潜入ルポを果敢に行っている横田さんの4年前の大統領選挙(バイデンが当選したとき)の際、トランプの応援ボランティアとして「潜入」した経験を描いた部分と、最近の兵庫知事選の取材で得たことが書かれた部分が、違和感なく統一されている。
というのも、トランプの信者も、斎藤応援団も、同じ特徴を持つからだ。彼らは、新聞を読まず、テレビを見ず、「自分が信じたいと思う情報」をネット、SNSから拾い出し、そのなかに“真実”を発見し、それ以外の情報を「敵」の情報だとして、烈しい敵意を示す。
そのトランプは、平気で嘘を振りまく。「トランプとウソが不可分」なのだ。『トランプ自伝』には、こう書かれているそうだ。
宣伝の最後の仕上げははったりである。人びとの夢をかきたてるのだ。人は自分では大きく考えないかもしれないが、大きく考える人を見ると興奮する。だからある程度の誇張は望ましい。これ以上大きく、豪華で素晴らしいものはない、と人びとは思いたいのだ。私はこれを真実の誇張と呼ぶ。これは罪のないホラであり、きわめて効果的な宣伝方法である。(146)
この言説は、ヒトラーの『わが闘争』に相似しているし、最近の兵庫県知事選に絡む立花某の言動にも通じる。
また横田さんは、こうも指摘している。
扇動政治家が政治の頂点まで上り詰めると、その暴君が民主主義を破壊するのを食い止める手段は限られている。いずれの民主主義国家も、こうした独裁者が政権をとることを前提として作られていないからだ。(373)
日本でも、ウソをつき続けた首相がいた。彼は、日本の民主主義を破壊し、その延長線上に今がある。
トランプがつき続けたウソは、人びとの認識に揺らぎをもたらし、事実とウソの間の境界線を曖昧にするのに役立った。(368)
トランプと仲良しだった安倍も、ウソをつき続け、事実を無視し続けた。それが庶民のなかにも広がった。
トランプは自分の発言を、ほんとうだと証明しない。トランプ自身が証明できないことを知っており、証明するつもりもないからだ。ウソを証明するのは、敵対する陣営の仕事だとして放棄している。だから、事実確認(ファクトチェック)で、間違いを指摘されようとも平気なのだ。(369)
ウソをウソのまま流れていかないように、それがウソであることを、ウソをつかない人びとが証明していかなければならない、民主主義を守るということは大変なことだ。
トランプ現象は、石丸現象、立花現象として、日本にも現れ、それが大きな力をもつようになっている。兵庫県知事選に関わって、悪質なデマを流した立花がいまだ逮捕されないことを考えると、日本の国家権力は、立花の言動を許容している、利用しようとしているように思える。
日本やアメリカの民主主義の背後から、葬送行進曲が聞こえてくる。