goo blog サービス終了のお知らせ 

浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

アメリカのシリア空爆

2017-04-08 23:42:04 | その他
 化学兵器をシリアが使用する、必然性はあるのだろうか。化学兵器を反政府勢力に使用させ、それを契機にアメリカがシリアを攻撃する、これは以前聞いたことがある話だ。

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-c2bb.html

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201704070003/


 だいたいアメリカは、シリアを攻撃する資格があるのか。アメリカの命令を聞かない国々を「悪の枢軸」として名指しし、たとえばイラクのフセイン政権を破壊し、ISなる凶暴な集団をつくりだした。アメリカはその責任をとったのか。

 シリアの内戦も、アメリカが反政府勢力にカネをはじめ、様々な援助を行うことによって、このように長期の不幸な出来事が続いているのだ。

 アメリカの謀略は、現在も続いている。国際連合が、テロ国家と認定した国は、ただ一つである。それはUSAである。それを忘れてはならない。

地域紙の役割

2017-04-08 22:18:16 | その他
 『朝日』、『毎日』、『日本経済新聞』などは全国紙、『中日』、『北海道新聞』、『中国新聞』などはブロック紙、そして県ごとに発行されているのが県紙である。それ以外に、地域紙という新聞がある。

 今月号の『Journalism』に、藤森研氏が「地域紙」について書いている。藤森氏が注目するのは、東日本大震災の被災地で発行されている、『石巻日々新聞』などであるが、そうした地域紙の役割に光を当てている。

 私も、地域紙の役割を書いていこうという思いを持っている。というのも、静岡県の様々な運動を調べていて、その運動に地域紙が大きな役割を果たしていることに気付いたからだ。

 有名な沼津三島コンビナート反対の闘いでは、『三島民報』、『沼津朝日』がなかなかよい報道をしていた。こうした地域紙は、静岡県では東部に多い。西部は、掛川市の『郷土新聞』くらいで、浜松市にはない。

 県紙である『静岡新聞』は、きわめて保守的な新聞として戦後「活躍」してきた。今は少しその傾向が薄められているような気がするが、本質的には変わらない。県内の政治的・経済的な支配層との結合が強い新聞である。

 そういう立場の県紙である『静岡新聞』であるから、県庁や経済界などいわば権力からの視点による報道となりがちである。また県内全体の記事で埋めていくわけであるから、一つの地域の問題を詳しく報じるということは難しい。

 コンビナート反対闘争では、地域紙が、地元の人々の懸念など住民の意識や動きを報じ、また市や市議会などの動きも詳細に伝えていた。それが反対闘争をする人々の情報共有に大いに役立っていたのではないかと推測している。

 地域紙は、地域に密着しているが故に、その地域の問題点などを取り上げていけば、それなりの力を発揮するのではないかと思う。私も資力があれば、発行したい気持ちを持っている。

残念だけど・・

2017-04-08 17:27:38 | その他
 『神奈川大学評論』86号からは、残念ながら、あまり知的触発を受けなかった。

 和田、小森田、亀山の座談会では、亀山の議論だけが面白かった。小森田は司会と言うことだからあまり積極的な発言はしていないが、亀山の文化に関する主張はおもしろかった。

 20世紀の作曲家のランキングは、ストラヴィンスキー、ドビュッシー、ショスタコーヴィッチ、プロコフィエフ、ラフマニノフの順で、ほとんどがロシアの作曲家であるということを指摘し、「20世紀のロシアが抱えた苦しみを生きぬいた芸術家たちが、その苦しみを糧に現代文化の第一線に躍り出ている」という。なるほどそうだろう。ロシアの音楽や文学は、20世紀だけではなく、底知れぬ深さをもっている。そうした芸術が生まれてくる土壌とは一体何であるのかを思うとき、わたしはそこに「圧政」を想起してしまう。ソビエトロシアの前は、ツアーリズムであった。

 それ以外の指摘は、とりたてて紹介したいものではない。

 その他の論考も、それぞれが自らの著書に記したエッセンスを書いているので、どうしても実証面や、論証面で浅いものになってしまっている。

 その中でも、白井聡の論考の「行動的ニヒリズム」は、考えさせられた。詳しい紹介はしないが、もっとも刺激的であった。

 「現在の秩序に対してどれほど強烈な否を突きつけられるのか、言い換えれば、現に在る世界を究極的に義認するのか否か、という政治神学的次元が選挙戦の過程を通じて露になってきたように見える」という叙述。アメリカ大統領選には、それが見えたような気がする。

 羽場久美子の、欧州の右派勢力を支援しているのがロシア政府だという指摘をどう考えたらよいのだろう。

 以前、『現代思想』が「ロシア」を特集したことがあるが、そのほうが面白かった。

 この本は、すぐに書庫行きとなる。要するに、長文の悪文がいけないのだ。この本からは、ロシア革命100年を再考しよう、引用された書籍を読んでみようなどという積極的な意欲がわいてこない。そういう意欲を喚起しないものは、ダメなのだ。


好まれる人物

2017-04-08 07:25:29 | その他
 嘘を平気でつける人こそが、現在の支配層に好まれるのだ。

 知事になるまでは、報道の現場にいたであろうその人は、立候補するときから平気でウソをついた。きっと報道に従事している時も、事実ではなくフェイクNewSを届けていたのだろう。どこの局にこの人はいたのだろうか。

https://mainichi.jp/articles/20161211/ddm/005/070/012000c

https://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/article/319948

 私はこういう人物をもっとも嫌う。私自身と全く考え方が異なるひとであっても、考え方が一貫している人とはつきあう。しかしひょいひょいと変節する人間は信用できない。、そういう人物とは、すぐにつきあいをやめる。

 こういう輩は、しかしなかなか多いのだ。世の中をうまく立ち回りながら生きていく。勝手にしやがれ、というしかない。

 鹿児島県民は、次回の選挙でどう判断するか。