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芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

急減する登米市の人口

2008年04月08日 | Weblog
4月に入って直ぐ、ご近所の元先生享年83歳と小中学校同級生のお父上享年93歳が亡くなった。街を歩くと、その他にも忌中の表示があちこちで見られる。年寄りが多いのだから、亡くなる人が多いのは、考えてみれば、当たり前だ。これでは、不祝儀袋が沢山必要だ。それに引き換え、祝儀袋を使う事など殆どない。4月1日から市立病院廃院となり、亡くなった二人は、隣町の病院に救急車で運ばれてから亡くなっという。何しろ、若者を殆どみた事がないのだから、年寄りが、順繰りに亡くなり、そのうちに亡くなる人もいなくなるであろう。小学校もなくなれば、市という名前だけの廃墟のような町になるのではないか。お通夜の合間を縫って、伊達宗弘氏の『伊達八百年歴史絵巻』の出版記念パーティーの準備を我が家で行なった。彼が市政に関われば、人口を増やせるのではないだろうか。いかにすれば登米市全体の人口を増やせるかという私の考えは、すでに伝えている。今の急減する登米市の人口は、その減少の勢いは止められない。そうすれば、佐沼に集中営業している大手の店は、旧来の店を潰し続けた挙げ句に、店を畳んで、出て行くであろう。