1906年の「渋民日記」は、内容豊かで、感動すら覚える。さすがに「詩人」だけあって、唸るような表現がある。啄木は二十歳である。
四月24~28日
自分は、涙を以て自分の幸福を絶叫する。
そしてこれも。名文だと思う。
渋民村の皐月は、一年中最も楽しい時である。天下の春を集めて、そしてそれを北方に送り出してやる時である。花といふ春の花は皆この五月に咲き、鳥という春の鳥は皆この五月に啼く。山も野も人の心も春の装束をつけて乾坤の笑を湛えるのはこの五月である。五月は春の盛りで、又、趣深き行春の季(とき)である。
下線の部分に、私はいたく感動した。
ついでに徴兵検査の日の日記を紹介しよう。彼の検査は、4月21日であった。検査の結果は、
身長は五尺二寸二分、筋骨薄弱で丙種合格、徴集免除、予て期したる事ながら、これで漸く安心した。
自分を初め、徴集免除になったものが元気よく、合格者は却って頗る銷沈して居た。新気運の動いてゐるのは、此辺にも現はれて居る。
(中略)
一家安心。
日露戦争後の、軍隊に対する意識である。啄木は、「新気運」と書いたが、日露戦後、「文壇では硯友社一派の封建的遺習に対して自然主義、現実ばくろがさけばれ、個性の尊重、個人の解放が合言葉となり、政治的には軍部と藩閥批判、普選の要求、そして社会主義運動が頭をもたげ」(山川菊栄『二十世紀を歩む』)るなど、新しい動きが出て来た。渋民村でも、そうした気運があったということなのだろう。
四月24~28日
自分は、涙を以て自分の幸福を絶叫する。
そしてこれも。名文だと思う。
渋民村の皐月は、一年中最も楽しい時である。天下の春を集めて、そしてそれを北方に送り出してやる時である。花といふ春の花は皆この五月に咲き、鳥という春の鳥は皆この五月に啼く。山も野も人の心も春の装束をつけて乾坤の笑を湛えるのはこの五月である。五月は春の盛りで、又、趣深き行春の季(とき)である。
下線の部分に、私はいたく感動した。
ついでに徴兵検査の日の日記を紹介しよう。彼の検査は、4月21日であった。検査の結果は、
身長は五尺二寸二分、筋骨薄弱で丙種合格、徴集免除、予て期したる事ながら、これで漸く安心した。
自分を初め、徴集免除になったものが元気よく、合格者は却って頗る銷沈して居た。新気運の動いてゐるのは、此辺にも現はれて居る。
(中略)
一家安心。
日露戦争後の、軍隊に対する意識である。啄木は、「新気運」と書いたが、日露戦後、「文壇では硯友社一派の封建的遺習に対して自然主義、現実ばくろがさけばれ、個性の尊重、個人の解放が合言葉となり、政治的には軍部と藩閥批判、普選の要求、そして社会主義運動が頭をもたげ」(山川菊栄『二十世紀を歩む』)るなど、新しい動きが出て来た。渋民村でも、そうした気運があったということなのだろう。