のなさが入り混じるこのごろ。 |
「存在の耐えられない軽さ」はいつだって貸し出し中で予約が百人 041:存在(やましろひでゆき) ああ、どうってことない僕の存在が大きなまちのひとごみに消える 041:存在(富田林薫) ゆふぐれをただ暮れさせてゆくだけの存在であるわたしも影も 041:存在(萱野芙蓉) 存在をぜんぶひらいて夕立を待っている 草もわたしも犬も 041:存在(村上きわみ) 鱗ひかるきらきらひかり溢れだす一尾だけではなかったんだぁ 042:鱗(藻上旅人) テーブルに鱗がひとつ落ちていて午後の会議に身が入らない 042:鱗(新井蜜) 歩道橋がとりあげられる(せんそうせんそう)鈴を鳴らして夕闇がくる 044:鈴(松下知永) 投函を終えてひろがる晴天に馬鈴薯ほどのさみしさを抱く 044:鈴(ひぐらしひなつ) ヴィクトリア(またの名をカンザスの死体洗い)黄色い楽譜を売り続けてる 045:楽譜(西巻真) 楽譜なら読めるけれども弱冠の音痴 地図ならあるけど迷子 045:楽譜(市川周) このときから3年経っているので、 訪れてみるとなくなっているブログも多い。 サービス自体がが終了しているブログもあるし、 残っているけれど更新されていないブログもある。 続けている方のほうがむしろ新鮮なくらい。 とは言え、 私の好きな作品を書かれる方、 このブログで取り上げさせてもらう方で、 今もブログの更新を続けていらっしゃる方は、 比較的、多いように思う。 やはり、継続は力、か。 こころが五七五七七をなぞらなくなってしばらく経つ。 けれど、こんなに言葉が自由であるならば またきっと戻ってくるだろう。 |
春の手が波をなだめる あと少し船のつもりでいていいですか 036:船(村上きわみ) 有刺鉄線その他もろもろデスマッチみたいな口論ばかりしていた 038:有(丸山汰一) 有人の駅がきょう無人駅になり風の乗車率すこし高まる 038:有(原 梓) 逃れきて書棚の陰にできたての固有名詞を呟けば春 038:有(ひぐらしひなつ) 有り体に言えば泣きそう はつなつの風にいくつも結び目がある 038:有(村上きわみ) 咳声と「み」の書き文字にまだ少し王子が残ってると指摘され 039:王子(中村成志) 銀色の王子はなさけないだけで悪くはないし眼鏡でもある 039:王子(やすまる) 忘れたいなら青い飴粘りたいなら赤い飴 甘いのはどっち? 040:粘(さくら♪) ほんとは、一首一首にきちんとむきあってコメントをつけるのが、 一番、望ましくて勉強になるんだと思うのだけれど・・・。 美術館に飾られた一枚の絵のように、 ただ立ち止まって見入ってしまう瞬間があって、 そのまま切り取って飾っておきたいような作品を前に、 拙い私の言葉でなにかを添えるのはかえってつまらないような、 そんな気分に、なりまして。 |
手鏡に押しつけて折るルージュどれも母を刺すにはやわらか過ぎて 032:ルージュ(岩井聡) すいくわ食む祖母はおそろし恐ろしき口にて食はれることしの夏は 033:すいか(村本希理子) どう言えばよかったのだろう夕暮れにざぶりとぬるいすいかを齧る 033:すいか(川鉄ネオン) 静岡の蜜柑を買つてしづをかのひかりをはらに蓄へてゐる 034:岡(村本希理子) 静岡の訛りを運ぶ鈍行の車両揺れつつ揺れつつ 土曜 034:岡(ひぐらしひなつ) 寝てたでしょう? 「つぎは長岡ペンギン」と駅員さんがいま言ったのに 034:岡(やすたけまり) こっそり思い出したときに。 題詠には、お題をメインにして上手に料理するひとと、まったく違うものを詠んでスパイスのようにお題を紛れ込ませるひとと、いる。 前者は、作るときに素材を見てからなにを作ろうか決めているのに対して、後者は、作るものが決まっていて、それにどう決められた食材をうまく取り入れるかを考えている。 どちらが良いということはないのだけれど、個人的な感覚でいえば、スパイスのようにお題を使うことには、すごく憧れがある。どうしてこんなところから・・・・。という切り込まれ方をされてしまったらもう降参。 |