被差別部落の歴史や在日コリアンの歴史を調べた経験の中から、差別が社会的差別に「発展」する背景には、公的権力(国家など)によるお墨付きが与えられるからだ、という説を唱えてきた。
差別的な感情は日々生まれ消えていく、しかしその差別的な感情が社会に蔓延する場合、その背景には何があるかを考えるとき、一定の差別について国家など公的権力がお墨付きを与えるからだ、というものである。
図書館から、『ヘイト・スピーチの法的研究』(法律文化社)を借りだして読んでいたら、森千香子が「ヘイト・スピーチとレイシズムの関係性」において次のように記している個所に出会った。
「・・人間の不安は、レイシズムと自然に結びつくのではなく、人為的に「結びつけられる」ものである。そうであるならば、それを結びつけるのは何か。筆者は、それが国家であり、一部のマスコミの作用であるとの仮説を立てる。直接的な呼びかけでないが故に一見わかりにくいが、外国人に不利な措置を講じたり、移民を犯罪視するような政策(移民の安全保障化)をとったり、外国人への恐怖を煽るような報道をしたり、間接的かつ「洗練された」かたちで、国会やマスコミはレイシズムを涵養している。そうした「空気」がつくられ、上からの「お墨付き」をもらっているからこそ、在特会のような過激な運動は安心して、公然とヘイト・スピーチを叫ぶことができる。このようにレイシズムは国家をはじめとする「上」から作り出され、それが草の根の不満を方向付け、暗黙の承認を与えているのではないか。
このような仮説は、海外では「上からのレイシズム」論として確立されており、日本でも国家による制度化されたレース部の暴力やメディアが無批判に再生産する排外主義の影響についての分析が行われている。(中略)
したがってレイシズムの問題は「下層の不安から自然に発生する」と考えるのではなく、草の根のレイシズムが上から作られたレイシズムによって方向付けられ、上の動きに呼応するかたちで発展するという「相互作用」の視点から考える必要がある。」(11頁)
まさに私が以前から唱えていた説であり、それがこうして私とは無関係なところで語られるようになっている。
「差別」はいけないこと、それが社会的に常識とされていない社会では、必ず国家はじめ公的権力が差別的な政策を行っている。「差別」をなくすためには、まずもって、国家などによる「差別政策」をやめさせることが必要なのだ。