さつまいもを植えていた畑を掘り返し、スギナの根を取る。掘り返すと蛙がでてくることもある。彼らはすでに冬眠中である。昨日掘り返したところから蛙が腹を出したままでてきた。動こうともしない。きっと熟睡しているのだろう、私は土の中に入れてあげた。彼らにとっては、土は安心できる寝床なのである。
化学肥料も農薬もつかわない。蛙たちの寝床を「毒」まみれにしてはならない。私の周囲では、誰も化学肥料、農薬をつかわない。自然を破壊する農業は禁止である。だから夏は葉物はつくらない。虫が来るからだ。キャベツなんか、少し温かいと蝶の幼虫が繁殖して、葉を食べ尽くす。
今畑には、キャベツの苗がずらっと並んでいる。これからの季節は虫がつかない。種からだから一度にたくさん芽を出す。もちろんわが家だけでは食べられないから近所にわける。
今、畑は夏作から翌年の春作への転換期である。
しかし、農地は確実に減っている。私が日々労働する畑の周囲では、市街化調整区域なのに、田んぼが埋められ、住宅建設工事が始まっている。田んぼを埋め、しばらく経つとそこに杭を埋め込み、そして建設が始まる。杭を打ち込むだけで地盤は強固になるのだろうか。
昨年も一軒、農地の真ん中に建った。
農業は衰退している。農業従事者は高齢者である。もうできなくなると、農地は放置される。農業だけでは食えないことは明らかだ。だから後継者はいない。年金が支給されている人が農業をする。他に収入がなければ農業は続けられない。
日本政府は、日本農業をつぶそうとしている。外国から安い農産物を輸入すればいいさ、ということだ。だが、安全保障を主張する割には、食糧の安全保障は無視する。
日々畑で農作業をしながら、変化を感じる。それは自然の変化であり、農業に関わる社会の変化である。
農業は土があってこその生業である。土には無数の生物がゐる。そういう生物と共生することにより、人間も生きていくことができる。都会に住む人々は、そういう感覚を失っているのだろう。土と共生するということは、謙虚に生きることでもある。謙虚さのない政治がまかり通る世の中になっている。
化学肥料も農薬もつかわない。蛙たちの寝床を「毒」まみれにしてはならない。私の周囲では、誰も化学肥料、農薬をつかわない。自然を破壊する農業は禁止である。だから夏は葉物はつくらない。虫が来るからだ。キャベツなんか、少し温かいと蝶の幼虫が繁殖して、葉を食べ尽くす。
今畑には、キャベツの苗がずらっと並んでいる。これからの季節は虫がつかない。種からだから一度にたくさん芽を出す。もちろんわが家だけでは食べられないから近所にわける。
今、畑は夏作から翌年の春作への転換期である。
しかし、農地は確実に減っている。私が日々労働する畑の周囲では、市街化調整区域なのに、田んぼが埋められ、住宅建設工事が始まっている。田んぼを埋め、しばらく経つとそこに杭を埋め込み、そして建設が始まる。杭を打ち込むだけで地盤は強固になるのだろうか。
昨年も一軒、農地の真ん中に建った。
農業は衰退している。農業従事者は高齢者である。もうできなくなると、農地は放置される。農業だけでは食えないことは明らかだ。だから後継者はいない。年金が支給されている人が農業をする。他に収入がなければ農業は続けられない。
日本政府は、日本農業をつぶそうとしている。外国から安い農産物を輸入すればいいさ、ということだ。だが、安全保障を主張する割には、食糧の安全保障は無視する。
日々畑で農作業をしながら、変化を感じる。それは自然の変化であり、農業に関わる社会の変化である。
農業は土があってこその生業である。土には無数の生物がゐる。そういう生物と共生することにより、人間も生きていくことができる。都会に住む人々は、そういう感覚を失っているのだろう。土と共生するということは、謙虚に生きることでもある。謙虚さのない政治がまかり通る世の中になっている。