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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「過労死の国・日本」

2012-01-09 22:15:42 | 日記
 産経新聞が連載している「過労死の国・日本」第2部のシリーズがよい。「復興」という言葉の陰に、どういう暗黒があるのか。テレビでは美談を放映しつづけているが、そのウラには様々な悲劇がある。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120107/wec12010712000000-n1.htm

あまりにすっきり!原発利権構造

2012-01-09 21:31:31 | 日記
 下記のブログ、もっともわかりやすいかたちで図示している。原発の利権構造、見ればすぐ分かる。ぜひアクセスしてみよう。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/70cd09644786c6467e472cd104a21680

 原発事故の時、堂々と誤報を伝え続けた官房長官であった枝野、彼のところにも東電から多額のカネが・・・

http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51641219.html

官僚と産業界

2012-01-09 21:24:34 | 日記

 『東京新聞』の「主役は官僚と産業界」(2012年1月9日)を読み、そうだなと思う。日本の政策は、産業界と官僚が決める。政治家は、官僚と産業界が決定したことをなぞるだけだ。別にここに記された軍事政策だけではない。TPPでも、放射能の除染でも同じだ。彼らはがっちりとスクラムを組み、表面的には「国益」だと思わせる仕草をしながら、自らの利益を確保していく。いつまでたっても庶民は、彼らの利益を提供する働きアリなのだ。

 
正月三が日が終わり、防衛省に防衛産業の社員が押しかけている。背広組の局長室や陸海空幕僚監部の幕僚長室、部長室を回り、新年のあいさつを交わす。


 再就職した背広組幹部や元将官らが水先案内人を務める。先輩が顔を出せば、後輩が門前払いできるはずもない。仕事らしい仕事もないのに現役当時と比べ、七割程度の年収を保障されている彼らの数少ない公式行事のひとつなのだ。


 防衛省が毎年一兆円近い武器調達費を支払っている契約高上位二十社に過去十年で三百人以上の将官ら高級幹部が顧問や嘱託として再就職している。「人とカネ」を通じた防衛省と防衛産業の癒着は明らかだ。調達費に天下り幹部の報酬が含まれてはいないか。


 民主党政権は出身官庁による再就職あっせんを禁止したはずだが、二〇一〇年防衛省だけで五百二十九人が取引先に再就職した。若年退職者はあっせんできるきまりとはいえ、五十歳も半ばになって若年はない。官僚の軍門にくだった政権の指示など、「何処(どこ)吹く風」といわんばかりだ。


 年の瀬に野田内閣は武器輸出三原則を緩め、米国や友好国との武器共同開発・生産に踏み出すことを可能にした。防衛産業からの支持と引き換えに「平和国家」の看板を降ろすというのか。ずる抜けの天下り禁止をみても、この国の主役は官僚であり、産業界であることは明らかだろう。(半田滋)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2012010902000066.html

文章

2012-01-09 21:00:45 | 日記
 昨日、ある学者から添付ファイルが送られてきた。内容は、東日本大震災について書かれたものである。しかし、文章を読み始めてすぐに、主語と述語が対応せず、一つの文章のなかに雑多な内容が記されるため、結局何を言おうとしているのかわからないことがわかった。ああいつもの悪文だなと思い、読むのをやめた。

 私は、学者という立場のこの人が、ずっと以前からこのような悪文を公表している事実に、驚く。おそらく、私だけではなく、この学者の悪文は他の学者といわれる人たちも読まされていることだろう。ならばなぜこの学者が書く文章が悪文であることを指摘しないのか。なぜ学者同士の自浄作用が働かないのか。

 文の最初は「3月11日のM9・0の東北・関東大地震は、東日本一帯大規模な被害を招いたばかりか・・・」で始まる。助詞の「の」は、ここでは「東日本一帯」とすべきであろう。そしてこの「3月11日のM9・0の東北・関東大地震は」の主語は、「・・招いたばかりか」、「・・・生存権そのものを破壊し続け」、「人々の不安と退避の生活を強いている」と一つの文のなかの三ヶ所の述語部分につながっている。最後の「人々の不安と退避の生活を強いている」は、「人々に不安をもたらし、過酷な避難生活を強いている」とでもしたほうがよいだろう。
 他では主述の呼応がおかしい。たとえば、「本稿は・・・・書き下ろした」とか、「地位が・・・・地域の低迷、衰退状況に追い込まれた」とか、「原発事故が・・大きな損壊であった」とか。

 これ以上指摘するのはやめよう。きりがない。

その文章は、大学の紀要に載せられている。大学の紀要掲載に際して、査読はないのだろうか。それともなれ合いで載せているのか。

 仲村光生『近頃の文章を批判する』(武蔵野書房)という本がある。きちんとした丁寧な批判である。批判された文章は読んでみるとそうおかしなものではない。しかしそれでも中村氏は厳しく批判するのであるが、その批判になるほどと思わされるのだ。

 だが、この学者の文は、そういうものではない。それ以前の文なのだ。読み進めることに困難さを覚えるような文だ。何故読まなければならないのかを自問自答しながらでないと読み進められないものなのである。

 中村氏は、おそらくこの学者の文の批判はしないだろう。批判するに値しないからだ。