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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

変節

2020-01-06 09:01:18 | その他
 昨日の『東京新聞』のコラム「新聞を読んで」に、筒井清忠氏が「大学知識人の限界」を書いている。松本清張が大学知識人を批判した小説を書いていたことを紹介している。
 
 若い頃、清張の小説はたくさん読んだつもりでいたが、ここに記された「真贋の森」、「断碑」、「石の骨」、「カルネアデスの舟板」、いずれも読んだことはない。

 「カルネアデスの舟板」は、歴史学者が、戦前戦中は国家主義的歴史学、戦後はマルクス主義史学へと転換し、豊かな生活を送る、というものらしい。学者の変節である。

 学者には、変節する人が多い。学界で注目されて居続けたいという欲望があるのだろうか、学問内容だけではなく、その方法論についても変遷を重ねる、そのことによって注目され、その結果財産や名誉が転がり込む。

 昨年、学生時代の同窓会を開くという連絡があった。その同窓会とは、なんらかの運動に関わった者たちが集まるものであった。しかし私は欠席した。学生時代、他の学生を煽っていた者は政府の審議会に入り、労働者にとってマイナスの政策を立案する者になったり、ある者はカネ儲けに勤しんでいたり、学生時代の思考とはまったく異なった立ち位置にある者がほとんどであったからだ。

 学者の「変節」は、そんなに珍しいことではない。ある歴史学者は、マルクス主義的文献をもとに古代史を研究していたが、今では神話を史実としている。

 「変節」する学者には、思想の核というものがないように思う。学問内容や、研究方法はその人の思想とつながらないところでなされるのだ。しかしこうかいても、多くの研究者は、それぞれの思想をつなげるかたちで研究をしているわけではない。思想は思想、学問は学問、というように切り分けている。あるいは思想なんかもたずに学問研究をしている者も多い。

 時流の変遷にみずからをあわせながら生きていく、そういう人が多いのである。仕方がないことだ。

自由とそれを抑圧するもの

2019-12-29 17:15:55 | その他
浜松市立の中学校の校則が新聞記事となった。

女子に「下着は白」「ポニーテール禁止」…市立中の校則に人権侵害と批判

 反骨精神の強い私は、中学校時代は校則への反発はしなかった。ただしいろいろ問題を起こしてビンタはもちろん、職員室で頭を蹴られたこともある。親が校長に謝罪しに行ったこともある。

 入学した高校は、ある程度自由な学校であった。しかし2年になるときに、新入生のオーバーコート(最近の高校生は着ていないようだが、私の頃は学生服の上に着ていた)に規制がおこなわれ、男子は黒、紺などの地味な色という変更ナシであったが、女子の場合はグレー一色の学校指定のものと決められた。
 生徒会の役員であった私は、これに強く反発し、反対運動を行った。「コート規制反対」運動である。私は生徒会の「コート規制問題小委員会」の委員長として、周辺の高等学校だけではなく、全国各地の高等学校へのアンケートを行った。すると、北海道や長野県、東京都など制服自体がないところがあった。私はとてもうらやましく思った。
 このコート規制問題は撤回された。反対運動があったこともあるが、女子の指定コートの品質が悪く、保護者からも意見があがったからでもあった。
 私たち生徒会役員は女子のコートの補償を求めて、業者との交渉にも臨んだ。

 当時、校則で学帽をかぶるというものもあったが、私たちのあとの生徒会が、着帽自由化を獲得した。

 私たちの高校時代は、校則からの自由を求めて活動した。校則なんてくそくらえ、であった。

 しかしそういう時代は消えていった。その頃、部活動の必修化が文部省から打ち出された。部活動必修化は高校生の自治意識、自由の希求などという自主的精神を抑圧する目的をもった改変であった。
 近年文科省は部活動必修という制度をなくしたが、高校生のそうした自治意識を、権力が心配しなくても良くなったと判断したからだと思う。
 しかし、それぞれの学校では、文科省が部活動必修の方針をなくしたにもかかわらず、あたかも必修であるかのような制度を残している。その理由は、そうしないと保護者に生徒会費、PTA会費、後援会費を平等に負担させることができなくなるからだ。それらのカネは、ほとんど運動部に流れていく。つまり運動部の経費を全保護者に負担させるために、あたかも部活動は必修であるかのようにしているのだ。
 部活動の必修化は、子どもたちにとってプラスであったのかなかったのか、検証すべきである。部活動の必修化は、授業中は休息し、放課後の部活動だけをしに高校に通学する者を増やした。勉強もせず、本も読まず、ひたすらボールを追うような人間を大量に生産した。
 

Amazonで買う場合

2019-12-28 07:57:20 | その他
 かなり長期間使用していた3Gのガラケーからスマホに変えた。消費税増税前にauから今かえると機種は安くなり・・・・などと電話が何度もかかり、遠方にいる子どもからもかえたほうがよいというのでauのすすめるままにアンドロイドのスマホにした。auはただ送ってきただけなので、どのようにすればよいかをネットで調べながら、ウィルスソフトを期間限定のものからパソコンで使用しているesetにかえたり、スマホからメールを読めるようにしたり、このブログを書くことが出来るようにしたり、まあスマホにしてから使用できるまで時間をかけた。

 次にはハンズフリー通話をするために、マイク付きイヤフォンをAmazonで購入した。しかしこれが粗悪品。音は悪く、ハンズフリー通話をすると相手側にすごい雑音が入るなどまったくの失敗であった。評価をみて買ったのだが、詳しくみてみるとイヤフォンの評価ではなく、そのほかの商品の評価が星5つで記入されていたから、全体的に高評価となっていた。
 Amazonの商品は、メーカーが明確なものでないと失敗する。最近それが続いた。

 マイク付きイヤフォンは、エディオンで購入したが、音は問題なく、雑音も入らない。ELECOMの製品である。

 Amazonでの購入はよほど慎重にしないと失敗することを肝に銘じたい。

福永武彦を読む

2019-12-13 11:34:50 | その他
 福永の「完全犯罪」は、推理小説である。その裏に何らかの意図があるかと言われれば、ぼくはないと言う。構成には新鮮さがあったが、やはり犯人は誰なのかという推理を働かせるだけのもので、ぼくは途中からおばあさんが怪しいと思い始めたが、その通りであった。

 次に読んだのは評論、「岡鹿之助の詩的世界」である。岡は画家である。あまり岡の絵をみたことはない。

 「あらゆるすぐれた芸術家は、彼に固有の世界を持つ」という福永の指摘は、別に新鮮でもなく、まさに芸術家はみずからしか到達し得ない世界を描くことに全力を尽くすのだ。それは美術だけでは亡く、音楽や文学も、である。芸術家は、したがって個性豊かでなければならない。まねごとはあり得ないから、なかなか厳しい道である。

 岡は、福永の指摘によると、キャンバスに向かうときには、すでに絵の全体像を頭の中に創りあげていて、一部分を描き、それが終わると他の一部分を描いていくのだそうだ。小説家である福永は、「詩や小説の場合はそうではなく、常に一部分から出発して少しずつ先へ進んで行かなければならない」と記す。これは歴史の文章も同じである。到達点や解決すべき課題を脳裡に置きながらも、資史料をつかいながらほんとに一歩ずつ一歩ずつ、ああでもない、こうでもないと考えながら、書き進めるのである。その歩みは牛歩である。時間をかければかけるほどよいものが出来るというのが、私の経験からでたことである。もちろん時間だけではなく、カネをかけて様々な文献を読まなければならないのだから、要するにカネと時間をどれほどかけたかによる。小説や詩は、きっとそうではないだろう。カネはかからないはずだ。頭の中からひねり出すものだから。歴史の場合は、記すことに常に根拠を必要とするから、たいへんなのだ。

 そして福永は、「すぐれた作品の場合に、流れて行く時間の中の一瞬が定着されるのではなく、無時間という一つの状態がいつまでも持続する印象を与えることが重要である」という。それは、詩でも、絵画でも同じであるというのだろう。絵は写真ではないから、その一瞬ではなく、「無時間」を描いているのか。なるほど。福永は「岡さんの静物や風景はまさに記憶的で、魂の無意志的記憶の産物」と評する。これは岡の絵をじっくりと見てみなければならない。

 次の読んだのが、「ゴッホとゴーギャン、内面への道」である。一時共同生活をしたゴッホとゴーギャンの人と人生を比較して論じたものだ。「芸術家が生きるということは、常に、未来を賭けることに他ならない」と、福永は末尾の文でいう。芸術家だけではなく、ぼくたちもまた「未来を賭ける」ことで生きているのだと思う。そのほかの内容について紹介していくのはやめるが、福永は絵画について造詣の深い人物であることがわかった。

 さて福永武彦を読みはじめたのは、20代で自殺した大学の後輩のH君が、いつも福永のことを話していたからだ。ただし彼から美術のことをきいたことはなかった。彼は小説と、おそらく詩に関心を抱いていたのだろう。
 福永の詩に、「死と転生」がある。最初の第一行は、「この心、誰が知らう、人は繰返して仮のいのちを眠り、」である。

 その詩の最後のあたりに、

とかげは考へ、蟻は働き、蝉は叫び、蜘蛛は眠り、
夏はまばゆい真昼を散らし、生きることはやさしいと、
松の花粉のふりこぼれるやうにやさしいと、
このものたちは信じただらう、信じるまでもなかつだだらう!
それなのに、日はすぎて、幼い悦びはどこへ去つたか、
それなのに、人間だけが、なぜ疑ふことを知つてゐたか、


という個所がある。H君は「懐疑心」ということばをよくつかっていた。彼は「生」を疑ってしまったのだろうか。「生」を疑い始めると、「生」はその価値を限りなく無へと進んで行く。

自殺してしまったゴッホは、手紙でこう記す。

「人生とはぞっとするような実在だ。僕等はこいつに向ってどこまでも駆り立てられている。」

実在する「生」に貪欲に立ち向かって欲しかった、ぼくがいまH君に伝えたいのはこのことだ。

 

 

福永武彦の小説・「人の魂をゆさぶる」

2019-12-12 19:55:22 | その他
 福永の「遠方のパトス」と「心の中を流れる河」の二作品を読んだ。

 後者の作品は、中途半端のままに終わっているという気がしたのだが・・・。
 牧師とその妻子、妻の妹・梢と別居する夫、医学生・鳥海太郎、その父、そして薬局の娘・百代が登場人物である。北海道の辺地が舞台である。牧師と太郎、そして梢が主要人物となる。いったいこの小説のテーマは何だろう。牧師は教会でペテロの弱さを語る、それを聴いた梢はその解釈を批判する。人間の弱さ?梢は、牧師自身の臆病さを指摘し、安全地帯でびくびくして生きている人間が、「人の魂をゆすぶることなんか出来」ない、と指弾するのだ。

 「人の魂をゆすぶる」・・・久しぶりにこのことばを見た。「人の魂をゆすぶる」ように、話したり書いたりしていないなあ、と思う。

 私はキリスト者ではないが、キリスト者との付き合いはある。キリスト者たちは聖書に書かれていることを理解しようと様々な解釈を試みる。私にとっては、聖書に書かれていることは物語なのだが、キリスト者にとってみれば信仰の中身そのものなのである。ここではイエスとペテロの関係を解釈しているが、梢の解釈の方が妥当性があるように思えた。

 前者の登場人物は四人であるが、二人は間接的にしかでてこない。沢一馬、そして安井。実在の人間はもう一人郵便配達人がいる。一人は戦争に行って人を殺すのは嫌だと、山中湖で自殺する。しかしその自殺には女性・弥生の存在が関わる。
 これも短編なので、テーマはあやふやである。しかし、この小説にパトスは感じられない。「遠方のパトス」という題だから、パトスはここにはないのだ。

 愛からは一杯の水も生まれて来ない。愛することは浪費だ。自分のものを与えることだ。僕たちにはもう与えるものなんかありはしない。

 戦時下を体験した世代には、パトスが生じることはないのだ。戦争が、パトスを奪い去った。そういうことなのだろう。
 
 沢は、みずからのパトスを、通常のパトスとは異なるものを定置する。「何も求めないで、しずかに愛する」と。戦争で傷ついた者は、もうこれ以上傷つきたくないのだ。

 しかし、パトスがなければ「人の魂をゆさぶる」ことはできない。
 

忘れる?

2019-12-11 22:06:38 | その他
 安倍晋三は、「桜を見る会」に関して一切の疑問に答えずに国会を閉幕した。晋三ははっきり言って頭の悪い人だから、野党の厳しい質問が続いたら、答えられなくなったり、いきり立ったりして、墓穴を掘ることが予想できるから、周辺の者たちが、利用価値のある安倍を擁護しようと図ったのだろう。

 そして年末年始を過ぎたら追及も弱まったり、忘れてしまうことだろうと、彼らは考えている。もちろん運動圏にいる人たちは忘れないだろうが、ふつうの人々は日々の生活の中で明確に忘れていくことだろう。政治にかまってなんかいられるものか、というのがふつうの人々の気持ちなのだろう。

 人々が一揆や騒動を起こすとき、その中心にはほんとうに困っている人ではなく、知識(智慧)のある階層的にも豊かな人たちがいた。知識人というか、そういう人が動くことにより様々な運動は展開された。それは今の時代も同じだと思う。意識を持った生活に困っていない人々が動くことによってしか社会は変わっていかない。したがって、そういう人たちが忘れずに追及を緩めなければ、この問題は2020年にも継続されるだろう。

 だが、運動圏にいる人々も、忘れるのである。運動圏にいる人々は一つの問題だけで動いているわけではなく、いろいろな問題に首を突っ込んでいる。だから他が忙しくなれば、おのずから当該の問題追及の手が緩んでしまうのだ。そして時間が経過すれば、そういう人々は他の問題に力を向けるようになり、当該の問題から離れていく。そして忘れられていく。

 今回は、どうだろうか。

幼き頃

2019-12-11 10:04:53 | その他
 福永武彦の「幼年」を読む。

 読みながら、みずからの幼年時代がふと甦る。こういうことがないと、幼年時代の諸々のことは記憶の底から浮かび上がることはない。
 
 幼年時代は、ほとんど戸外で遊んでいた。小学生のころは、帰宅してランドセルを置いたらすぐに友だちと遊んだ。わが家の前には道をはさんでお寺があり、お寺の南側は田んぼや畑が広がっていた。今ごろの季節は、田んぼに棄てた藁の上で相撲を取ったり、風の強い日は凧を揚げたり、あるいは小さな川をはさんで隣町(小学校区が異なる町)のガキどもと石投げをしたり、あるいはその頃徒党を組んでいた野良犬の集団とけんかをしたり、あるいはお寺の高い松の木に登ったり・・・・・自由で楽しい日々を過ごしていた。

 福永の「幼年」に、「子供はいつも現在の時間を生きている」という文があった。言われてみればその通りだなと思った。こういう歳になると、現在を生きていながら、過去を思い出し、未来を心配し・・・現在のこの時間に拘泥せずに、過去、現在、未来を自由に行き来する。

 しかしぼくは、まだみずからの過去を書きつづるときではないと思う。というのも、尊敬していた歴史家の江口圭一氏は、みずからの来し方を書いた本を出版し、その年に亡くなってしまった。その本をいただいて礼状を送り、するとまもなく訃報が届いたことを思い出す。

 人生の締めくくりとして、みずからの過去を書くことはしてはならないと、その時思った。

 「幼年」をよみながら、記されている福永の幼少時の記憶や体験から、同じような記憶が浮かび上がるが、しかし書いてはいけないと思う。まだ私は、あの世にいくわけにはいかないからだ。

H君のこと

2019-12-08 19:10:59 | その他
 今日は暖かな一日であった。晩生のタマネギ苗を植える畝をつくろうと、畑で汗をかいた。スコップや鍬をふるうと、中から蛙が飛び出てくることが再三あった。彼らはすでに冬眠中である。急に起こされた彼らはどこかへ跳んでいった。この時期、畑で見かけるのはこうした蛙と土の中に生きるミミズ、そしてカラス、すずめなどの鳥類だけである。
 植物は、ダイコンなどの野菜のほか、背の低い雑草がたくさん生えている。

 畑は、いつでも生物の宝庫である。

 昨日から、福永武彦の小説を読みはじめた。学生の頃、H君が好きだと言っていた作家である。H君はもうひとり、林達夫を好んでいた。いずれもきわめて知的な内容の文を書く。私は林達夫はしばしば再読するが、福永はほとんど読んでこなかった。

 H君は、私が大学を卒業してⅡ年目にみずから死の世界に旅立っていった。私は、H君の葬儀に駆けつけた。秩父の山奥であった。H君の墓は寂しいところにあった。先祖代々の墓ではあるが、その日、墓の後ろにある木々を強い風が揺らしていたことを思い出す。

 H君が亡くなってから、何冊か福永武彦の文庫本を購入した。しかしなかなか手に取ることはなかった。いつか読もうと思いながら、時に読みはじめることはあったが、読みとおすところまでいかなかった。

 今日、「深淵」という小説を読んだ。「おれには日附のついた過去というものはない」という、常に「飢」を覚え、数々の犯罪を犯し、そして「孤独であること」を自覚した男と、結核で生死の間をさまよい死を意識して神と共に生きてきた女性、その二人が邂逅し、女性はその男性を「知って」しまうのである。その二人の、女性の場合は祈りと、男性の場合は独白(時空を超越している)とが交互に示され、最後はその女性はおそらく殺され、男性はいずこかへ消えていった、おおまかに記せばそういうストーリーだ。

 その背後に、つねに「死」がある。

 「死んだ後も魂は不滅だとお前は言うが、そんな馬鹿なことがあるものか。おれたちは死ぬ時は死ぬのだ。秋になって蝶が死に、虫が死に、蜻蛉が死に、葉っぱが死ぬのと同じことだ。土くれになるだけのことだ。地面の底に埋められてしまえば、お前が何を考えたか、何をしたか、そんなことはみんな消えてしまい、草が勢いよく茂るだけだ。おれにとって死ぬのは何でもない。おれには魂なんぞという余計なものはない。おれはおれだ。」

 しばらく前まで、畑にはイナゴがたくさんいて、土の表面にはクモが蠢いていた。きっと彼らは、急激な気温の低下で死んでしまったのだろう。すべての生物は、いずれ「死物」になる。

 H君は、福永の小説を読みながら死を見据えていたのだろうか。

 H君が亡くなったのは、冬の寒い時期であった。「あゝ寒い!!」という感覚が生じはじめると、H君のことを思い出す。

 しかし、H君は、私が生きている限り、私の心の中に復活する。そして彼は、福永を読め、林達夫を読めと促す。

 H君は肉体とともに魂も消えてしまったかもしれないが、私の魂の中に時々顔を出す。彼は、20代のままの姿である。

 

中村哲さん、銃撃される

2019-12-04 22:08:16 | その他
 新幹線で移動中に、中村医師が亡くなったという情報を得た。私も、ペシャワール会の会員として、また資金援助をしていた者として、哀しみと怒りを共有する。

 湾岸戦争の頃、小沢一郎という政治家が「国際貢献」ということばをつかって、自衛隊の海外派遣を主唱したことがあった。私は、虚を突かれたと思った。日本国憲法の遵守を是とする私に、「国際貢献」という海外派兵が急に飛び出してきたのだ。

 憲法前文には、

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 とある。

 「国際貢献」ということばに関わって、私は「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」ということばのように、つまり私は自分自身だけではなく、あるいは自国民だけではなく、世界の人々が「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を」保障するように生きてきたか、という問いをつきつけられたのだ。

 武力ではなく、平和的な貢献をどのようにすべきなのか、という問いを私はみずからに投げかけた。それに答えるべく、私はUNICEFや、「国境なき医師団」、そしてペシャワールの会に金銭的な援助などを開始した。

 日本国憲法をもつ日本国民は、平和的な国際貢献をすべきなのだ、そうでないと武力による「国際貢献」ということばに足元をすくわれる。

 「お前は国際貢献をしているか」という問いがなされたとき、私は堂々と、「平和的な国際貢献」をしていると答えられるように生きてきた。その代表的な団体が「ペシャワールの会」であった。

 中村医師は、医療活動は言うまでもなく、医療は対症療法だ、そうでなく日常の健康が必要だと井戸を掘り始めた、そしてその後は食を保障するために、灌漑設備をつくり農地をつくりだし、自然の攻撃の前にそれが崩されようとしたときにも、粘り強く、粘り強く、それを克服して広大な農地をつくってきた。

 私は、アフガニスタンの未来はこうしてつくるのだ、というお手本を、中村医師と現地のスタッフが示していると思ってきた。

 中村医師を殺すということは、アフガニスタンの人々の希望を奪うということでもある。私は、中村医師を殺害した犯人に強い憤怒をもつ、許せない。

 そしてアフガンで上記のことを先頭になって実践してきた中村医師の冥福を心から祈る。

 お疲れ様でした・・・・・


青島

2019-12-04 07:39:14 | その他
今日は青島に行った。青島神社は観光客にカネをつかわせようと境内に
いろいろなグッズを並べていた。金儲けに走る神社が増えているように思う。ただ絵馬には香港加油など、香港関係がたくさんあった。香港からの観光客が書いていったのだろう。香港の中国化に反対する人々が多いのだ。
スマホで書いているので長文が書けない。

神話

2019-12-02 14:01:00 | その他
 高千穂の夜神楽をみた。夕方から夜明けまで踊り続ける民俗芸能は奥三河や南信、北遠にもある。修験の流れではないかと思っている。高千穂の神楽もその関係ではないか。話しは変わって、天皇制は古代神話に彩られている。天皇は渡来人との関わりから読み解く必要があると考えているが、天皇神話と密接な関係をもつこの地域の民俗文化の来歴をみていく必要があろう。  スマホで書いているが面倒くさいことこの上ない。

新幹線で西へ

2019-12-01 11:53:39 | その他
今西に向かっている。新幹線は混んでいる。外国人が多い。彼らは京都、広島で下車していった。庶民の所得が停滞して長い時間が経過しさた。その間諸外国では庶民の所得が上昇し、滞在費があまりかからない日本へと旅に来ている。日本の庶民はこんなにも外国人が来る理由をほとんど知らない。虐げられているのだ。