斎藤知事と風呂場で語り合った「1コ下」の元担当記者がみた知事の素顔 就任3年間で斎藤知事に何があったのか...
上記の記事を読んで思ったことを書く。
人間みんなチョボチョボだ、という認識を持つわたしは、いかなる有名人であっても、いかに地位が高い人であっても、近所の人でも、どんな人でも、わたしの対し方は変わらない。わたしが唯一考慮するのは「長幼の序」である。
さて、在職中の同僚の姿を見ていると、「長」の肩書きがつく人には、卑屈な態度を取っていたことを思い出す。「出世」して管理職になった人は、その前までは「ヒラ」なのだ。その「ヒラ」だった人が、「長」としての貫禄をつくっていくのは、周囲の卑屈な態度ではないか。
わたしは職場の組合の「長」になったことがあるが、職場の「長」と組合の「長」は同じ「長」なのであるから、対等に話すし、要求もする。兵庫県知事のような人間は、その人独自ではつくられない。まわりの卑屈な人間たちが祀りあげることによって、その人間を増長させ、エラそうな人格をつくるのだ。
兵庫県の職員は、おそらく県知事に対して卑屈な態度で接していたのだろう。なぜ卑屈になるかというと、「長」にゴマすることによって、みずからを引き上げてもらい、「出世」したいという魂胆を持っていたはずである。公務員はよほどのことがない限りクビにはならないから、ずっと「ヒラ」でも一定の給与は保障される。いいじゃないか、ずっと「ヒラ」でも。ひょっとして「左遷」されることはあるかもしれないが、自宅から通えるならそれでもいいじゃないか。
わたしは最初の赴任校でM校長と何度かわたりあい、4年過ぎたところで転勤することを命じられた。伊豆の南にある学校が赴任先である(「左遷」!!)が、わたしは内々示の段階で、いろいろ手を回してそれを阻止し、全県1学区の全寮制の農業高校(自宅から通える)に転勤した。転勤後、そこの校長から、「キミはそんなに悪い人間ではないなあ」といわれたことがある。おそらくM校長がわたしについてひどいことを書き送ったのだろう。
最後の学校で、こういうことがあった。翌日雪が降るという予報があった。たしかに雪が降ったが、わたしは公共交通機関をつかって何とかたどりつくことができた。ところが校長がいない。生徒や教員は、全員ではないが来ている。翌日、わたしは校長にこう言った。「雪が降ることは確実視されていたのだから、校長は学校近くのホテルかどこかに泊まるべきであった。校長の自宅が山間部にあるから車では来られないことはわかる、だからこそ、万難を排して出勤できるようにすべきだ。一部の教員や生徒は来ているのだから、責任者が来ていないのはおかしい」と。校長は、わたしの指摘が正しいことを認めた。
「ヒラ」であっても言うべきことは言う、そういう姿勢を堅持していれば、「長」が増長することはない。「長」がエラそうになるのは、まわりの人間の卑屈な姿勢である。まわりの人間が、エラそうな増長した「長」をつくるのだ。
なおわたしは、研究会や運動団体で「事務局長」という「長」のしごとはしたことがあるが、給与をもらうところでは、いっさい「長」の肩書きはつかなかった。ストライキで処分を受けたり、昇給延伸という「罰」を受けたことはあるが、それでもその給与で生きてこられた。