明治維新は、近代日本国家構築の端緒となった大きな事件であった。これ以後、徳川幕藩体制を倒した薩摩・長州を中心とした勢力によって新たな国家の建設が開始されていく。19世紀後半、すでに国際社会は帝国主義世界体制が成立していたため、彼らは近代日本を帝国主義世界体制の一翼を占める存在とするべく、試行錯誤をくり返しながらもそれに照応する国家体制をつくりあげていった。
急激な変革は、多くの反対派との軋轢を生み出した(自由民権運動など)が、彼らは強引に、天皇を中心とした国家体制を築いていった。近代天皇制国家は、国内的には抑圧的な体制、対外的には朝鮮をはじめとしたアジアへの侵略を不可欠の要素としていたことは周知のことである。
今、「維新」を掲げるということは、日本社会をそういう国家体制にもっていこうという志向があることを示しているのだと、私は考える。
昭和戦前期、「昭和維新」というスローガンが叫ばれたことがあった。そのときも、「大正デモクラシー」期を過ぎた日本社会に向けて、さらにファッショ的な国家体制の建設を求める運動であった。
昭和初期の右翼,一部の軍人,ファッショ陣営が用いた用語。明治維新を国家改造運動の手本とし,天皇を戴いて革命を行うという北一輝らの思想に源流をもつ。元老・重臣などの〈君側の奸〉,および腐敗した政党・財界を排除することを目指し五・一五事件や二・二六事件などのスローガンとなったが,二・二六事件以後用いられなくなった。
http://kotobank.jp/word/%E6%98%AD%E5%92%8C%E7%B6%AD%E6%96%B0
今回の「大阪維新の会」が、真っ先に「君が代」に関して起立・斉唱を強制する条例の制定に突っ走るのは、時代錯誤としか言いようがない。「近代」が生み出した普遍的でもある人権思想を無視する、あえていえば「暴挙」である。近代天皇制国家が1945年に崩壊したあと、日本国民は近代・現代人権思想に裏打ちされた日本国憲法をもったのではなかったのか。
この問題点については、大阪弁護士会が声明を出しているが、弁護士会の論理はまさに普遍的なものである。
http://www.osakaben.or.jp/web/03_speak/seimei/seimei110524-2.pdf
テレビが「有名人」をつくり、テレビをよくみる選挙民の多数の支持によってその「有名人」が自治体の権力者となる。そして、多数の支持を背景に、抑圧的な施策を行う。
これは、1930年代ドイツで見られた光景ではないか(そのときはラジオであったが・・)。私には、だから「既視感」がある。歴史は、おそらく同じことを繰り返させないと、私は信じたい。
急激な変革は、多くの反対派との軋轢を生み出した(自由民権運動など)が、彼らは強引に、天皇を中心とした国家体制を築いていった。近代天皇制国家は、国内的には抑圧的な体制、対外的には朝鮮をはじめとしたアジアへの侵略を不可欠の要素としていたことは周知のことである。
今、「維新」を掲げるということは、日本社会をそういう国家体制にもっていこうという志向があることを示しているのだと、私は考える。
昭和戦前期、「昭和維新」というスローガンが叫ばれたことがあった。そのときも、「大正デモクラシー」期を過ぎた日本社会に向けて、さらにファッショ的な国家体制の建設を求める運動であった。
昭和初期の右翼,一部の軍人,ファッショ陣営が用いた用語。明治維新を国家改造運動の手本とし,天皇を戴いて革命を行うという北一輝らの思想に源流をもつ。元老・重臣などの〈君側の奸〉,および腐敗した政党・財界を排除することを目指し五・一五事件や二・二六事件などのスローガンとなったが,二・二六事件以後用いられなくなった。
http://kotobank.jp/word/%E6%98%AD%E5%92%8C%E7%B6%AD%E6%96%B0
今回の「大阪維新の会」が、真っ先に「君が代」に関して起立・斉唱を強制する条例の制定に突っ走るのは、時代錯誤としか言いようがない。「近代」が生み出した普遍的でもある人権思想を無視する、あえていえば「暴挙」である。近代天皇制国家が1945年に崩壊したあと、日本国民は近代・現代人権思想に裏打ちされた日本国憲法をもったのではなかったのか。
この問題点については、大阪弁護士会が声明を出しているが、弁護士会の論理はまさに普遍的なものである。
http://www.osakaben.or.jp/web/03_speak/seimei/seimei110524-2.pdf
テレビが「有名人」をつくり、テレビをよくみる選挙民の多数の支持によってその「有名人」が自治体の権力者となる。そして、多数の支持を背景に、抑圧的な施策を行う。
これは、1930年代ドイツで見られた光景ではないか(そのときはラジオであったが・・)。私には、だから「既視感」がある。歴史は、おそらく同じことを繰り返させないと、私は信じたい。