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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

考えること

2017-10-24 10:41:30 | その他
 漫画家の小林よしのりは、ブログでこう書いている。

 自民党が勝ちすぎたのは、今の野党の分裂状態から見て当然のことだ。
自民党を勝たせたのは小池百合子と前原誠司、この2名だ。
自民党はこの2名に大感謝しなければならない。


https://yoshinori-kobayashi.com/14344/

 その通りだ。小池と前原には、論功行賞があるはずだ。小池と前原は、しずかに待っているがよい。

 さて、昨日『中日新聞』から、憲法九条についてのアンケートがあった。私はもちろん、改めることも、何ものかを付け加えることも反対であると記した。

 当たり前である。日本の対米「属国」化を推進することは、日本のためにならないと考えているからだ。

 政治学者の丸山真男は、こう書いている。


 歴史の経過のなかでは、まず朝鮮戦争の勃発の前後からきわめて鋭く切迫した形で、防衛問題がむしろ他律的にーというのは、アメリカの極東戦略との関連において、総司令部の要請を重要な起動点として登場し、それに触発されて憲法第九条が政治問題化し、やがてそれが一般的な改憲問題へと発展していった

 (「憲法第九条をめぐる若干の考察」、『後衛の位置から』未来社、1982年)

 ここで丸山が「他律的」としているところが重要であって、今日の安倍政権のそれも、アメリカの世界(軍事)戦略の一環としての「改憲問題」であることだ。「改憲問題」は、日本国内の必要性からではなく、つねにアメリカ発であるところに問題の本質がある。

 アメリカの要請を、素直に、奴隷の如く、日本(国民)は受け入れるのかどうか、ということが問われているのだ。

顔をみたくない

2017-10-23 10:13:56 | その他
 私の家にはテレビがない。だから、選挙にもっとも影響のあるというNHKニュースやワイドショーでどのようなことが報じられているかまったくわからない。

 テレビを見ない理由の一つは、見たくない顔を見ないようにするということだ。

 すでにテレビメディアは、安倍独裁政権の軍門に降っている。テレビを見るということは、安倍的なものにみずからの精神が侵食されるということでもある。安倍的なものとは、みずからの思想と似通った者、みずからの朋友、自分自身にお追従をする者、そういった者どもを優遇することであり、好戦的であるということであり、ファッショ的な思考をもつことであり、世界的なコモンセンスと背反するということである。

 安倍的なものを峻拒することによって、みずからの精神の健全性を維持したいのである。

 テレビを視聴することにより、人生にとり貴重な時間を浪費したくない、ということでもある。それよりも、アマゾンミュージックでクラシック音楽を聴きながら本を読むほうがよほど意味がある。

 見たくない顔。別に政治家だけではない。芸人という人、キャスターと云われる人々・・・無数にいる。

 生きている間、価値なきものとは関わらない。残念ながら、一般社会の価値観と私のそれとは、ものすごく乖離し、一般社会の価値観についてはすでに理解不能になっている。以前は、一般社会のそれをも理解しようとしたけれども、しかしそれはムダであるという認識に到達した。

 私には、読まれることを待っている厖大な本がある。そうした本を読むことにより、みずからの人生を豊穣にしたい。

 その成果を、講座などで提供していきたいと思う。日本社会の知的劣化は、首相から日本社会の末端まで浸透しているようだから。

あらしが荒れ狂っている

2017-10-23 00:14:25 | その他
 なかなか雨風が強い。そんななか、私は『伊藤野枝全集』を読み進めている。そのなかで、こうなりたいなあと思った文。

私は自分をゴマカして生きて居る事のできない性分ですから、世間からは、随分悪く云はれる代りに、自分の生活にビクつくやうなことのないことを、ひそかに誇として居ます。経済界がどうあらうと、思想界がどうあらうと、我には何んの不安も動揺もありません。世間に悪がられやうと、お上に睨まれやうと、監獄にブチこまれようと、新聞でコキ下されようと平気なものです。同様に火事に遇おうと、泥棒にはいられやうと平気であります。今でも私の家では夜明けぱなしで寝ていますが、之れは何んにもとられて、惜しいものが無いからです。同様に私は他から突つかれてグラグラする様なヤクザな、自分を持ち合はせませんから安心です。(「当代名流の安心する所」、『実業之日本』1920年12月号)

 選挙結果に動揺せず、こういう人に、私はなりたい。そしてその他の人も、野枝のようになれば、世界は変わるか?

風が強くなる

2017-10-22 19:44:08 | その他
 台風21号が近づいている。雨はあまり降ってはいないが、徐々に風が強くなってきた。あらしが来る。あらしをのりこえなければならない。風が唸るように通り過ぎていく。そんなときには、古典に親しむのがよい。精神的に落ち着くのだ。

 E・H・ノーマンの『クリオの顔』(岩波文庫)に、こう記されている。

 自由の歴史がたどる道は決してまっすぐな一本道ではなく、むしろ曲がりくねった道であって、ときには袋小路に入り込み、そこからまた苦しい回り道をしなければならないのであります。改革者や自由の戦士たちがはじめに意図したことが、それ自体としては、彼らの理想が裏切られるのを必ずしも十分に阻止できなかったからといって、そのために将来の戦いもすべて無駄であり、また幻滅であると考えるならば、それは卑劣な降伏であり、自由の敵を利するにすぎないでありましょう。反対に、過去の期待はずれや挫折の教訓からこそ、後の自由のための指導者たちは自由実現の試みにいっそう確実な基礎づけを与えることを学んできたのであります。

 いま、現代の世界史において明らかなことが一つあるとすれば、それは自由は我々を取り巻く空気のように不変なまた確実なものではないということです。自由は意識的にかちとらなければならないもの、熱心に守らなければならないものである。自由はそれが永らく勢力を持っていた国においても、これをおろそかにしたり冷淡であったりするならば、失われてしまうことがあり得るものです。ですから、自由のための戦いは、いつも目覚ましい形や激しい形をとる必要はないにしても、たえず継続しなければならない。それは冷淡と無関心と冷笑癖に対する戦いであって、大体において地味ではあるけれども、重大な戦いなのであります。


 

「この国を守り抜く」?

2017-10-22 10:03:21 | その他
 ネットを見ても、新聞を見ても、あのイヤな顔と「この国を守り抜く」という文字がある。莫大なカネをつかって、みずからのどや顔を露出させるその神経に、私はあきれる。

 「この国を守り抜く」?

 すぐわかることがある。日本国の沖縄、そこに住む人々は、守られているのか?ノーだ。まったく守られていない。米軍が、米軍基地が、沖縄を自由に使用し、戦争の「現場」に向かう。

 ことばには、真実が込められていなければならない。

 しかしあのどや顔の人物が発することばには、真実がない。真実なんか語らなくても、人々はだまされる、人々をだますことができると思っている。

 もう、そういう輩には退場してもらおう。

「この道しかない」?

2017-10-22 09:20:41 | その他
 「この道しかない」というポスターが以前あった。しかし、そのポスターをつくった人々の集団が歩みつつあるその道は、独裁と戦争へと向かうものだ。

 それだけではない、私たちの生きる道は、無数にある。あなたと私の歩む道は異なる。今隣に住む人とも、歩む道は異なる。道は無数にある。「この道しかない」といって、ひとつの道だけを提示する、そういう人たちと一緒になりたくはない。そういう人たちを支持したくない。

 「この道しかない」という人々のトップの顔は嫌いだ。見たくもない。彼は錯覚している。彼の顔は、万能感に満ちている。本当は能力がないのに、本当は知性もないのに、それがはっきりしているのに、まわりの者たちが、彼をまつりあげた。

 今、私たちは、その顔を見ないようにしたい。彼にみずからがどれほどの人物であるのかを自覚させよう。

 

 

小沢の策動は掴まれていた

2017-10-20 23:40:14 | その他


 「前原代表の「想定外」だった 野党大合併、頓挫の理由を明かす」

 田中龍作氏のこの文を読んだ。しかし私は、小沢が野党の統合を画策していたことは事実であっても、前原らにとって、民進党リベラル派議員に対する排除が「想定外」だったとは考えない。小沢の画策を、小池と前原その他が、つぶそうとしたことの結果が、今の事態だと思っている。

 小沢の動きは、まったく秘密裏に行われたのではなく、少数ではあるが、その動きをつかんでいた者がいた。その情報をつかみ、小沢の画策をつぶそうと画策した者が、おそらくいる。その者は、小沢の策動の裏をかくことを考えた。小池や前原らは、その者の指示に従って動いたのだ。小池や前原等には、いずれ論功行賞が行われるはずだ。

 〈追記〉もちろん立憲民主党の結党と同党への国民の支持拡大、他方の「希望の党」の沈下は、「想定外」のことであっただろう。だが、小沢の画策を打破した「功績」は、実に大きいと支配層には判断されるはずだ。小池も、前原その他のその後は約束されるだろう。

「あらしの前」

2017-10-20 23:32:41 | その他
 総選挙の後、「あらし」がくるという。「あらし」が来るから、警戒せよという情報が流されている。総選挙の直後に「あらし」が来るというのも、何か暗示的である。

 『あらしの前』という児童文学がある。岩波少年文庫である。

 私はずっと前に、といっても大人になってからこの本を読んだ。

 この『あらしの前』を訳したのは、吉野源三郎。岩波書店が発行している『世界』の編集長だったひとである。私はこの『世界』を高校生の頃から読んでいるが、ベトナム戦争が激しい頃、吉野はベトナム戦争に、もちろん反対の立場で論陣をはっていた。それが『同時代のこと ヴェトナム戦争を忘れるな』(岩波新書)としてまとめられた。私はこの本がとても好きで、折に触れて読み直している。その中でも「一粒の麦」という論文が好きだ。そして序文の「同時代のこと」も。
 この本で吉野が書いたことは、今なお私にとって生きる規範であり続ける。私がもっとも影響を受けた人が、吉野源三郎である。

 だから、彼が書いたもの、翻訳したものは、私にとってすべてが道標となる。

 『あらしの前』というときの「あらし」は戦争である。戦争がオランダに入り込み、ふつうの日常を生きていた家族に襲いかかる。オランダはナチスに降伏するが、ナチス支配下で生きていかなければならなくなったとき、母は「あたしたちは、まだこれからも、じぶんを守っていきましょうね、武器を使ってではなく、正しいことを信じる、あたしたちの信念の力で」と語る。


 これは、吉野のメッセージでもあるのだろう。

 「あらし」が来ても、「あらし」のなかでも、「信念」をもって生きていこう、というメッセージ。それは、『同時代のこと』の序文に書かれていることにつながる。
 
 今日においてもなお、私たちは、人生を知り尽くした上で人生を歩みはじめるということはできないのである。私たちは、誰も彼も、生きてゆきながら、生きてゆくことによって人生を知っていく。こうして人間は何千年の昔から、自己の現実性を知るとともに現実を問題として受取り、それと格闘しつつ環境を変え、その秘密を開き、自分をも変えながら自分を知ってきた。このような人間の行動の集積として歴史が展開して来、展開してゆく以上、歴史的現実に対する私たちの接近も、特に同時代の現実に関する場合、私たち自身の行動や生き方を離れてはあり得ないであろう。問題は、どんな生きてゆく態度、どんな行動の立場が、最も深く現実に喰い入ることを可能にするか、ということにかかる。

 ・・・・・「およそ人間的なものは、何一つとして、私にとって疎遠のものではない」という、テレンチウスの言葉に代表されるような、人間に対する溌剌とした興味と関心、共感と愛情とを備え、したがって一切の非人間的なもの、抑圧的なものに対しては、常にこだわることなく反対の立場に立つ、あくまでも人間的で自由な生活態度を根底とするものであって、このような態度を必要とするのは、ジャーナリストだけに限らないのである。一般に、このような態度こそ、当面する諸問題について私たちがその人間的意味を引き出し問題の徹底的な批判と分析とに向かって踏み出す、最初の動機を形成するだけでなく、批判の足場と方向をも与えてくれるからである。ここに言う人間的なものについては、多くの論議がなお残されているけれど、しかし、水に入らずに泳ぎを覚えることができないように、人間的な関心に身を投じないで人間的なものに触れる事はーーまして、これを論じる事は不可能である。


 「一切の非人間的なもの、抑圧的なものに対しては、常に・・・反対の立場に立つ」こと。そうした信念を持ち続けること、そして信念に基づいて行動し「現実に喰い入る」ことにより、絶望は希望に道を譲るのである。

 「あらし」は、必ずいつかは去る。「あらし」のなかでは、否定すべきことが起こるかもしれない。しかし、「あらし」は必ず去るのである。



「正義の味方」

2017-10-20 18:56:05 | その他
 国是、ということばがある。国是とは国家の基本方針である。それは日本においては、日本国憲法に示されている。日本国憲法でもっとも大切な国是は、不戦である。戦争をしない、これである。

 1945年8月以降、日本は不戦を貫いてきた。もちろん、対米従属路線をとる自民党という政党が中心となった政権は、アメリカが行う戦争を様々に支援してきた。それも大問題ではあるが、しかし少なくとも日本人はアメリカの戦闘に参加することはなかった。支援はしても、戦闘を担うことはしてこなかった。

 ところが安倍政権になってから、安倍首相はよほど戦争が好きなようで、戦争をしたくてしようがないようなのだ。そのための法整備に余念がない。すでに憲法はそのままではあるが、法律のレベルでその準備がほぼできあがっている。要するに、アメリカの戦争にはせ参じるシステムをつくりあげたのだ。

 他方、アメリカではトランプという、何を考えているかどうかわからない人物が大統領に選ばれた。何を考えているかどうかわからないということは、何をするかわからないということでもある。

 折しも、米朝の非難合戦が激しくなり、アメリカが北朝鮮を攻撃する可能性もでてきている。

 北朝鮮がたとえ核をもっても、あるいはミサイルを開発しようとも、たくさんのミサイルがアメリカに撃ち込まれることはないだろう。またアメリカが北朝鮮を攻撃するとき、日本はその最大の基地となる。米軍基地だけではなく、民間空港も米軍機が使用することになるだろう。朝鮮戦争の時、まさに日本は米軍の出撃基地となっていた。

 もし米軍が北朝鮮を攻撃したとき、日本はどうなるか。

 北朝鮮は、「窮鼠猫を噛む」のことわざのごとく、むっくりと起き上がり、はたしてどこを攻撃するだろうか。

 もちろん日本である。まさにアメリカの戦争に日本が加担し(そのための法整備は「戦争法」として強行採決されている)、日本は戦争の当事国として、窮鼠により攻撃されるのだ。

 安倍首相が行っている政策は、まさにそれを呼び込むものだ。平和な日本は、一夜にして破壊と殺戮の「現場」となる。

 日本人の多くは、日本が戦争の「現場」となることを予想もしていないと思うが、しかし安倍政権の政策は、その方向に着実に進むことができるように、道をつくってきた。

 今なら、間に合うだろう。そうした道から引き返さなければならない。

 不戦という国是、これが間違っているのだろうか。いや、断じて間違っていない。不戦を今こそ高く掲げなければならない。不戦の政治家や政党に票を集めることは、正義である。

 今こそ、私たちは「正義の味方」にならなければならない。


「働き方改革」は「働かせ改革」なのだ

2017-10-20 18:23:35 | その他
 あ~あイヤな時代になってきた。しかし、そういう時代でも、きちんと問題に対処しながら生きていかなければならない。問題に対処するということは、様々な事象が問題をはらんでいるかどうかをきちんと把握できるということを意味する。

 そのためには、日々勉強である。学び、考える。それが必要だ。

日本大手電機メーカー、働き方改革を「従業員の監視強化」だと勘違いしていることが明らかに

やっと・・・・

2017-10-20 08:20:31 | その他
 原稿締め切りと講座の準備に追われ、自由な読書と自由な思考の時間がない。他方、安倍政権を倒す総選挙が、逆に安倍自公政権の延命に手を貸すことになり、戦後日本の大転換の時期を迎えつつあるという実感を持ち始めた。欺瞞的な「希望の党」が、欺瞞的な前原ら民進党内のnationalist人士と手を組んで行った策動が、戦後日本にまさに最後の楔を打ち込もうとしている。

 しかしいかなる楔が打ち込まれようと、私たちは生きていく。平和で、安定した生活を望みながら。

 さて、雨が降り続いているため農作業ができず、そのために少し時間ができ、『世界』11月号を読み始めた。前号から始まった「〈周縁〉の「小さなアメリカ」」という対談。中村寛と藤永康政によるものだが、私はこの二人の本はまったく読んだことがない。専攻はアメリカ史だからか。

 のっけからこういう文に出会った。

 黒人の歴史とは、抑圧的体制に対するレジスタンス(抵抗)の歴史です。ところが、レジスタンスをあからさまな形で行うと、当然激しい弾圧を受けます。そこで、黒人たちのレジスタンスは、それが一見レジスタンスとは見えない形態をとらざるをえないのです。

 なるほど。レジスタンスに見えないレジスタンスか。きわめて難しい。おそらくそこにはものすごく創造的でユニークなレジスタンスが存在していたということが予想できる。

 確かにアメリカの黒人は、アフリカから連行され、奴隷として世代を超えて抑圧されてきた。まさに「絶望」の日々を、生きてきたはずだ。

 ここで引用されたのが、『(聞書)アフリカン・アメリカン文化の誕生』(岩波書店)からの一節、そのままの引用であるかは不明である。

 すべてを破壊されたかに見えたまさにその瞬間に想像と創造が始まっていたということ、さらにそうした想像と創造の営みに息吹を与えるべく、アフリカ系アメリカ人たちが生き延び続けたということ、ここに彼らの最大の抵抗がある。

 生き延び続けるという「抵抗」。

 これはしかし、「大日本帝国」の時代の、レジスタンスの抵抗でもあった。そのなかで小林多喜二のように虐殺された人々もいたが、しかし生き延びることができた人々もいた。

 これからの時代は、そうした人々の生き方を参照することで生き延びるというレジスタンスが必要なのかもしれない。

http://www.fujinaga.org/

日本は「属国」

2017-10-19 19:08:25 | その他
 『琉球新報』のコラム

この国は本当に法治国家だろうか。昨年12月に続き今月と、県内で相次ぐ米軍機事故への国の対応を見て、つくづく思うことである。毎回、米軍は現場で規制線を敷き、日本の警察は検証できない

▼日米地位協定が米軍に“特権”を与えているからだ。「半分主権国家」。日本のことをそう呼ぶのは編集者で作家の矢部宏治氏。8月に出版した「知ってはいけない隠された日本支配の構造」(講談社)で解説している
▼矢部氏は、アジア太平洋戦争後、米国は軍事面で日本の占領を維持するという「真の目的」を国民に隠しながら、その体制を長く続けるために日米合同委員会を設置したと指摘する。委員会は地位協定の運用などを議題に毎月2回開かれている
▼メンバーは日本側はエリート官僚だが、米側はほとんど軍人。決定事項は、国会への報告や公表の義務がなく、事実上ノーチェックで遂行される。国会や憲法より上位にある秘密会議というのだ
▼「極めて異常だ」。米側唯一の官僚、スナイダー駐日公使は軍人が官僚に指示する在り方に激怒し、上司の駐日大使に報告した。だが体制は変わらない。矢部氏は対米従属の根幹は「軍事面での法的従属関係」と強調する
▼基地問題で菅義偉官房長官は「日本は法治国家」と繰り返してきた。事故の検証すらできない日本はむしろ、法的従属を“放置”した国家ではないか。