学校現場の不祥事、教育委員会の対応が批判されている。
流山市教委いじめ対応 前調査会会長、異例の批判
姜尚中、神戸教諭いじめ事件で「思い出される戦後文学『真空地帯』」
教育委員会の職員は、おそらくほとんどが教員で、いずれは管理職となる面々である。管理職になる人は、教え方がうまいとか、指導力があるというのではなく、付け届けをしていた者、議員などとつながりがある者、ひたすら忠臣として上位の者に媚びへつらった者などである。自主自立の教員は、教育委員会にはいかないで、ヒラのままで終わる。
だから教育委員会の職員は、いずれ管理職として学校現場に戻ることを考えて行動する。そしてそのためにはみずから責任を負わないように、のらりくらりの日々を送る。教育委員会時代に責任を追及されることにでもなったら、あとの管理職としての「おいしい」日々が来なくなるかも知れないし、「おいしくない」日々となってしまうかもしれない。
『AERA』の姜さんのいうことはごもっともで、学校こそ今や「上意下達」の軍隊並みの組織となっている。校長の意見は、すでに「上官の命令は天皇陛下の命令だと思え」である。このようにしたのは、戦前から文部省に巣くっていた天皇制官僚が戦後なんの咎めもなく居座り続け、戦後の民主的な教育改革を換骨奪胎して戦前に戻そうと、自民党の国会議員らと手を携えて頑張ってきたからだ。今や、学校現場は、戦前の天皇制教育の現場と見間違うほどになっている。子どもたちが学校に「適応」できなくなっているのは当たり前なのだ。
聞いた話だが、静岡県西部の中学校では、新任の校長が赴任する最初の日には、全職員が校門で出迎えるという「麗しい」習慣があるという。
今問題になっている神戸市教育委員会。神戸市長が子どもたちに事故が多発しているから組み体操をやめてほしいと言っても、言うことをきかずに存続させようとしているようだ。子どもの安全よりも、戦前からの「伝統」を墨守したい教員や教育委員たち。
教育は、もはや死にかけている。文科省のトップがあいつだから仕方ないか・・・!
流山市教委いじめ対応 前調査会会長、異例の批判
姜尚中、神戸教諭いじめ事件で「思い出される戦後文学『真空地帯』」
教育委員会の職員は、おそらくほとんどが教員で、いずれは管理職となる面々である。管理職になる人は、教え方がうまいとか、指導力があるというのではなく、付け届けをしていた者、議員などとつながりがある者、ひたすら忠臣として上位の者に媚びへつらった者などである。自主自立の教員は、教育委員会にはいかないで、ヒラのままで終わる。
だから教育委員会の職員は、いずれ管理職として学校現場に戻ることを考えて行動する。そしてそのためにはみずから責任を負わないように、のらりくらりの日々を送る。教育委員会時代に責任を追及されることにでもなったら、あとの管理職としての「おいしい」日々が来なくなるかも知れないし、「おいしくない」日々となってしまうかもしれない。
『AERA』の姜さんのいうことはごもっともで、学校こそ今や「上意下達」の軍隊並みの組織となっている。校長の意見は、すでに「上官の命令は天皇陛下の命令だと思え」である。このようにしたのは、戦前から文部省に巣くっていた天皇制官僚が戦後なんの咎めもなく居座り続け、戦後の民主的な教育改革を換骨奪胎して戦前に戻そうと、自民党の国会議員らと手を携えて頑張ってきたからだ。今や、学校現場は、戦前の天皇制教育の現場と見間違うほどになっている。子どもたちが学校に「適応」できなくなっているのは当たり前なのだ。
聞いた話だが、静岡県西部の中学校では、新任の校長が赴任する最初の日には、全職員が校門で出迎えるという「麗しい」習慣があるという。
今問題になっている神戸市教育委員会。神戸市長が子どもたちに事故が多発しているから組み体操をやめてほしいと言っても、言うことをきかずに存続させようとしているようだ。子どもの安全よりも、戦前からの「伝統」を墨守したい教員や教育委員たち。
教育は、もはや死にかけている。文科省のトップがあいつだから仕方ないか・・・!