『信濃毎日新聞』コラム
斜面
長く不明だった遺骨が掘り出されたとき、チェ・ゲバラだとすぐ分かったという。両手がなかったからだ。南米ボリビア山中の村。50年前の1967年10月9日、軍に銃殺されたゲバラは指紋照合のため両手を切断され、土に埋められた
◆
親米独裁政権を倒したキューバ革命をフィデル・カストロとともに率い、その後ボリビアでも軍事政権とのゲリラ闘争に加わった。39年の短い生涯だった。遺骨がキューバに送られ、霊廟(れいびょう)に納められたのは、死から30年を経た97年10月17日のことだ
◆
貧しい人たちを苦しめる社会の矛盾に怒り、信念を貫いた革命家―。その印象にふさわしい精悍(せいかん)な風貌も世代を超えて人を引きつけるのだろう。没後半世紀。ボリビアでの追悼行事には欧州やアジアからも人が集まり、宿代が跳ね上がったそうだ。日本でも映画の公開や出版が相次ぐ
◆
8月に東京で開いた写真展。ゲバラが自ら撮った写真の中に広島の平和記念公園を遠景で収めた一枚があった。早朝だろうか。人影は少なく、静けさが伝わる。キューバ革命からまだ半年余の59年夏。通商交渉で来日した際、予定を変えて立ち寄った
◆
「平和のために闘うにはこの地を訪れるべきだと思う」。妻に書き送ったはがきが残っている。キューバの小学校では毎年8月6日、広島でこの日何が起きたかを朝礼で子どもたちに話すという。それがごく当たり前になっていることも、ゲバラの精神が今に息づいている一つの証しだろう。
(10月16日)
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長く不明だった遺骨が掘り出されたとき、チェ・ゲバラだとすぐ分かったという。両手がなかったからだ。南米ボリビア山中の村。50年前の1967年10月9日、軍に銃殺されたゲバラは指紋照合のため両手を切断され、土に埋められた
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親米独裁政権を倒したキューバ革命をフィデル・カストロとともに率い、その後ボリビアでも軍事政権とのゲリラ闘争に加わった。39年の短い生涯だった。遺骨がキューバに送られ、霊廟(れいびょう)に納められたのは、死から30年を経た97年10月17日のことだ
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貧しい人たちを苦しめる社会の矛盾に怒り、信念を貫いた革命家―。その印象にふさわしい精悍(せいかん)な風貌も世代を超えて人を引きつけるのだろう。没後半世紀。ボリビアでの追悼行事には欧州やアジアからも人が集まり、宿代が跳ね上がったそうだ。日本でも映画の公開や出版が相次ぐ
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8月に東京で開いた写真展。ゲバラが自ら撮った写真の中に広島の平和記念公園を遠景で収めた一枚があった。早朝だろうか。人影は少なく、静けさが伝わる。キューバ革命からまだ半年余の59年夏。通商交渉で来日した際、予定を変えて立ち寄った
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「平和のために闘うにはこの地を訪れるべきだと思う」。妻に書き送ったはがきが残っている。キューバの小学校では毎年8月6日、広島でこの日何が起きたかを朝礼で子どもたちに話すという。それがごく当たり前になっていることも、ゲバラの精神が今に息づいている一つの証しだろう。
(10月16日)