『週刊金曜日』11月10日号の「金曜ジャーナリズム塾」に登場したもと朝日新聞記者の諸永裕司の発言の中に、斎藤茂男という名をみた。
斎藤茂男は、共同通信記者で、強い課題意識をもっていた。若い頃、ペンネームを使ってジャーナリズム研究をしていた私も注目し、彼が代表して取材して本にしたもののほとんどを読んでいた。
今日、図書館から諸永の『葬られた夏 追跡下山事件』を借りてきて、一気に読んだ。1949年に起きた下山事件、国鉄総裁であった下山定則が謀殺され、それを契機にして国鉄のたくさんの労働者ガクビを切られた。下山事件により、誰が利益を得たかを考えれば、支配権力の一味による殺人であることは一目瞭然である。
しかしいまだに、自殺説、他殺説があり、他殺の場合は誰が殺したのか、という問いは未解決のままである。
斎藤茂男もこの問題を追及した。しかし道半ばで終わった。
そのあとを継いで追跡したのが諸永であった。この追跡は、斎藤茂男の取材を引き継いで行われたことは明らかである。残念ながら、70年以上前の事件であるから、事件の全容を明らかにすることは無理である。しかし、無理であることが予想されていても、諸永は果敢に追跡した。
読んでいて、歴史研究の一端を担ってきた私からみても、よくもこういう人物をさぐり当てることができた、という感嘆の声をあげるしかなかった。歴史的事件を追跡するというのは、とてもたいへんなことで、追跡するということは、証拠を積みあげることにほかならない。それは文書であったり、当事者の体験談であったりする。それはしかし、そこらに転がっているわけではない。地道な調査が必要であり、その調査は空振りすることが多い。しかしそれでも、それらを求めて歩きつづける。
その過程が、とてもよくわかる内容となっている。鋭い問題意識と熱意、そして考察や推理・・・・・調べるとはこういうことだ、という実例となる。
下山事件について、自殺説、他殺説を明らかにするのではなく、結果的に、謀殺した者たちは、自殺・他殺を明確にしないままにしておくことを選択したのではないか、謀殺に関わっていたかもしれない国鉄労働組合の右派(民同)活動家への言及、事件の背後にある「反共」で意思を統一する者たちの暗躍・・・・諸永は、下山事件に新たな知見を提供したという気がする。
とても良い本である。