気ままな推理帳

本やネット情報から推理して楽しむブログ

立川銅山は天正年間に操業していた?

2018-03-04 23:20:57 | 趣味歴史推論
「寛永15年空性法親王御巡行記の白窟は、市之川鉱山か」のなかで引き合いに出した立川銅山の開坑年を再度調べた。

1. 立川銅山沿革記によれば1)
 「右銅山者寛永年中一柳監物様御領分之砌、所之者致開発候由申伝、其後中絶有之候処、松平左京太夫様御領分ニ相成、右御領分金子村之百姓眞鍋弥一左衛門と申者致再興、元禄三年より同十四年巳年迄相稼云々」


2. 別子開坑二百五十年史話で、古文書記載の証拠があるのは以下のである。2)
「宝暦11年住友家より幕府巡見使に提出せる[立川御銅山仕格覚書]に「伊予国新居郡立川山村之内長谷御銅山者百餘年以前一柳監物様御領地之節始相稼」とあり、また現に同銅山に寛永谷や、寛永坑の名称のあるのは、まさしくその寛永頃の採掘を語るもので、時は住友家の別子開坑にさきだつこと、すくなくとも五六十年以前であった。」

3. 上記二つの文献によれば、開坑は藩主一柳監物の時にあたる。
伊勢国神戸藩主であった一柳監物直盛(ひとつやなぎけんもつなおもり)は寛永13年(1636年)6月1日、伊予国西条へ転封となり、6万3000石余の西條藩が成立し、初代藩主となった。直盛は任地に赴く途上の寛永13年(1636年)8月19日、病のために大坂にて没した。その遺領は長男直重に西条藩3万石、二男直家に(既に領していた播磨国小野藩5000石に加えて)川之江藩2万3000石、三男直頼に小松藩1万石として分知された。

よって、一柳監物直盛の藩主期間は寛永13年だけであるので、立川鉱山の開坑年は寛永13年となる。

4. 別子開坑二百五十年史話では、銅鉱石の採鉱を記載した古文書等の証拠は挙げられていないが、奈良時代以前からこの地では、御村氏が鉱山を経営したことが明らかに知られると書いている。

「孝徳天皇(在位645~654年)の御宇に生れさせられた龍古乃別君(たつこのわけぎみ)が、代々新居郡立川山の産土神とし祀られ、龍河神社の祭神に崇めさせられてゐるのも、これまた御父祖以来、此の地方にて鉱物採取を掌らさせてゐた證左であって、いまにその遺蹟とおぼしき邊より、當時の年代と一致せる彌生式土器の出土を見るのである。----かように立川の地は加禰古(かにこ)、龍古(たつこ)の別君(わけぎみ)のよって鉱業を創始せられた為、住民永くその御縁故を尊んで別子(わけのこ)とよび、次いで別子(べっし)と音読して、古代新居郡東部の鉱山地帯を汎稱するに至った。後ち平安朝時代より、鎌倉、室町時代に入り、時の為政者が内部の抗争に没頭して、また地方の鉱業を顧みざること久しきに渉つた為、往時盛を極めた御村氏一族の経営も、さながら一夢と化し、ただ立川(たつかわ)の稱呼のみ上古の廃坑附近地に傳えられ、別子の名は分水嶺の南方、宇摩郡の一部に用ひられて、僅に別子山村の村名に昔日の名残りをとどむるにすぎなくなったが、--」

銅の採鉱を証する古文書などが見い出され公開されることを願う。(既に公開されていて筆者が知らないだけかもしれないが)

5. 新居浜在住の高橋恭子著「立川(タヂガワ)銅山物語」では、天正13年(1585年)の天正の陣の以前に、既に立川銅山が操業されていたことを書いている。3)

「大同3年(808年)伊王郡別名村星大明神諸願成就をした片岡氏は、源平合戦で平家が滅亡した文治元年(1185年)加茂川をさかのぼり、四国山脈を越えて土佐に身を隠した。--- 年は下り、---土佐の長宗我部国親、元親に信任された片岡茂光は、仁淀川流域の高吾北一帯を領するに至った。この頃から立川鉱山に関わりを持つようになったと推定される。長宗我部元親は、続いて阿波の三好氏を滅ぼし、次に伊予の東予新居郡の金子元宅ら7城主と同盟を結び、天正13年(1585年)春に四国制覇を遂げた。が僅か2,3か月後に豊臣秀吉の命を受けた中国・毛利氏の小早川隆景率いる軍勢が伊予国新居郡に上陸し、金子城城主金子元宅率いる東予勢力を制圧した(天正の陣)。片岡茂光の子、片岡光綱は、元親の命により、急遽金子城へかけつけ、援兵の高吾北に住む一領具足達と共に戦い、討ち死にした。
立川銅山の経済力を背景に栄えてきた長宗我部家、片岡家、金子家、真鍋家、高橋家はこの戦いにより有用な人々のほとんどを失った。」

 残念なことに、天正あるいはそれ以前に銅鉱石を採掘していたことを示す古文書は開示されていない。一柳藩主以前に銅山が操業していたことを示す貴重な証拠となるので、開示を強く願う。

6. 4,5から見ると、寛永13年以前に立川銅山が操業をしていた可能性が高いのであるが、その証拠となる古文書等が開示されることを願う。


1) 芥川三平「別子開坑記」p4(発行所:正岡慶信、昭和61.7)
2) 住友本社庶務課編「別子開坑二百五十年史話」p106-107(昭和16年)国会図書館デジタルコレクション コマ84~86
写真コピーを添付する
3) 高橋恭子「立川(タヂガワ)銅山物語」p25~34(平成24.8.14)