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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

野田民主党政権、恐るべし

2012-07-08 08:32:14 | 日記
 野田政権は、「国家戦略室」なるものを設置して、これからの日本をどうするかの設計図を加工としている。昨日、その報告書が公表された。その内容は、恐るべしである。下記にアクセスすれば、その内容を読むことが出来る。

 http://www.npu.go.jp/

 その一部が、日本経済新聞に報道された。
http://www.nikkei.com/article/DGXNZO43478440X00C12A7EA2000/


 何と「40歳定年制」が出てきている。その「繁栄のフロンティア部会報告書」には、自民党・公明党政権時代を上回るような、資本、企業がさらに金儲けできるような社会の設計図が書き込まれている。

 21世紀は、庶民にとって、暗澹となるしかない時代となろう。

 どのようにしたら、現状を変革できるか、真剣に考えないとたいへんな時代になる。

金儲けこそが資本主義の本質

2012-07-08 08:12:43 | 日記
 今まで、政府や自治体が、利潤を追求しない仕事を、市民サービスとして行ってきた。たとえば図書館である。自治体が市民サービスの一環として、書籍などを購入し、市民に貸し出している。当然儲かるサービスではない。

 ところが、そこで働いている人々の多くは自治体の正規職員ではない。館長を除き、ほとんどが非正規職員である。

 また近年は、図書館の運営も自治体が行うのではなく、指定管理者制度を利用して民間企業に管理運営を任せるケースが増えている。その目的は経費削減である。今まで自治体が直接管理運営していた経費を下回る管理運営費を支払って、民間企業にまかせるのだ。当然利益が上がる仕事ではないから、民間企業は利益を出すためには低賃金労働者を雇うということになる。それ以外に利潤をうみだすことはできない。

 自治体、すなわち公的機関が低賃金労働者を生み出している。「官製ワーキングプア」である。

 利潤を追求しない自治体の仕事が、こうして民間企業のカネ儲けの手段となっているのである。

 つくられた財政危機のもと、自治体は、経費の削減ができるから喜んでいるかもしれないが、しかし低賃金労働者は所得が少ないから、所得税をあまり払わないし、さらに市民税・県民税もあまり払わない。

 低賃金労働者を生み出すということは、政府や自治体の収入が増えないということでもある。非正規労働者の平均年収は200万円以下だという。これでは結婚や子育て、家の新築などできるわけがない。

 ちなみに政府の「少子化対策」などは口先だけで、実際に取り組むことはしていない。真の「少子化対策」とは、若者に家族を養える所得を保障することである。

 話が少しずれたが、今資本(増殖するカネ)は、ありとあらゆるものを金儲けの手段と化している。

 震災瓦礫の処理もそうだ。たとえば東日本から北九州市に瓦礫を運搬し。試験的に処理する費用は、何と1400万円だそうだ。本格的な処理になるとどれほどの金額になるか。震災を口実に、全国の企業に金をばらまいているのだ。

 資本主義は、その野蛮な本質を隠そうとはしていない。

戦略としての財政危機

2012-07-08 08:09:54 | 日記
野田民主党政権による犯罪的な消費税増税。その法案が衆議院を通過したとき、テレビのニュースの街角インタビューでは、財政危機を理由として、増税を容認する声が聞かれた。何という市民のお人好し。これも仕方がない。マスメディアのほとんどが、増税策推進の広報機関と化しているからだ。

新自由主義の政策展開を振り返ると、財政危機は戦略として、あえてつくりだされたものであることを知っておいた方がよい。まずそもそも、市民には、政府や自治体の借金について責任はないのだ。

新自由主義の政策は、1980年代、イギリスはサッチャー、アメリカはレーガン、日本は中曽根によって開始された。

少しさかのぼって1920年代のアメリカ。アメリカは好況であった。企業に対する規制はなく、富裕者への課税率は低く、労働運動も低調で、富裕者は思う存分カネ儲けに走った。1923年から29年にかけて、所得増加の70%が1%の超富裕者に帰属し、下層の90%は15%増加しただけだった。この状態が、1929年の世界恐慌を招いた。無秩序な資本主義は社会を破壊するという深刻な体験から、アメリカはニューディール政策を展開した。金融市場への統制、完全雇用政策、財政出動による景気刺激策など。第二次大戦後、この政策は全面的に開花した。労働運動も発展し、アメリカには巨大な中間階級が出現した。その一方で、富裕層の力は削がれていったが、彼らは1920年代の復活を虎視眈々と狙っていた。

1970年代、石油危機などに見舞われる中、利潤率と株価の低落に際会した富裕者は反撃を開始した。資金を集め、大学にカネを寄付して知識人を丸めこみ、メディア支配を強めた。そして、彼らはみずからの利益の代弁者としてレーガンをホワイトハウスに送り込んだのだ。

レーガンは、金融市場の規制緩和、富裕者への大幅減税、労働運動に対する抑圧などの政策を展開し、その結果、上位1%の富裕者の所得は50%上昇した。それとともに、軍拡を推進して巨額の財政赤字をつくった。レーガン政権の予算担当者(デヴィッド・ストックマン)は、後に「計画は、まず財政赤字をつくり出し、その次にそれを利用して、社会的保護や社会福祉プログラムを削減ないし廃止する口実にすることであった」と告白している。

財政危機は、彼らの戦略なのである。財政危機を口実に、庶民増税を行い、企業や富裕者の負担を軽減し、同時に社会保障を削減していく。

この戦略は、日本で成功を収めつつある。政府や自治体の税収の減少は何に起因するか。富裕者や法人への減税策、これである。だが財政危機を叫びながら、権力者たちは、法人税や富裕者への増税を語らない。誰も、それをとがめようとしない。

新自由主義という考え方、それに基づく政策は、彼らの階級的な戦略なのである。それに理解を示して、「財政危機だから増税は仕方がない」などと唯々諾々と従うのは、奴隷根性というしかない。


こうした戦略に、私たちは怒りを持たなくてはならない。
今、資本主義は、みずからの野蛮な本性を明らかにしてきているのだ。