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立川銅山(5) 「神野旧記」(1)

2022-03-20 08:22:24 | 趣味歴史推論
 立川山村庄屋神野家の「神野旧記」が、立川銅山山師の名前の出所になっているようだが、この「神野旧記」について、郷土史家正岡慶信(ペンネーム:芥川三平)が 「新居浜史談」に以下のように記している。1)

1. 「「神野旧記」には、次の記載がある。(A,B,Cの区分けは筆者が付けた)
A
  立川山村初而庄屋
     神野藤兵衛忠治

 寛永11年戌年4月 領主松平中務様御領地に換り、同年同日当村に於て初而里正被仰付候
 正保2酉年5月領主一柳丹後守様御領分に相成事等

B
 立川銅山始マリ慶安戌子年始ム、別子銅山は元禄未年始ム。宝暦12年両銅山がひとつになる。

C
 1. 西条 戸左衛門
 2. 土佐 寺西喜助
 3. 一柳監物時代 紀州熊野屋彦四郎
 4. 大坂 渡海屋平左衛門
 5. 大坂吉兵衛
 6. 金子村 眞鍋与一右衛門
 7. 西京都 銭座仲間
 8. 大坂屋 永二郎
 9. 大阪 泉屋理兵衛
 10. 大坂 住友氏

 芥川によれば、「Bは、右文面Aの上段に細字で書かれていた。そして細々とC 歴代稼業主の名が並んでいる」とある。

考察
1. この旧記は、庄屋神野家の由緒書・年譜Aであり、Aが書かれてから後に、B,Cが書き足されたものである。Aはいつ誰が書き、B,Cはいつ誰がどのような根拠で書き足したか
大阪泉屋理兵衛の注に「ここだけ大阪と出ている。筆写間違いか?」とあるので、芥川が見たものは、筆写したものであろう。大阪の字によれば、かなり新しいのか。いつ筆写されたのか。
2. Aについて
 神野藤兵衛忠治と書かれており、 初代里正は「忠治」であることがわかった。元禄8年の抜合、10年の訴訟時の名前も藤兵衛なので、「藤兵衛」を襲名していることがわかる。2代又は3代か。この人はどのように記されているのかを見たい。
 神野藤兵衛は、西条戸左衛門らと立川銅山を開発したと言われているがそのことが書かれていない。由緒書・年譜という事を意識すれば、書いてもよいと思うのだが。
3. Bについて
 「慶安戌子年」は「慶安戊子年」の間違いであるが、どこで間違ったか。「慶安元年始む」とした情報源はなにか。
4. Cについて
 ① 「渡海屋平左衛門」とあるが、泉屋叢考では「海部屋平右衛門」である。なぜ2説あるのか。2)
 ② 「大坂屋吉兵衛」ではなく、単に「大坂吉兵衛」である。あまりにもおおざっぱすぎる。これでわかると考えて書いたのであれば大坂屋を意味しているのであろう。しかし「永二郎」では ちゃんと「大坂屋」と書いているのだから、「吉兵衛」は大坂屋でない可能性も残る。
 ③ 「金子村 眞鍋与一右衛門」とあるが、泉屋の文書ではこの人は「間鍋彌一左衛門」と表記されている。「豫州別子立川両銅山開発覚書」宝暦8年(1758)において、また抜合時の山師として「彌一(市)左衛門」元禄8~10年(1695~1697)と書かれている。
「まなべ」を「眞鍋」と表記するようになったのはいつからか。新居浜では、当時から「眞鍋」だったのか。また、左衛門と右衛門あり。どこかで誰かが「右」と「左」を読み間違えたのか書き間違えたのか。
 ④ 「銭座仲間」は、「京都」ではなく「西京都」としていることより、書き込み者の情報源がわからないか。筆者は「西」とあるのを初めて見た。
 ⑤ 「大坂屋永二郎」は、大坂屋永次郎のことで、永次郎は六代大坂屋久左衛門智清の初名である。3)書き込み者は、永次郎が、泉屋に譲る時の久左衛門であることを知っていることになる。

2. 「神野旧記」原典の行方4)
 芥川は、立川物語の基本は「神野文書」としたいと考えて、その完本を図書館等いろいろ探したが、見つからなかった。そこで、立川出身の郷土史家K先生にその所在を訪ねた。先生の答えは「神野文書はないのです。私も長年に亘って神野文書を尋ねているのですが、ありません。神野の庄屋の孫に当たられる方が古文書等も纏めて大阪へ出ておられたが、昭和20年の戦災で家財もろとも焼失してしまったようです。本当に残念な事を致しました。」であった。

まとめ
 神野旧記で、立川銅山山師の名前は、余白に後から書き足したように見える。
 原典は焼失したようなので、その写真か筆写本を探し出して、疑問を解明したい。


上記の「新居浜史談」の存在は、郷土史家の入江義博様、眞木孝様に教えていただきました。お礼申し上げます。

本報は、3月10日に書き上げたものである。その後、神野旧記について進展があったので、追って書きたい。

注 引用文献
1. 芥川三平「山の掟と彩(上)」『新居浜史談』332号p6 (2003.4)
 里正(りせい):庄屋、村長のこと
2. 本ブログ「立川銅山(3)」
3. 本ブログ「立川銅山(4)」
4. 芥川三平「立川物語(6)」『新居浜史談』304号p23 (2000.12)


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