今日の太陽光線は強く、2時間ほど畑にいただけなのに、その熱が身体の中にこもっている。タネから育てた赤タマネギがほどよい大きさになり、茎が折れて収穫を待つ。今日もそれをいくつか収穫してきた。私のいつもの日常は続いている。
それが途切れてしまうこともあることを、ウクライナは教えてくれる。
ロシアの侵攻、ウクライナの殺戮と破壊。なぜこんなバカなことが起きたのか、私は知りたい。
そのために『現代思想』6月臨時増刊号を読んでいるが、今日、ひとつホッとしたことがあった。
私の青春は、ドストエフスキーをはじめとしてロシア文学で覆われていた。しかしそのロシアが、かくも残虐な行動を起こしたことに、ロシアの音楽も文学も責任を負わなければならない、となると、それを吸収して人格をつくってきた私はどうすればよいのか。
だが今日、サーシャ・フィリペンコの文を読んでほっとした。といっても、そこに日本との相似をみてしまったので、恐怖感もないわけではない。
サーシャは、ロシア人との対話の中で、以下のような気持ちを抱いた。
ロシアの根本的な問題はここに潜んでいるんだー疑問に思い、自らの過ちを認めるー負けを認めることができないというところに。自分が間違っていると認めるよりは死んだ方がましだというような風潮に。まるで疑問に思うということも、自分の弱いところを見せることのように思っていて、何世紀も強さを崇拝してきた国ではそんなことはしてはいけないかのようだ。
ロシアの教育システムは全体的に「学ぶ」ことよりも「暗記」にばかり重点を置いている。知識とは学んで会得するものではなく、まるでウィルスのように移植されていく。
疑念をもたない人間を、「暗記」するという教育で育てている。サーシャは、それに疑問を持つ。では、ずっとロシア人は疑念を持たないできたのかというと、そうではないと、この文を訳した女性が「訳者解題」で書いている。
ドストエフスキーにしろトルストイにしろ、その作品や思想を、そこに描かれた「疑念」なしに捉えることはほぼ不可能である。ところがそういった文学や思想がありながら、ロシアの学校教育はその「疑念」をことごとく潰し、年々画一性を強めてきた。ソ連崩壊後にいっとき自由な大学教育が生まれ、教科書のない講義やゼミが開かれていたし、選択科目の幅も広がっていた。ところが2000年代以降、大学の自由は徐々に規制されて教科書の暗記型に狭められ、義務教育では教科書の軍国主義化が進み、その動きは2014年を境に急速に加速した。
ということは、「疑念」が重視されていた時代もあり、だからこそドストエフスキーやトルストイがすばらしい文学を書くことができたのだ。ソ連の時代とそれ以降より、ロシア帝国時代の方が、「疑念」は社会の中に生きていた、ということになる。
しかしこれらの文を読み、日本はソ連の時代とそれ以降とよく似ていることを知ってしまった。日本の学校教育は、「疑念」を育てない。そういう教育がなされると・・・
現代ロシアでは、リベラルと呼ばれる人々とも、リベラルを侮蔑する人々とも対話が続けづらいことも多い。疑念の文化がないのだ。議論をする時も、その目的は相手を敵のようにみなして「言い負かす」ことのように思って人がとても多い。ほんの一歩でもいいから(もしそれが可能なら)正解に近づくために話をしようという努力をしない。
ロシアのプロパガンダマシーンがあんなに効率よく効果を発揮しているのは、社会に疑念の生きる余地がないせいのように思われる。よけいなことをしても無駄だという社会構造。テレビ視聴者は、国営放送が見せるものを疑うだけの余裕を与えられていない。国営放送のスタッフの大半は、自分たちの仕事によって何かが変わることなどないと考え、国家が命じる方針を疑いもしない。
何とまあ、日本とロシアがかくも似ているとは。
現代のロシアの社会は反対意見に結びつくような「疑問」そのものが、あがってこない構造になっているのだということだ。
大きな間違いを犯したロシア、それと相似的な日本、日本も又、ロシアのような間違いをしでかすのではないかと、「疑念」を私は持ってしまうのだ。