浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「民間」ってそんなにいいのか!

2013-10-26 08:12:52 | 日記
 大阪市では、学校の校長に教育関係者ではない民間人を起用したところ、いろいろな不祥事を起こしているが、民間人の採用は続けるらしい。橋下市長の、メディア露出のための施策に、たくさんのほころびが見えてきているが、しかし「民間」に対する過度の「期待」は、新自由主義経済の浸透と歩調をあわせながら生じていている。

 以下は、『毎日新聞』記事。

大阪市教委:民間人校長の応募6分の1に 採用は3倍増
毎日新聞 2013年10月26日 07時40分

 大阪市教委が来春採用する公募校長への民間からの応募者数が、今春採用分の6分の1に激減している。橋下徹大阪市長肝いりの制度だが、25日にはセクハラ行為で1人の退職が決まるなど、今春採用した11人のうち6人に問題が発覚した。それでも市教委は来春、小中高の採用者のほぼ半数の35人を、民間から採用する方針だ。

 市教委によると、今春採用分の応募は計1290人で、うち民間出身者は928人だった。来春採用分には488人が応募し、うち143人が民間からだ。選考は進んでおり、今月中に民間の71人が最終面接を受け、11月にも合格発表される。

 応募締め切りは6月下旬で、トラブルが相次ぐ前だった。市教委は、2年目で注目度が下がったうえ、応募時に課すリポートを前年の1種類から3種類に増やしてハードルを上げたためと分析する。ただ減少は想像以上で、市教委関係者は「500人は来ると思った」と漏らす。

 民間人校長を巡っては、採用時の評価のあり方や、問題が生じても配置転換できない制度など、課題が浮かんでいる。今春採用の民間人校長11人は着任前、「先輩校長」に付き添う実地研修も含め計3カ月研修を受けたが、問題が相次いだ。それでも3年間の任期付き校長として採用されているため、職種変更や降格はできない。

 制度を推進してきた大森不二雄教育委員も、25日の記者会見で「任期付き採用が最善か議論したい」と発言。また、評価について市教委は、提出リポートを増やしたことに加え、最終面接時間を今春分の2倍の30分に増やした。人物重視の配点方式に改善したという。【山下貴史】



 だが、民間は、基本的には、自己の利益を最優先に追求する。公共性だとか、公正性だとかは二の次、三の次である。「もうかりまっか」がなければ、民間は動かない。

 同時に、儲けるためには、不正も行う。そういう事例は、いっぱいある。下にあげる阪急ホテルの例もその一つである。社長の記者会見を見たが、社長の目は「冷徹さ」そのものであった。

 あの記者会見で、「誤表示」としたが、おそらく誰も信じなかっただろう。だからもう一度調査するのだろうが、しかし信用は失墜した。ボクも利用したことがあるホテルであるが、以後絶対に利用することはない。今後やはり「偽装」でしたといっても、信用の回復はない。

 下記の記事を読むと、この前の調査は「社長が直接確認」せずに行ったもの、ということになる。いい加減な会社だということを露呈してしまったのである。

阪急阪神ホテルズ:26日から再調査、社長が直接確認へ 毎日新聞 2013年10月26日 02時30分

 阪急阪神ホテルズ(大阪市)がホテルのレストランなどでメニュー表示と異なる食材を提供していた問題で、出崎弘社長が直接、レストランの調理責任者から聞き取り調査することが25日、分かった。調理サイドがなぜ問題を見過ごしたのかなどを改めて確認する。これまでの同社の説明は、本社の管理部門が立ち会った上で実施した職場単位の内部調査に基づいていた。

 再調査は26、27日に実施する。週明けにも出崎社長が再び記者会見を開いて、聞き取った内容を明らかにする。対象となるのは、異なった食材を提供していたと発表した23店舗のうち、「芝エビ」と表示しながら実際は「バナメイエビ」を使うなど内部調査の結果に疑念が指摘されている数店舗。経営トップが直接問題の核心を把握し、疑念の解消を図る。【古屋敷尚子】
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近視眼のマスメディア

2013-10-25 20:23:47 | 読書
 『週刊金曜日』の、特定秘密保護法案反対についての森達也と田島泰彦対談のなかに、次の発言があった。

 新聞テレビの反対論をみていると、全体として「取材報道の自由」が規制されるのは困るという立場、つまり自分たちに直接影響があることだけを考えています。しかし、いくら取材の自由があっても、取材源、情報源となる秘密を取り扱う公務員や警察官、民間企業職員が漏洩に厳罰を科され、またそれを恐れて情報を出さないとすれば、取材の自由は骨抜きとなり、意味がない。残念ながらそれに想像が及ばない、狭い業界と自身の利益からの反対論です。

 これは表現の自由などの研究をしている田島泰彦上智大教授の発言だが、新聞テレビは、「狭い業界と自身の利益から」反対論を主張しているのではなく、新聞テレビは、国家権力の秘密に肉迫するような取材はしないということだろうと、ボクは思っている。

 実際、そういう記事を、『東京新聞』の「特報欄」を除いて、見たことがない。

 新聞テレビは、官が報じたい内容のものを、リライトして報道する、つまり官の宣伝機関としての役割を果たせばそれでよいと考えているのだと思う。それほどメディアは、退廃しているということだ。
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スパイ国家・アメリカ

2013-10-25 17:12:26 | 読書
 これも『東京新聞』夕刊の記事。アメリカはスパイ国家である。盗聴だけではなく、アメリカは非合法に何でもやる国である。そういう国の下僕となっている日本。



世界の指導者35人盗聴 米政府当局者 電話番号NSAに
2013年10月25日 夕刊

 【ロンドン=石川保典】英紙ガーディアン(電子版)は二十四日、情報監視活動をしている米国家安全保障局(NSA)が、世界のリーダー三十五人の電話番号の情報を米政府当局者から提供され、会話を盗聴していたと報じた。

 NSAの情報監視疑惑をめぐっては、ドイツのメルケル首相の携帯電話が盗聴されていた可能性を独政府が明らかにしたばかりで、波紋を広げそうだ。

 同紙は、米中央情報局(CIA)のエドワード・スノーデン元職員=ロシアに一時亡命中=から入手したNSAの内部文書を基に報道した。三十五人の名前や国名は明らかになっていない。

 文書は二〇〇六年十月二十七日付で、NSA電子情報部門の職員に出されたメモ。文書は、ホワイトハウスや国務省、国防総省などの高官から、外国の主要な政治家らの電話番号を提供してもらうことを奨励している。

 一例として、ある米当局者がNSAに世界各国のリーダー三十五人の電話番号二百件を提供した事例を紹介。このうち非公開番号だった四十三件は、直ちに盗聴リストに加えられたとしている。

 文書によると、時には当局者が自ら、外国の主要な政治家や軍関係者の携帯電話やファクス、住所などの情報をNSAに提供してくることもあると説明している。
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五日市憲法草案

2013-10-25 17:07:01 | 読書
 色川大吉さんらが発見した「五日市憲法草案」は必見である。天皇皇后もそれをみて感動されたようだ。

 近代日本民衆の歴史的な価値ある遺産である。見に行ける人は、行ってこよう。すこし遠いかな。

 以下は『東京新聞』の記事。


五日市憲法草案を公開 あすから あきる野中央図書館
2013年10月25日 夕刊

五日市憲法草案(あきる野市中央図書館ホームページから)


 東京都あきる野市の中央図書館は、明治初期に旧五日市町(現あきる野市)で起草された「五日市憲法草案」の原本の一部を二十六日から公開する。改憲が現実的な政治課題となり、憲法への関心が高まる中、主催者は「国の形を真剣に考えた明治の人々の精神を知ってほしい」と来館を呼び掛ける。

 五日市憲法草案は大日本帝国憲法が公布される八年前の一八八一(明治十四)年に起草され、一九六八年に色川大吉東京経済大教授(当時)のグループが町内旧家の土蔵から発見した。全二百四カ条の原本は二十四枚あり、普段は図書館書庫に保管し、テーマを決めて年に一回、部分的に公開している。

 今回は基本的人権や司法権を記した部分五枚を公開。四五条で基本的人権を不可侵なものと定め、その後に言論、信教、結社・集会など国民の権利と自由を三十カ条にわたって規定する。

 司法権規定では国事犯(政治犯)に死刑を科さないとし、容疑者、被告人の権利保障を明記している。日本国憲法との内容対比を付けた草案全文レプリカや、起草者である千葉卓三郎(一八五二~一八八三年)に関する資料も展示する。

 松島満館長は「山間地で排他的なイメージもある五日市だが、現憲法のもととなるような最先端思想に触れていたことが分かる」と話した。

 五日市憲法草案については、皇后さまが二十日に七十九歳の誕生日を迎えられた際、宮内記者会の質問に寄せた回答文で、昨年一月に天皇陛下とあきる野市を訪れた際、原本を視察したことへ言及。「世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」と、強い感銘を受けたことを明らかにしている。

 展示は十一月四日までで、一日は休館。入場無料。問い合わせは、同図書館=電042(558)1108=へ。
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大企業は大喜び

2013-10-24 18:26:26 | 政治
 自公政権の政策は、大企業のための、大企業が利益を最大限上げることができるような、そうした政策である。何と言っても、安倍政権は、世界一、企業が自由に活動できる国にしようというのだから、大企業は自民党に莫大な政治献金をするだろう。

 しかし、政党助成金が導入された理由は、政党がそうした献金を受け取るのは好ましくないということからだった。今や自民党は、国民からも大企業からも莫大なカネをせしめている。

 大企業は大喜び、自民党も大喜び。では国民は?

政治献金:経団連加盟企業が増額 08年度水準に
毎日新聞 2013年10月24日 10時05分

 経団連に加盟する大手企業は自民党に対する政治献金を今年度から上積みする方針だ。経済界では7月の参院選で自民党が圧勝したことを受け政権基盤の長期安定に対する期待が高まっている。民主党政権時代にパイプが細った自民党への支援態勢を強化し、法人実効税率の引き下げや踏み込んだ規制改革実現などに向けた環境整備を後押しする狙いだ。

 献金増額の流れを先取りしているのは電機や自動車などの製造業だ。

 電機業界は08年のリーマン・ショック後の業績低迷や09年の民主党への政権交代をきっかけに、自民党に対する献金を大幅に減らした。しかし、昨年末の自民党の政権復帰以降、日本電機工業会などの業界団体では政治献金のあり方について議論を続けている。東芝、日立製作所など複数の大手電機メーカー首脳は「業界内でも業績にばらつきがあり一律での引き上げは難しいが、自民党からの要請もあり、08年度の水準程度に戻すことになるだろう」と語った。

 円安の追い風で業績改善が進む自動車メーカー首脳も毎日新聞の取材に対し「政治にカネがかかるのは現実で、(企業献金の縮小・廃止という)理想論ばかり言ってはいられない」と述べ、今年度の献金を増額する考えを明らかにした。

 経団連の役員を務める大手商社や機械メーカーの首脳も同様の考えを示し「今年度の自民党への献金は増えるだろう」と語った。

 こうした企業は経団連が4年ぶりに再開した政策評価を軒並み歓迎。同評価や同業他社の動向をにらみながら献金額を決める意向を示している。
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自民党という政党

2013-10-24 08:38:58 | メディア
 日本という国家は、歴史や過去から学ぶことをせずに、きわめて近視眼的に、目先にぶら下がっている利益だけをもとめて社会を運営してきた。そうしたことが可能であるということは、国民もそういう姿勢をもっているということでもあるが、しかし原発の新設方針には驚きあきれる。自民党という政党は、根本から腐りきっているとしか考えられない。

 フクシマの原発事故がいまだ収束せず、放射能が垂れ流しの状態にあるという状況の中、小泉元首相がいうように、放射性廃棄物の処理方針もなくたまり続けているというのに、いまだに原発に執着するというのは犯罪的だ。

 来月から、福島第一原発4号機の核燃料を取り出し始めるという。きわめて危険な作業が始まる。

 以下は『毎日新聞』の記事。ボクは、「・・・批判が相次ぎそうだ」というメディアが多用する言い方は嫌いである。「・・そうだ」は、常に政治権力の悪行を指摘するときに、その悪の断定をさけるために使われる。「・・批判が相次いでくるだろう」というような書き方はできないものか。
 

原発:課題山積みも方針転換 建て替え容認で反発必至
毎日新聞 2013年10月24日 02時30分(最終更新 10月24日 02時41分)


拡大写真 政府・自民党が原発の建て替えを容認する方向となり、民主党政権時代の「原発ゼロ」方針からの転換が具体的に動き始めた。一方、東京電力福島第1原発の汚染水問題だけでなく、使用済み核燃料の最終処分場探しなど、原発の抱える課題は山積したまま。建て替えよりも急ぐべきことがあるのではないか、との批判が相次ぎそうだ。

 福島第1原発事故後の2012年6月に成立した改正原子炉等規制法は、原発の運転期間を原則40年間とするルールを定めている。経済産業省の試算では、新たな場所に原発を造る「新設」、既存発電所で原子炉を増やす「増設」、古い原子炉を廃炉する代わりに新しい炉を造る「建て替え」のいずれも行わない場合、2049年に国内の原発はゼロになる。「再生可能エネルギーがどこまで伸びるか見通せない中、原発ゼロになれば、将来、電力不足に追い込まれる」(経産省幹部)という危機感が、政府・自民党による建て替え検討の背景にある。原発建設の決定から運転開始までに10年以上かかることも、建て替えの議論を始めるべきだとの動きにつながった。

 さらに、原発が「将来ゼロ」と見られてしまっては、立地自治体から「政府方針があやふやな状況だと、(住民の理解を得られにくく)極めて迷惑」(西川一誠・福井県知事)などの不満の声が高まり、再稼働にも悪影響を及ぼしかねない。

 だが、原発への世論は依然厳しい。毎日新聞の世論調査(7月末)では、原発再稼働への「賛成」36%に対し「反対」は56%。小泉純一郎元首相が脱原発を支持したことを追い風に、自民党内でも「原発ゼロの道を必死になって模索すべきだ」(中堅議員)との声が上がっている。安倍晋三首相は「建て替え」路線を突き進むのか。世論の反発が予想される中、政府・与党の議論が曲折する可能性は残る。【大久保渉、小山由宇】
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金儲けのためには・・・

2013-10-24 08:12:31 | 日記
 民間企業のなりふりかまわず、カネ儲けに突進するすがたが顕著である。

 一流ホテルである阪急ホテルで、食材の偽装が発覚した。安い食材を仕入れ、あたかも高級品の食材を使用しているとして偽装表示してカネ儲けに走る。

 静岡県のウナギ業者は、中国や台湾産などのうなぎを、静岡産として大量に売っていた。

 これら両者は、弁解をしているが、いずれも偽装により、もっともっと金儲けを・・・という本質は変わらない。

 1990年代から顕著になった、金儲け至上主義。世界的に、正当な手段、適切な方法、儲けを公正に分配する・・・というような、資本主義社会に求められる倫理をかなぐりすて、とにかくカネ儲けにひた走る情景があちこちで見られるようになった。

 行政も、そういう場を企業に提供する。今まで公的機関が行ってきた業務を、民間企業に委託したり、指定管理に出したりして、低賃金労働者の増加に手を貸すようになった。

 民間でできることは民間で、という小泉政権時のことばが思い出される。しかし、民間は、金儲けのためにはなりふりかまわないという実態だ。

 阪急ホテルの偽装にしても、ウナギ業者にしても、それらの行為は詐欺に他ならない。法を犯しても、消費者をだましても、倫理もかなぐり捨てカネ儲けに邁進する現在という社会。

 少しずつ社会の矛盾を是正し、人々が人間らしく生きられるような社会をつくりだそうと、民主主義、人権、社会保障など、そうした制度がつくられてきた。

 だが、1990年頃から、野蛮な資本主義が世界を席巻するようになり、弱肉強食の社会が現出するようになった。そうした社会は、しかし自然につくりだされたものではなく、それにより利益を得ることができる者たちによりつくりだされてきたものだ。

 今や、そうした者たちが、政治権力を買収し、メディアを買収し、その方向をさらに推進しようとしている。
 だが、それに抗する力は弱くなるばかりだ。

 どうしたらよいか。社会の底辺に押し込められた人々からのうめき声が聞こえる。そうした声にどうこたえるか。
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戯れ言

2013-10-23 20:52:59 | 日記
 昨日、めまいがして、血圧をはかったら高いといわれ、ボク自身ショックを受けたことを記した。

 その日の夜、かかりつけの医者にみてもらったら、「高いけれども今すぐどうにかなるということではない。突然高くなったかどうかわからないので、(血圧手帳を渡されて)毎日測ってみてください」と言われた。

 昨日このことを町田の住人に話したら、昨日はうれしくて笑い続けたという。その原因は、牛肉を食べるからだという。彼はいつも米をひたすら好んで食べているので、ボクのように栄養を考えている者に敵意を抱くようだ。

 いずれにしても、塩分を少なくするとか、すこし注意した方がよいと思った。

 今日は、平常通りで、午後は歴史講座で、遠州地域の産業の歴史について2時間話したが、どうってことはなかった。いつもの元気が戻ったようだ。

 ボクの健康に不安が生じたとき、喜ぶ人もいれば、心配してくれる人もいる。後者には、感謝、感謝である。そういう人間がいるからこそ、生きていこうという気持ちが湧いてくる。

 毎週一回、テーマを変えて行う歴史講座はあと二回になった。一週間で準備して話さなければならないので、ボクにとっては重圧だ。残されたテーマは、「遠州報国隊」と、「東区と戦争」である。「遠州報国隊」については、遠州国学から検証しなければならない。多くの時間が必要だ。「東区と戦争」は、ほぼ見通しがついている。

 しかしもうじき終わるので、そしたら解放される。9月からの自由がないという状態に、ボクは耐えられなくなっている。

 11月には、憲法問題とTPPについての講演が決まっている。東京など大都市にはそれぞれの分野の専門家がいるが、地方はそうではない。様々なテーマを少数の者がこなしている。

 とにかく史資料や書物が、どんどん増えていく。それを欲しいという人がいるから、ボクは気兼ねなく増やし続けている。

 町田の住人が喜ぶことがないよう、健康で頑張り続けたい。 

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【本】本田靖春『警察回り』(ちくま文庫)

2013-10-23 12:20:04 | 読書
 「てめえ、表に出ろ」、これは本田が怒ったときに叫んだことばだ。解説の大谷昭宏は、本田が言論の自由を身を以て守ろうとして生きてきたことを振り返り、現在、言論の自由が侵されつつあるとき、それに抵抗しない者たちに、叫ぶであろうことばとして紹介している。

 戦後、侵略戦争という大罪を犯した日本についての認識を、政府権力者は別として、多くの日本人は持っていた。そういう時代に新聞記者となった本田は、そうした認識があった時代に、同時にいまだ「敗戦の痛手」のなか支配体制の構築が完成しなかった時代に、自由に、社会的正義を追求して、新聞にたくさんの記事を書いてきた。

 『読売新聞』記者として、正力松太郎という会社のトップが存在したときではあったが、記者としての自由を十二分に活用して、本田は生きてきた。

 ところが、支配体制が政治のレベルでも、会社の組織内部でも整備されてくる中で、自由は失われていった。

 今や多くの記者は、「社畜」とはいわないまでも、会社の手足としてこき使われるという存在と化している。

 本書は、自由が存在した頃の、社をこえての記者たちの交流と、トリスバー『素娥』のマダムである「バアさん」の人生の軌跡を織り交ぜながら、「戦後」という時代の挽歌として書かれたものだ。

 「戦後」は当然の如く、あの「戦争」を引きずっていた時代である。本田自身も含め多くの人が「戦争」にたいする認識を持っていた、いや持たざるを得なかったのだが、その中心に「台湾人」である「バアさん」がいた。「バアさん」は、本田たち「素娥」に集う者にとって、大日本帝国の台湾植民地支配の生き証人として存在していた。

 本書は、「バアさん」の生の軌跡を軸として、「素娥」に集った記者たちを周辺に配して、「戦後」を描くという、大ドキュメンタリーである。

 だが、「バアさん」の死と共に、「戦後」は終わり、言論の自由が消えていこうという社会システムができあがった。本田は、言論の自由があったときのことを書き記すことによって、言論の自由が消えていこうとしている時代に抗おうとした。

 本田は、今だったらもっと、「てめえ、表に出ろ」という叫びをあげなければならなくなっているはずだ。

 本田靖春の著書は、記者諸君はとにかく読まなければならないものだ。特に、『我、拗ね者として・・・』は。

〈付記〉 
 忙殺されているときであっても、旅行中であっても、読む時間があったらとにかく読む。読むという行為は情報を得るだけでなく、知力を鍛えることでもある。それなしに、人間は成長しない。

 


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「核」に親和的な日本政府

2013-10-23 08:23:40 | 読書
 21日、国連で核兵器の非人道性と不使用を訴える共同声明が発表された。このような声明はこれまで3回提出された。

 しかし、「唯一の被爆国」と自称する日本は、これに参加しなかった。なぜか。「アメリカの核の傘」のなかにいる日本は、アメリカによる核使用を認めたいからだ。

 アメリカに落とされた原子爆弾。それにより多くの被害を受け、いまだにその悲惨を背負わざるを得ない人々がいるというのに、日本政府はアメリカの核爆弾使用を認めていた。だから、その種の声明には加わってこなかった。

 日本政府というのは、それほどまでに、核と親和的であったのだ。それは、1945年から、実は続いている。戦時中、日本も核兵器の開発に取り組んでいた。日本はついに開発できなかった。

 そして広島・長崎への原爆投下直後から、日本政府、そして占領軍としてはいってきたアメリカ、両国は被ばくの程度をできうるかぎり軽く見せようと努めてきた。それはヒバクシャの認定でも、明らかだ。放射能による健康被害は、事実に基づいておこなわれるのではなく、被ばく者が少なくなるように線引きするという政治的な判断によって行われてきた。現在の被ばくの基準も、そうしたなかでつくられてきたもので、低線量被ばくについてはできうるかぎり認めたくないという姿勢が、福島でも濃厚である。

 要は、核兵器を使用することができるように、核の被害はたいしたことがないという宣伝を政治的に行ってきたのだ。

 日本政府は、今回、この種の声明にはじめて参加した。今まで「唯一の被爆国」が参加してこなかったという事実に、日本政府に対する国際的な信頼度もわかるというものだ。今回は、もう参加せざるを得ないという状況に追い込まれたのである。

 ところが日本政府は、核兵器の使用を何とか認めさせるべく、「大量破壊兵器の脅威を除去するため、あらゆる努力が必要」という文言を入れさせ、そこにその意図を読み込もうとしているのである。

 姑息な国、日本。

 国際社会において、日本は信用されていない。ただカネをだす国として重宝がられているに過ぎない。なぜなら、国際社会に於いて、日本は常にアメリカと共同歩調をとってきたからであって、アメリカのイソギンチャク・日本という見方は、国際社会では一般的である。

 今後安倍政権によって、アメリカの指図のもとに海外での武力活動を繰り広げていけば、そういう評価はもっと強まっていくことだろう。

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秘密保護法案に反対!

2013-10-23 08:19:47 | メディア
 きょうの『中日新聞』社説は、「戦前を取り戻すのか」というテーマで、特定秘密保護法案をとりあげている。

 安倍政権は、「戦争ができる国」へとまっしぐらに進もうとしている。その一つがこの法案だ。

「戦前を取り戻す」のか 特定秘密保護法案 2013年10月23日

 特定秘密保護法案が近く提出される。「知る権利」が条文化されても、政府は恣意(しい)的に重要情報を遮蔽(しゃへい)する。市民活動さえ脅かす情報支配の道具と化す。

 「安全保障」の言葉さえ、意図的に付けたら、どんな情報も秘密として封印されかねない。

 最高十年の懲役という厳罰規定が公務員を威嚇し、一般情報も公にされにくくなろう。何が秘密かも秘密だからだ。情報の密封度は格段に高まる。あらゆる情報が閉ざされる方向に力学が働く。情報統制が復活するようなものだ。一般の国民にも無縁ではない。

◆米国は機密自動解除も
 秘密保護法案の問題点は、特段の秘匿を要する「特定秘密」の指定段階にもある。行政機関の「長」が担うが、その妥当性は誰もチェックできない。

 有識者会議を設け、秘密指定の際に統一基準を示すという。でも、基準を示すだけで、個別案件の審査はしない。監視役が不在なのは何ら変わりがない。

 永久に秘密にしうるのも問題だ。三十年を超えるときは、理由を示して、内閣の承認を得る。だが、承認さえあれば、秘密はずっと秘密であり続ける。

 米国ではさまざまな機会で、機密解除の定めがある。一九六六年には情報公開を促す「情報自由法」ができた。機密解除は十年未満に設定され、上限の二十五年に達すると、自動的にオープンになる。五十年、七十五年のケースもあるが、基本的にずっと秘密にしておく方が困難だ。

 大統領でも「大統領記録法」で、個人的なメールや資料、メモ類が記録され、その後は公文書管理下に置かれる。

 機密指定の段階で、行政機関の「長」は常に「説明しなさい」と命令される状態に置かれる。機密指定が疑わしいと、行政内部で異議申し立てが奨励される。外部機関に通報する権利もある。

◆名ばかりの「知る権利」
 注目すべきは、機密は「保護」から「緩和」へと向かっている点だ。機密指定が壁になり、警察の現場レベルに情報が届かず、テロを招くことがある-。つまり情報は「隠す」のではなくて、「使う」ことも大事なのだ。

 日本は「鍵」をかけることばかりに熱心だ。防衛秘密は公文書管理法の適用外なので、国民に知らされることもなく、大量に廃棄されている。特定秘密も同じ扱いになる可能性がある。

 特定秘密の指定事項は(1)防衛(2)外交(3)特定有害活動の防止(4)テロリズムの防止-の四つだ。自衛隊の情報保全隊や公安警察などがかかわるだろう。

 四事項のうち、特定有害活動とは何か。条文にはスパイ活動ばかりか、「その他の活動」の言葉もある。どんな活動が含まれるのか不明で、特定有害活動の意味が不明瞭になっている。いかなる解釈もできてしまう。

 テロ分野も同様である。殺傷や破壊活動のほかに、「政治上その他の主義主張に基づき、国家若(も)しくは他人にこれを強要」する活動も含まれると解される。

 これが「テロ」なら幅広すぎる。さまざまな市民活動も考えているのか。原発がテロ対象なら、反原発運動は含まれよう。まさか軍事国家化を防ぐ平和運動さえも含むのだろうか。

 公安警察などが社会の幅広い分野にも触手を伸ばせるよう、法案がつくられていると疑われる。

 「知る権利」が書かれても、国民に教えない特定秘密だから名ばかり規定だ。「取材の自由」も「不当な方法でない限り」と制約される。政府がひた隠す情報を探るのは容易でない。そそのかしだけで罰する法律は、従来の取材手法さえ、「不当」の烙印(らくいん)を押しかねない。

 公務員への適性評価と呼ぶ身辺調査は、飲酒の節度や借金など細かな事項に及ぶ。親族ばかりか、省庁と契約した民間業者側も含まれる。膨大な人数にのぼる。

 主義主張に絡む活動まで対象範囲だから、思想調査そのものになってしまう。警察がこれだけ情報収集し、集積するのは、極めて危険だ。国民監視同然で、プライバシー権の侵害にもあたりうる。

 何しろ国会議員も最高五年の処罰対象なのだ。特定秘密を知った議員は、それが大問題であっても、国会追及できない。国権の最高機関を無視するに等しい。

◆目を光らせる公安警察
 根本的な問題は、官僚の情報支配が進むだけで、国民の自由や人権を損なう危うさにある。民主主義にとって大事なのは、自由な情報だ。それが遠のく。

 公安警察や情報保全隊などが、国民の思想や行動に広く目を光らせる。国民主権原理も、民主主義原理も働かない。まるで「戦前を取り戻す」ような発想がのぞいている。
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特定秘密保護法の危険性

2013-10-23 07:25:16 | メディア
 『東京新聞』などいくつかのメディアは、特定秘密保護法案に対する懸念をきちんと報道している。全国紙は、軒並み批判的な姿勢に欠ける。

  『神奈川新聞』の記事を紹介する。

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1310160017/

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1310170022/

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1310180008/

 民主主義の死への道のりが見えてきたような気がする。それでも、がんばらんと!
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押し寄せる「課題」

2013-10-22 21:27:40 | 日記
 今朝目覚めたら、めまいがする。体の調子がおかしい。食欲なし。しかし今日ボクには、非常勤の仕事がある。出勤して、そこで血圧をはかってもらったら、「高いですよ」。今まで血圧が高いなんてことはなかった。

 仕事が終わるやいなや帰宅し、横になる。少し楽になって昼は食欲がでてそばを食べる。そのうち、Kさんから電話。40分ほど話す。

 その後は、明日の歴史講座のレジメづくり。一週間で一つの講義の内容をつくるというのは、とてもたいへんだ。おまけに今回は、二日間家を留守にしたので、よけいに大変だ。にもかかわらず、明日の準備をしなければならない。

 そして夕方、医者に行く。経過観察しましょうという結論。毎日血圧をはかれ、ということだ。

 昨日は午後、「炎天下」、2時間ほど天竜川河口にいた。その後市役所で話し合い。海岸侵食のこと、浜松の区制度のことなど。海岸侵食については、きちんとそのメカニズムを摑む必要があると思った。

 往復の車の中で、自公政権が制定しようとする、戦時中の軍機保護法と同質の「特定秘密保護法」の説明を求められる。これについては、もっと情報を集めなければならないと思う。「国家機密法」制定が問題となったとき、戦時中の「国家機密」とはどういうものであり、どういう圧力が加えられたかなど調べて発表したことがある。反対運動などによりそのときは廃案になったが、今回は自民党が衆参両院を掌握している。難しい局面である。これについても、反対の動きを強めなければならない。メディアに対する統制でもあるのに、メディアはなぜかおとなしい。今のメディアは、国策の広報機関に堕しているからしかたがないか。

 そういえば、先週木曜日の講座の後、参加者から「TPP」のことを知りたいと言われる。11月にはTPPのレジュメを用意しなければならない。それに関係する資料は、すでにもってはいるが、多くの人にわかりやすいように加工しなければならない。

 明日の歴史講座。参加者から幕末の「報国隊」について知りたいというリクエストがある。来週はそれをやるつもり。今机の下には、その関係の本が並んでいる。

 今日、ポストを見たら『通販生活』の雑誌が入っていた。福島の子どもたちの甲状腺検査の特集を読む。福島原発の問題も、追及していかなければならない。

 時代が大きく変わろうとしている。もちろん「良くない」方向にである。それに抗するためには、様々な課題を攻勢的に捉えていかなければならない。

 それらの課題が、ボクに押し寄せている。その圧力が、血圧を上げているのだろうか。できうる限るのことをしていきたいと思う。休んでいる暇はない。

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養浜工事の怪

2013-10-21 20:43:07 | 日記
 浜松市が「三大砂丘」という中田島。しかしすでにその波打ち際は河原のように、礫に覆われている。浜松市が、ここをアカウミガメの産卵地としながら、カメは上陸し、産卵するところではなくなっている。

 「養浜」を名目とした工事が行われている。海岸浸食を防ぐためという目的の下、どこからか大量の礫や岩ともういうべき大きな石が入った土砂を海岸部に運び、波や雨により砂礫を供給するというのだ。

 私たちは、「養浜」という工事が「壊浜」であるとし、浜松市当局に何度も働きかけてきた。しかし市当局は海岸の管理は県であるということから、みずから動くことをせず、県にすべてを丸投げしていた。

 今日、私たちは、「養浜」のために海岸部に運んでいる土砂は「選別」されている(つまり大きな礫は取り除いている)というので、それを見に行った。

 ところが、「選別」は部分的に行われているだけであることを知った。

 国交省は、天竜川の洪水対策として、いつもどこかを掘削している。「河川内の土砂を掘削し、河川の水位を低下させることにより、洪水を安全に流下させる」(今日渡された資料の説明)工事である。その工事は、天竜川近くに住むボクが未だかつて経験したこともないような洪水のための工事である。

 掘削すると、とうぜん多くの土砂が生じる。その土砂をどうするか。何もなければそれを処分しなければならない。

 その土砂を中田島海岸(当局は篠原海岸と呼ぶ)に運び「養浜」に資することにすれば一石二鳥であるとして、国交省と県は手を結ぶ。

 今日、ボクたちはまず国交省の係官から、洪水対策の掘削事業の説明を受けた。最初戸惑った。なぜならボクらは、「選別」の作業を見に来たのである。ところがそういう現場ではなかった。

 その説明の後、今度は県の係官による「養浜」の説明を受けた。「養浜」につかう土砂については、掘削するときに一部をチェックして、大きな礫が入っていないような土砂を海岸に運ぶようにしているというのだ。すべてを「選別」するのではない。掘削地域の土砂の状態を予想して、「養浜」につかう土砂を決めているという。

 その土砂が、目の前に示された。確かに砂が多い。当たり前だ。天竜川河口部の中州の土砂であるから、大きな礫はあったとしても少ないのは当たり前。ボクらに見せることができる土砂、というわけだ。

 しかしすでに、海岸の波打ち際は、大小の礫で覆われている。その現実は変わらないし、今は礫の少ない土砂かもしれないが、ボクらが知らないときには、大小の礫が大量に入っているものを運ぶかもしれない。

 また県の係官は、「養浜」工事についていろいろ説明した。土砂を海岸部に運搬して土砂を供給しても、浸食は進むとも。ならばなぜ大金を投入して「養浜」工事をするのか。浸食を「遅らせる」という。

 よく「費用対効果」ということばを聞くが、ここではそれは考慮されていないようだ。

 ボクがもった感想。今まであったこともないような洪水が起きることを想定し、その時の大量の水を堤防の中に閉じ込めて流下させるために土砂を掘削する、その土砂の捨て場として中田島海岸がある。したがって、天竜川で掘削する土砂なら、大小の礫が入っていてもいなくても、とにかく海岸に運ぶ。海岸が礫だらけになっても、それは仕方がないことだ。海岸浸食を「遅らせる」ためなのだから。

 そして現在掘削している中州。そこを掘削しても、再び中州はできると地元の人は指摘しているという。ならばなぜ?土建屋に仕事を分配するため?疑惑は尽きない。

 だがその「遅らせる」ということについては、県の説明であってこちらが検証しているわけではない。今日聞いた話を、今後きちんと検証していくつもりである。

 
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社説

2013-10-21 07:49:16 | 読書
 社説というのは、こうでなくちゃあいけない。

 これは『中日新聞』(『東京新聞』)。今、全国紙には、こういう社説を書ける者がいない。

坂口安吾と憲法9条 戦争放棄という明察
2013年10月21日

 戦後の混乱期、「堕落論」で一躍人気作家となった坂口安吾は、戦争放棄の憲法九条を高く評価していました。それは今の時代状況にも通じる明察です。

 坂口安吾は、一九〇六(明治三十九)年のきのう十月二十日、新潟市に生まれました。今年は生誕百七年に当たります。

 東洋大学印度哲学科卒業後、作家の道を歩み始めます。文壇では高い評価を得ていましたが、世評的には不遇の時代が続きます。

 一変するのは戦後です。四六(昭和二十一)年、「新潮」に掲載された「堕落論」でした。

◆本質見抜く洞察力
 <戦争は終わった。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変わりはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕(お)ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない>

 国家のために死ぬことは当然、日本人なら清く正しく生きなければならない、と教え込まれていた当時の人々にとって、堕落こそ人間救済の道という逆説的な省察は衝撃的でもありました。本質を見抜く洞察力に貫かれたこの随筆を機に一躍、人気作家となります。

 太平洋戦争の開戦時、安吾は三十五歳。年齢故に召集もされず、四四(同十九)年には、日本映画社の嘱託となります。安吾の戦場は遠い戦地ではなく、幾度も空襲に見舞われ、降り注ぐ爆弾や焼夷(しょうい)弾から逃げ惑った東京でした。

 安吾自身、反戦主義者ではなかったようですが、戦争を冷徹な目で見ていました。四三(同十八)年、海軍の山本五十六元帥の訃報に接し、こう書き記しています。

◆根源から問い直す
 <実際の戦果ほど偉大なる宣伝力はなく、又(また)、これのみが決戦の鍵だ。飛行機があれば戦争に勝つ。それならば、ただガムシャラに飛行機をつくれ。全てを犠牲に飛行機をつくれ。さうして実際の戦果をあげる。ただ、戦果、それのみが勝つ道、全部である>(現代文学「巻頭随筆」)

 戦争に勝つには、精神力ではなく軍事力、国民を奮い立たせるのは、うその大本営発表ではなく真の戦果、というわけです。

 虚構ではなく実質。今となっては当然ですが、戦後六十八年がたっても色あせない洞察力こそが、今なお安吾作品が読み継がれている理由でしょう。

 「根源から問い直す精神」。評論家の奥野健男さんは、安吾の魅力をこう書き残しています。

 堕落論の約半年後、日本国憲法が公布されます。主権在民、戦争放棄、基本的人権の尊重を三大原則とする新しい憲法です。

 安吾の精神は、憲法論に遺憾なく発揮されます。特に、評価を与えたのが、国際紛争を解決する手段としての戦争と、陸海空その他の戦力を放棄した九条でした。

 <私は敗戦後の日本に、二つの優秀なことがあったと思う。一つは農地の解放で、一つは戦争抛棄(ほうき)という新憲法の一項目だ><小(ち)ッポケな自衛権など、全然無用の長物だ。与えられた戦争抛棄を意識的に活用するのが、他のいかなる方法よりも利口だ>(文芸春秋「安吾巷談(こうだん)」)

 <軍備をととのえ、敵なる者と一戦を辞せずの考えに憑(つ)かれている国という国がみんな滑稽なのさ。彼らはみんなキツネ憑きなのさ><ともかく憲法によって軍備も戦争も捨てたというのは日本だけだということ、そしてその憲法が人から与えられ強いられたものであるという面子(メンツ)に拘泥さえしなければどの国よりも先にキツネを落(おと)す機会にめぐまれているのも日本だけだということは確かであろう>(文学界「もう軍備はいらない」)

 東西冷戦に突入し、核戦争の恐怖が覆っていた時代です。軍備増強より、九条の精神を生かす方が現実的との指摘は、古びるどころか、今なお新鮮さをもって私たちに進むべき道を教えています。

◆改憲潮流の時代に
 安吾は五五(同三十)年に亡くなります。四十八歳でした。この年の十一月に結党された自民党は今、安倍晋三首相の下、党是である憲法改正を目指しています。

 自衛隊を「国防軍」に改組し、集団的自衛権を行使できるようにする内容です。首相は世界の平和と安定に積極的に貢献する「積極的平和主義」も掲げ始めました。

 しかし、ここで言う「平和」に実質はあるのか。軍拡競争をあおったり、米国の誤った戦争に加担することが、本当にないのか。

 本質を見抜き、根源から問い直す。安吾の精神が今ほど必要とされる時代はありません。
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