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伊豫軍印(9) 日本古印の知識

2023-04-30 08:43:52 | 趣味歴史推論
 次に「伊豫軍印は日本の古印である」(奈良平安時代の古印)という説を検証する。
先ず、日本の古印(鋳銅印)について、本印に関係のありそうなところの知識を木内武男編「日本の古印」(1965)などから抽出し、筆者の覚として記しておく。

官印
 日本の印章制度が定められたのは文武天皇大宝元年(701)である。公式令の規定によれば、官印は、4種あり、官司の公文書に使用された。
①内印---「天皇御璽」方3寸、5位以上の位記および諸国に下す公文に用いられる。
②外印---「太政官印」をいう。方2寸半、6位以下の位記および太政官の文案に押捺される。
③諸司印---政府各省、諸部局の印 方2寸2分、諸各省から官に上る公文、移・牒等の文書に用いられる。
④諸国印---方2寸、地方諸国から京に上る公文・調物に捺される。

 これらの官印(銅印)の鋳造材料は、延喜式15巻17内匠寮(たくみりょう)式に、2)以下のように記されている。3)4)
①内印1面料 熟銅大1斤8両(1005g)、白錫*大3両(126g)合計1斤11両(1131g)
②外印1面料 熟銅大1斤(670g)、白錫大2両(84g) 合計1斤2両(754g)
③諸司印1面料 熟銅大14両(586g)、白錫大1両2分(50g)合計15両2分(637g)
④諸国印1面料 熟銅大12両(503g)、白錫大1両1分(46g)合計13両1分(549g)
*白錫は白「金偏に葛」の字
 残念ながらこれらの官印の遺物は一つもない。文書の印影から確認できる。組成は銅(Cu)約90%、 錫分(Sn)約10%であることがわかる。国印の重さは、実物がないので正確にはわからないが、1面料の8割と(筆者が)推量すると549×0.8=439gとなる。

公印
 官印に準じた公印として、僧綱印・神社印・寺院印、官印の性格に近いものとして、国倉印・郡印・郷印・軍団印などがある。僧綱之印・大神宮印・法隆寺印などはおおむね方2寸、また国倉印もおおむね方2寸であり、大きさは、官印のうちの最も小さい諸国印に相当する。5)その印刷・寸法・書体などからして明らかに国印に準じたものであることが分かる。以下郡印・郷印・軍団印はいずれもこれより小さい。
 郷印は方1寸の規定があるとされてきた(木内武男)が、これは引用間違いであり、6)どこにも規定がないが、実例ではほぼ1寸である。郡印は、国-郡-郷の律令行政組織に準ずる形で、おのずと方2寸の国印と方1寸の間に位置すると理解してよいであろう。 「坂井郡印」方1寸8分(54mm)、「山邊郡印」方1寸6分(47mm)と家印(1寸5分以下)を超えていた。日本の印制は、おおむねまずその大小により官司所属の軽重、およびその格式の高下を認めることができる。軍団印では遠賀・御笠の両軍団印が遺されている。共に方1寸4分(42mm)である。軍団は兵部省の所管であり、諸国に設置された兵制であるが、団印の規定は見えていない。

私印
 私印は、「類聚三代格」貞観10年(868)で諸封家の印の使用が認められ、大きさは1寸5分(約45mm)以下と規定された。


 元来中國六朝前の印章は、封諴を確証することを目的とし、あるいは綬をもって身におびたものである故、当然鈕孔を必要とした。しかし隋唐以来の丁鈕印は、紙絹に印を捺す関係上考慮された必然的な結果であり、したがって綬制のこともなく、鈕孔も無用のものとなった。
 日本の印は当初より公文書などに捺印するために用いられるものであって、鈕孔は必要としなかった。しかし私印にあっては使用上おのずから区別され、当初は鈕孔も正しく作られていたが、のちには鈕孔の有無は単なる意匠上の問題となり、ほとんど鈕孔を施すこととなった。現存古印の鈕制からすると、官公印の類はおおむね弧鈕無孔であり、もって当時のそれも弧鈕無孔であろうことが推測される
 会田富康は、弧鈕、莟鈕という語を用い、鈕の形状を大別して二種類とした。両者とも日本独特の形と見られる。7)
弧鈕(こちゅう):鈕の頭部が弧の形状のもの。圭鈕(天子の用いた玉の姿から)ともいう。
莟鈕(かんちゅう):鈕の頭部が莟(つぼみ)、花弁の形状のもの。鶏頭鈕ともいう。
 久米雅男「日本印章史の研究」は、鈕の形状の変遷について現存古印で考察した結果、基本的には「法隆寺印」「隠伎倉印」(孤鈕・無孔)→「造崇福印」「鵤寺倉印」(莟鈕・無孔)→「豊受宮印」「賣神祝印」(莟鈕・有孔)といった順序で並ぶことはほぼ間違いないとして、しかし「大神宮印」(弧鈕・無孔)や「内宮政印」(莟鈕・無孔)の例でも明らかなように、「後代」に「再鋳」もしくは「改鋳」を行う必要が生じたおりに、「後代の形式もしくは型式」によってではなく、「当初の古体を模して鋳造する」場合すなわち「模古印を製作する」場合があるので、そういったおりには単なる上述の図式の了解だけでは当を得ない場合があることを教えられるのである と書いている。8)→図

注 引用文献
1. 木内武男編「日本の古印」の内、 木内武男「日本古印の沿革」、会田富康「古銅印の鋳造技法」(二玄社 1965) web. 国会図書館デジタルコレクション
2. 内匠寮は、朝廷の調度製作官司として神亀5年(728)に設置された令外官である。『延喜式』には公印鋳造の業務が職掌に規定されている。
3. 国立歴史民俗博物館 web. デジタル延喜式 Engi shiki Database >内匠寮>17.16~19 現代語訳付き
4. 延喜式の度量衡
 1尺=298mm 1両=37.5g 1斤=16両、大1斤=670g (大は約1.13倍)
5. 国倉は、国衛に設置せられた主要なる倉庫である。隠岐・駿河・但馬の三倉印が現存する。
6. 平川南「古代郡印論」国立歴史民俗博物館研究報告第79集 p457(1999)
7. 会田富康「日本古印新攷」p100(宝雲舎 昭和22 1947) web. 国会図書館デジタルコレクション
8. 久米雅雄「日本印章史の研究」p178(雄山閣2004)

図. 鈕式の変遷(久米雅雄「日本印章史の研究」より)



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