「ウクライナから問う」の『現代思想』の巻頭は、ウクライナの詩人の「ブチャの後で」という文である。
その文の最初に、ドイツの思想家、音楽家、哲学者・・が並べられる。そのような人たちを擁するドイツ国民は、アウシュビッツなど「ホロコーストの現象」などに対して、「何ら責任を負うことはない」とある。
これはフランクフルト学派のアドルノの「アウシュビッツの後で、詩を書くことは野蛮だ」ということばを意識している。
チャイコフスキーやプーシキン、トルストイ、ドストエフスキー・・・・・ロシアは、無数の文化人を輩出している。
ロシアの文化とロシアのこの蛮行は、果たして無関係なのか。プーチンを生み出したロシア(ロシアの人びと)には、「責任」はないのか。
このような問いを突きつける。何ということだ。このような問いは、近代日本が行ってきた無数の蛮行の「責任」を、オマエはどう考えるのかという「詰問」につながる。
きわめて重い問いである。ウクライナの詩人、ユーリイ・アンドルホヴィチの「ブチャの後で」は、まさに「ウクライナから問う」ている。