テレビを見ていて、戦艦長門を撮影していたので、(アメリカの空母サラトガも)
そこから戦争時の話になり、
義父がむかし、イ号潜水艦に乗っていてしかも機関長だったという事を聞いた。
潜水艦乗りだったというのは昔聞いた事があったけども、機関長をしていたのは初耳だった。
義父は病気治療の為に船を降りて療養していたところ、出航した先でその潜水艦が沈んでしまい、
陸戦隊として中国行った時にも何気なく振り返った目の前に死んだふりの敵兵が銃を構えていたので
思わず撃ってしまったのだそうだ。
その事を死ぬまで悔やんでいたという。
そして大陸からも怪我のために本土に帰って来て海軍工廠にいたのだが、
その海軍工廠の大空襲の日も休暇で家に帰っていた為に生き残ってきたのだという。
そこは私の父と似ている。
偶然にも父も同じ海軍工廠にいたらしいが、たまたま家に帰っていたところ
大空襲があったので命拾いをしている。
義父の兄弟も戦艦赤城に乗っていた人もいたが、マラリアかなんかで船を下ろされている間に出撃した
船が撃沈されて命拾いしたらしい。
しかし、やはり特攻隊に志願して飛行機で突っ込んで戦死した人もいると。
ちなみに自分の伯父も沖縄戦で通信兵をしていたらしいけれど、帰ってきた。
伯父は死ぬまで戦争の話をしたがらなかった。
まだまだ身近な話なんだな。
そこから戦争時の話になり、
義父がむかし、イ号潜水艦に乗っていてしかも機関長だったという事を聞いた。
潜水艦乗りだったというのは昔聞いた事があったけども、機関長をしていたのは初耳だった。
義父は病気治療の為に船を降りて療養していたところ、出航した先でその潜水艦が沈んでしまい、
陸戦隊として中国行った時にも何気なく振り返った目の前に死んだふりの敵兵が銃を構えていたので
思わず撃ってしまったのだそうだ。
その事を死ぬまで悔やんでいたという。
そして大陸からも怪我のために本土に帰って来て海軍工廠にいたのだが、
その海軍工廠の大空襲の日も休暇で家に帰っていた為に生き残ってきたのだという。
そこは私の父と似ている。
偶然にも父も同じ海軍工廠にいたらしいが、たまたま家に帰っていたところ
大空襲があったので命拾いをしている。
義父の兄弟も戦艦赤城に乗っていた人もいたが、マラリアかなんかで船を下ろされている間に出撃した
船が撃沈されて命拾いしたらしい。
しかし、やはり特攻隊に志願して飛行機で突っ込んで戦死した人もいると。
ちなみに自分の伯父も沖縄戦で通信兵をしていたらしいけれど、帰ってきた。
伯父は死ぬまで戦争の話をしたがらなかった。
まだまだ身近な話なんだな。