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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

2019-11-30 08:37:41 | その他
 さつまいもを植えていた畑を掘り返し、スギナの根を取る。掘り返すと蛙がでてくることもある。彼らはすでに冬眠中である。昨日掘り返したところから蛙が腹を出したままでてきた。動こうともしない。きっと熟睡しているのだろう、私は土の中に入れてあげた。彼らにとっては、土は安心できる寝床なのである。

 化学肥料も農薬もつかわない。蛙たちの寝床を「毒」まみれにしてはならない。私の周囲では、誰も化学肥料、農薬をつかわない。自然を破壊する農業は禁止である。だから夏は葉物はつくらない。虫が来るからだ。キャベツなんか、少し温かいと蝶の幼虫が繁殖して、葉を食べ尽くす。

 今畑には、キャベツの苗がずらっと並んでいる。これからの季節は虫がつかない。種からだから一度にたくさん芽を出す。もちろんわが家だけでは食べられないから近所にわける。

 今、畑は夏作から翌年の春作への転換期である。

 しかし、農地は確実に減っている。私が日々労働する畑の周囲では、市街化調整区域なのに、田んぼが埋められ、住宅建設工事が始まっている。田んぼを埋め、しばらく経つとそこに杭を埋め込み、そして建設が始まる。杭を打ち込むだけで地盤は強固になるのだろうか。
 昨年も一軒、農地の真ん中に建った。

 農業は衰退している。農業従事者は高齢者である。もうできなくなると、農地は放置される。農業だけでは食えないことは明らかだ。だから後継者はいない。年金が支給されている人が農業をする。他に収入がなければ農業は続けられない。

 日本政府は、日本農業をつぶそうとしている。外国から安い農産物を輸入すればいいさ、ということだ。だが、安全保障を主張する割には、食糧の安全保障は無視する。

 日々畑で農作業をしながら、変化を感じる。それは自然の変化であり、農業に関わる社会の変化である。

 農業は土があってこその生業である。土には無数の生物がゐる。そういう生物と共生することにより、人間も生きていくことができる。都会に住む人々は、そういう感覚を失っているのだろう。土と共生するということは、謙虚に生きることでもある。謙虚さのない政治がまかり通る世の中になっている。

錯覚

2019-11-25 13:52:15 | その他
 人間はみんなチョボチョボや、というのは作家・小田実のことばである。私もそう思ってきた。チョボチョボの人間だからわからないこともあるし、知らないこともある、知らなかったことを謙虚に学び、わからないことは教えてもらう、教えてくれる人は選ばない、誰でもよい。みずから学び、他人から教えてもらい、少しずつ成長していく。謙虚に生きることが、正しい生き方であると思っている。

 しかし、ときに、みずからを大きく誤解し、自分自身がすごい人間であると自覚する人が現れる。ソクラテスではないが、みずからの「無知」を知らない人だ。人間、森羅万象をあまねく知ることはできない。そういうことが出来ると思っている人は、錯覚しているのだ。安倍晋三という人も、首相になったら森羅万象を・・・などと語っていたが、おのれの無知を自覚できないかわいそうな人だ。

 もうひとり、そういう人がオモテにでてきた。自分自身を過大評価し、それであるが故にみずから墓穴を掘った人だ。

 この人である。

 大澤昇平というひと。この人の言動は、ここに記されている

 そして東京大学教員の伊藤乾さんも謝罪している。

 東大発「ヘイト書き込み」への心からのお詫び

 大澤某は、自己愛を豊富にもった人物のようだ。写真がそれを物語っている。



演劇鑑賞会

2019-11-24 21:38:05 | その他
 静岡県には各地に演劇鑑賞会がある。しかし、どこも会員が減っている。しかし劇団四季は大入り満員である。あるいは有名タレントが出演する劇も、多くの人が見に来る。

 ミーハー主義。今の日本はそれに毒されている。

 テレビに出演している人が来ると、たくさんの人が彼・彼女を取り巻く。私にはなぜそうなるのかがわからない。

 劇団に所属している俳優さんたちは、テレビに出演したとしてもほとんどは脇役である。だからあまり目立つことはない。彼らは、テレビではなく、舞台の上で活躍していたいのである。確かにテレビは俳優として勝負する場所ではないと思う。映画やテレビは、細切れを撮影しそれを編集してひとつのものにする。俳優は何度でも撮り直しが出来る。しかし演劇はそうではない。俳優たちは、観客の前で、一期一会の芝居をする。間違いは許されない。舞台の上は、真剣勝負の場である。

 そして、いわゆる新劇は、それに加えて、ただ演技するのではなく、舞台で展開される演技の集合のその奥に、何らかの主張をもつ。観客は、だから新劇をみるときには、ただ見るだけではなく、その奥を見つめなければならない。新劇は深いのである。俳優さんたちの個性はもちろん重要ではあるが、彼らのそれぞれの演技が創造する劇は全体として観客の前に提示される、そして観客はそれを全体として受けとめる。受けとめるというのは、提示されたものそのものを受容するのではなく、みずからの思考をそこに絡ませていくのである。

 観客の側の思考の絡まりを求めない劇を、私は好まない。

 2020年の演劇鑑賞会の例会を紹介するチラシをもらった。私は、そのなかで加藤健一事務所のものだけはみようという意欲が湧かない。加藤が静岡県出身ということからかも知れないが、毎年加藤事務所の劇が入る。正直言って、加藤事務所の演劇は、深みがない。ということは、観客の思考の絡みを求めていないということでもある。

 新劇という演劇を見続けてきた私としては、それが時代遅れで人気がないのかもしれないが、新劇を見続けていきたい。


劇団青年座「からゆきさん」

2019-11-22 18:33:52 | その他
 2時間50分の舞台。一流の劇団による劇を見ているという気持ちがずっと続いていた。宮本研、なかなか重層的な内容をもつ台本を書いたな、という感じ。あらすじはよくわかる。その奥に何が隠されているのか容易に姿を現さない。

 ずっと前に出版された森崎和江の『からゆきさん』は読んだことがある。この劇の舞台となったシンガポールはじめ、東アジア、東南アジアには、肉体を売ってカネを稼ぐ日本人女性がたくさんいた。同じような内容の本に、山崎朋子『サンダカン八番娼館』がある。いずれも、同じような題材を扱う。
 そうした女性を送り出した近代日本は貧しく、そして公娼制度があった。貧困家庭に生まれた女性たちは、カネを稼ぐために、女工になったり、娼婦になったりした。

 この「からゆきさん」も、そうした風景を描いている。しかしそれだけではない。描かれているのは、シンガポールに住む娼婦も、もちろん娼館の経営者(主人公・巻多賀次郎)も、ナショナリズムに覆われている。日露戦争が始まると軍事献金に励む。それだけではない。彼らは儲けたカネを故郷に送金する。それが故に巻は、出身地では名士となっている。海外に於ける彼らの存在は、外貨獲得の尖兵となっていたといってもよいだろう。

 日露戦争までは、とにかく彼らにカネを稼がせ、送金させた。そして戦争に勝利する。日本は「一等国」に近づく。すると、近代日本国家は、「醜業」といわれていた娼館の仕事を棄て始めた。「醜業」に就いている者たちは国家的保護を受けられなくなった。ある意味での棄民である。

 国家は必要なときには利用するが、利用価値がなくなったらさっさと棄て去るのだ。そういう事例はたくさんある。

 そしてその構造は、男女間にも存在する。不要になった女を棄てる男。

 国家と個人、男と女、それぞれの関係がパラレルに描かれる。国家が個人を棄て、男が女を棄てる。

 しかし棄てられっぱなしの人々はそれでは生きていけない。

 そこにこの台詞が生きてくる。

 すきもきらいも、ひろうも棄てるも男の勝手。女はせつない。でも、棄てられたら、棄てられたふりして、棄てかえせ。

 女が男を「棄てられたふりして、棄てかえ」すことは可能だ。しかし個人が国家を「棄てられたふりして、棄てかえ」すことはなかなかできない。

 いかなる状態になろうとも、人間は生ある限り生きていかなければならない。この劇の「からゆきさん」たちは、国家を棄てて自分たちの力で生きぬこうと決意したようなのだ(言うまでもなく、男も棄てる。独善的な男と国家は信用できない!)。

 国家を「棄てかえ」すーそれは最後の場面で示唆される。国家が棄てるなら、私たちだって日本を棄てるのよ、という場面である。彼女たちはもちろん、「日の丸」を背負っていない。

 だが、主人公の娼館の経営者・巻多賀次郎は、国家に棄てられてもなお、最後の最後まで「日の丸」と「御真影」をまとっていた。「棄てる」ことはできても、「棄てかえ」すことのできない男は、国家を背負い続ける。女を「棄てる」ことができても、男は国家を棄てられない。これは喜劇でもあり、また悲劇でもある。




私はスズキを買わない

2019-11-21 17:52:46 | その他
 驚くべき事態、リコールしても同じところがリコール。

 『朝日』記事。

スズキ、51万台リコール ブレーキに不具合

2019年11月21日16時17分

 スズキは21日、ブレーキが利きづらくなる恐れがあるとして、パレットなど軽自動車3車種計51万7316台(2008年1月~13年2月製造)のリコール(回収・無償修理)を国土交通省に届け出た。ほかは日産ブランドでスズキが製造しているルークスと、マツダブランドのフレアワゴン。

 国交省によると、前輪のブレーキのホースに亀裂ができ、ブレーキ液が漏れる恐れがある。16年4月に同様の不具合をリコールしていたが、取り換えたホースも不適切だったという。

ウナギのこと

2019-11-18 22:44:53 | その他
 浜松はウナギで有名だ。しかし、ウナギ料理は高く、私は近年はほとんど食べていない。なぜ高くなっているかと云えば、ウナギが減っているからだ。なぜ減っているか、その答えが出て来た。

 要するに農薬である。ネオニコチノイド、ミツバチを殺している農薬が、ウナギにも影響を与えているようなのだ。

 それはこれ。

ウナギとワカサギの激減、殺虫剤が原因か、宍道湖
ネオニコチノイドの水界生態系への影響を初めて検証、産総研ほか


 ウナギに関わる人々は、この農薬に関心を持たなければいけない。そしてウナギが好きな人々も。

切手のこと

2019-11-02 12:43:02 | その他
 さる高名な刑法学者の本を読んでいたら明確な間違いが2個所あった。ある事件が起こった年が10年違っていたのである。個人的に知っていた方なので、お手紙を出して知らせてあげた。お礼のハガキがきたが、消費税の1円分を上乗せしてなかったので1円、ハガキに添付された郵便局宛のはがき状のものに1円切手を貼って投函した。

 そしてこのニュース。共同配信記事。


郵便局幹部が切手換金5億円着服 料金別納悪用、2人懲戒解雇 2019年10月31日 13時10分

 東京都の神田郵便局(千代田区)と芝郵便局(港区)の幹部がそれぞれ「料金別納」制度の支払いに使われた大量の切手を着服し、金券ショップで計約5億4千万円に換金していたことが31日、分かった。2014年度から16年度にかけ、神田郵便局で4億円、芝郵便局でも1億4千万円に上る。日本郵便は全額を返還させ18年度に2人を懲戒解雇したが、公表していなかった。

 料金別納制度は企業などが大量に郵便物を送る際に利用され、封筒やはがきに直接切手を貼らず、料金相当額を一括で現金や切手で支払う。受け取った切手は郵便局で細断処分しなければならない。今回はその切手が持ち出された。


 何ということか。

 そして『朝日』の記事。「着服の元課長「罪を犯したつもりない」」

 芝郵便局で約1億4千万円分の切手を着服したとされる元総務部課長が、朝日新聞の取材に応じた。主なやり取りは以下の通り。

 ――処分すべき切手を持ち出して換金したのか

 「私自身は、罪を犯したつもりはない。なぜなら使っていない。ためていただけなので、横領という感覚ではない。『全部返せ』というから返した。額は明言できない」

 ――お金はどうするつもりだったのか

 「死ぬ前に『これは寄付します』と遺書を残そうと思っていた。何かの役に立てて下さいという形で。家族に譲るつもりはなかった」

 ――換金した切手は、いずれ再び郵便局に戻ってくる

 「それは考えなかった。正直、頭に浮かばない」

 ――こうした不正は他にもあると思うか

 「私はただためただけだが、他の人で、遊びとかの目的でやっている人は絶対にいると思う」


 かんぽの不正といい、こうした横領事件といい、郵便局に関わる犯罪、不正があとを絶たない。

声は出るが・・・

2019-11-01 20:56:34 | その他
 声は出るようにはなっているが、まだ完全に回復していない。声に濁りがある。

 なぜ急に喉の異常を感じ、声が出なくなったのか。そしてそれとともに激しい咳がでるようになったのか。1ヶ月経つのに、完治せずである(咳は出ないし声も出る。しかし声が元に戻っていない)。

 耳鼻咽喉科では、まったく悪いところはない、という。ならば逆流性食道炎か。そこで胃酸を抑える薬を飲み、また内視鏡検査もした。異状はない。

 だとすると、アレルギーか、それとも気管支や肺からの影響か。私の主治医は、アレルギー説だ。今日、アレルゲンの血液検査の結果がきた。まずスギ、これが圧倒的だ。私はもう20代の頃からスギによる花粉症である。そしてイネ科の植物、おおあわがえり、はるがやの値が大きい。そしてブタクサ。

 たしかにマスクもしないで畑で労働していたから、イネ科の花粉によるアレルギーという可能性もある。
 
 声が出ないとき、原因についての私の推測を紙に書いて渡したが、そこにはアレルギー説も記したが、まだ私は完全に納得していない。そこで肺のCTをとることにした。放射線被曝があるが、しかしやむを得ない。

 10月から11月は、病との闘いである。

翼とシャーク

2019-11-01 08:21:35 | その他
 芥川龍之介に「歯車」という小説がある。

 その末尾のあたりにこういう記述がある。

僕は僕の二階に仰向けになり、じっと目をつぶったまま、烈しい頭痛をこらえていた。すると僕の※(「目+匡」、第3水準1-88-81)の裏に銀色の羽根を鱗のように畳んだ翼が一つ見えはじめた。それは実際網膜の上にはっきりと映っているものだった。僕は目をあいて天井を見上げ、勿論何も天井にはそんなもののないことを確めた上、もう一度目をつぶることにした。しかしやはり銀色の翼はちゃんと暗い中に映っていた

 芥川に見えたものは、「銀色の羽根を鱗のように畳んだ翼」である。歯車も見えるようだ。私も時々そういうものが見える。私の場合は、シャークの歯のようなものだ。3~4ヶ月に一度、それがやって来る、突然、前触れもなしに。

 しかしそれは30分くらいで消えていく。芥川は頭痛を伴ったと書いているが、私の場合はそれはない。この「病気」、「閃輝暗点」というらしい。

 私の場合、15年ほどまえからシャークの歯が見えるようになった。この前、一日に三回続いたのでついに眼科に行った。眼それ自体は問題がないようで、この「閃輝暗点」、結局頭の中の血管に「発作」のようなことが起こるかららしい。

 私も先日、頭のMRIをやった。その結果はまだ来ていない。