気ままな推理帳

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立川銅山(6)「神野旧記」(2)

2022-03-27 08:27:51 | 趣味歴史推論
 露口誠一氏(平成11年当時、住友金属鉱山(株)別子事業所精銅工場長)から、神野旧記に関する情報を令和4年3月13日に頂いた。露口氏は、神野家の古文書の一部分を読み下し解読し活字化することを試み、その成果を小冊子にした。その趣旨を記した序に、神野旧記についての貴重な情報があり、露口氏の了解を得たので、以下に転載する。

    神野旧記活字化にあたって
 ここに使用した神野旧記の底本は、神野一義氏から頂いた。これは2部に分かれており、第1輯は『新居郡立川山村里正年譜』 第2輯は『新居郡立川山村神野旧記』の表題が付いている。奥書に『この旧記纂輯は、大阪神野幸男所蔵のものを今夏借閲したれば、ここに書写し所のものなり。昭和11年6月1日 明比貢』とあり、西条の郷土史家明比貢氏が、大阪の神野さんから借りてきて書き写したものとわかる。
 第1輯は、立川山村最後の里正(庄屋)神野信夫が記したもので、元和7年の神野藤兵衛忠秀から神野信夫に至るまでの11代の里正の年譜である。冒頭に『ここに、明治15年3月立川山村里正連綿履歴年譜取り調べ記載致し置くべし』とある。尚、この1輯は既に、神野一義氏によって活字化されている。
 第2輯は、『恐れながら願い上げ奉る御事』、『角野村立川山村山論の旧記』の他、税の詳細を記したもの、境界問題に関する覚え等の他、信夫作と思われる、漢詩、和歌、等が含まれている。今回は、物語性のある『恐れながら願い上げ奉る御事』と『角野村立川山村山論の旧記』の2つを活字化することを試みた。解読に当っては、新居浜市東田大師堂住職喜代吉榮徳氏にご教授願ったが、文字、内容等の間違いについては全て浅学非才の私の責任である。歴史的背景の知識をもってすれば、更に貴重な資料になりうるであろうと思いながらも取りあえず第1版としたい。
                       平成11年9月
                        露口誠一

 この序により、小葉田敦が引用した「新居郡立川村理正年譜」1)と「別子開坑二百五十年史話」に記載の「新居郡立川村庄屋神野家の文書」の関係がはっきりした。
すなわち 「神野旧記」は、11代里正の神野信夫がまとめたものである。
その第1輯が「新居郡立川山村里正年譜」であり、元和7年(1621)から明治15年(1882)までの里正の履歴年譜である。
第2輯は「新居郡立川山村神野旧記」であり、立川山村神野家の古文書と、それに神野信夫作の漢詩、和歌などが加えられたものである。
 前報によれば、立川銅山の開坑年や、山師の名前は、第1輯に書かれていたことになる。そして、原典は戦災で焼失しているが、明比貢氏が昭和11年に筆写した本は、存在する可能性が高い。

まとめ
 神野旧記は、明治15年に最後の里正神野信夫が編纂したものである。
 昭和11年の筆写本を探し、第1輯の「新居郡立川山村里正年譜」を調べたい。


 貴重な情報を頂きました露口誠一様にお礼申し上げます。また露口様に繫がる情報を頂きました喜代吉榮徳様にお礼申し上げます。

注 引用文献
1. 本ブログ「立川銅山(2)」