この連休は、浜松祭である。しかし私の日常は全く変わらない。
凧揚げと御殿屋台の引き回しが、浜松祭である。この祭、旧浜松町、つまり浜松市の中心部だけの祭であった。戦後浜松市に合併した周辺の町は、浜松祭とはいっさい関係がなかった。
浜松の中心部に生まれた者たちは、浜松祭が好きでたまらないようだ。私は中心部にある高校に通ったが、中心部の同級生たちは、この時期になると雰囲気が変わった。
私が生まれた町では、ずっと昔から天龍川の川原で、八月中旬花火大会をやっていた。周辺からもそれを見に、多くの人が来た。
ところが、そうした特徴ある祭をもっていない、いなかの町は、秋祭りのみ。御殿屋台とはとてもいえない屋台を引き回すだけの、寂しい祭であった。そうした祭は、その町の中で完結していた。
いつ頃からか、浜松市の周辺の町々が、浜松祭の凧揚げに参加するようになった。私が今住んでいる町でも、参加するようになった。参加してからもう10年以上経過しているだろう。その祭に、自治会は100万円以上の自治会費を投入する。いうまでもなく、飲み食いにもつかわれる。
昨晩も、今晩も、祭に参加した集団が、町内を大声を出して走り回る。これを練りという。いつの頃からか、浜松では「激練り」などというようになった。中心部では御殿屋台が集まり、確かに美しい夜をつくりだしている。ところが御殿屋台をもたない周辺の町では、夜の静寂を破壊する「激練り」だけがおこなわれる。
はっきり言って、うるさい。酒を食らった者どもが、傍若無人にふるまうだけの祭である。酒飲みは、タダ酒を飲めるからだろう、顔を赤らめてワッショイ、ワッショイと駆け足で町内をまわる。
私が生まれた町は、浜松祭には参加しない。昔からの花火大会だけを守りつづける。そうでなくてはいけない。
浜松市の周辺、プライドなき町のなかを、顔を赤らめた集団が、夜のしじまを破壊しながら駆け回っている。
凧揚げと御殿屋台の引き回しが、浜松祭である。この祭、旧浜松町、つまり浜松市の中心部だけの祭であった。戦後浜松市に合併した周辺の町は、浜松祭とはいっさい関係がなかった。
浜松の中心部に生まれた者たちは、浜松祭が好きでたまらないようだ。私は中心部にある高校に通ったが、中心部の同級生たちは、この時期になると雰囲気が変わった。
私が生まれた町では、ずっと昔から天龍川の川原で、八月中旬花火大会をやっていた。周辺からもそれを見に、多くの人が来た。
ところが、そうした特徴ある祭をもっていない、いなかの町は、秋祭りのみ。御殿屋台とはとてもいえない屋台を引き回すだけの、寂しい祭であった。そうした祭は、その町の中で完結していた。
いつ頃からか、浜松市の周辺の町々が、浜松祭の凧揚げに参加するようになった。私が今住んでいる町でも、参加するようになった。参加してからもう10年以上経過しているだろう。その祭に、自治会は100万円以上の自治会費を投入する。いうまでもなく、飲み食いにもつかわれる。
昨晩も、今晩も、祭に参加した集団が、町内を大声を出して走り回る。これを練りという。いつの頃からか、浜松では「激練り」などというようになった。中心部では御殿屋台が集まり、確かに美しい夜をつくりだしている。ところが御殿屋台をもたない周辺の町では、夜の静寂を破壊する「激練り」だけがおこなわれる。
はっきり言って、うるさい。酒を食らった者どもが、傍若無人にふるまうだけの祭である。酒飲みは、タダ酒を飲めるからだろう、顔を赤らめてワッショイ、ワッショイと駆け足で町内をまわる。
私が生まれた町は、浜松祭には参加しない。昔からの花火大会だけを守りつづける。そうでなくてはいけない。
浜松市の周辺、プライドなき町のなかを、顔を赤らめた集団が、夜のしじまを破壊しながら駆け回っている。