初めて、ヒロイン・チニ(あちらは苗字と一緒の時はジニと濁る読み方になるらしい。どれだとそうなるかは知らない)
キーセンとしてはミョンオルが(芸名?になる)イエジョパンソという、日本で言うお武家さんと駆け落ちをしたシーンを見た。
私、この回だけ知らないのよ。
だから凄く知りたかったの。
バラしますが(だから読みたくない人はここから引き返して~)
3年経った所、から始まってるんですね。2人の駆け落ち後って。
その割に、いろいろ教坊(きょうぼう=キーセンが住む場所)の事情も変わったのに、チニとイエジョパンソを探そうとする人々の執念は変わってない。
やはり韓国人の感情が判らないかもしれない。
日本だと3年も経つと「もういいじゃないか」となる。
事情も変わった、それどころじゃないとなる。
でも3年かかってもまだ2人を追う人々。
そして駆け落ちした2人が幸せそうじゃない。
3年夫婦を普通にしててもちょうど慣れてくるというか、倦怠期?
だからか、幸せな2人じゃなかったんだということが、残念。
逃げてた間だけは幸せであってほしかったね。
そこまで求められるミョンオル(チニ)の舞手としての才とはどんなものだ?
普通のダンサーでも3年踊らないともう元に戻るのは難しい。
まして彼女の場合、初恋の彼が死んでしまって6年舞っていない。
それを1か月の訓練で取り戻し、今度は駆け落ちして3年舞っていない。
ここからまた舞手として立ち直るのは凄いこと。
もの凄い才能だ、としか言いようがない。
みんなそこまでして何故あの2人を探すのか?
罪人は罪人、身分違いの2人が結婚するなどあり得ない、まして駆け落ちしたんだからね。
でも
ミョンオルが最後のお前が越えるべき高い山(彼女の敵役のキーセン・プヨンにとって)
イエジョパンソも王の命に背いて逃げたわけだが、そこまでして探しだしたい王のイエジョパンソへの信頼であり、執念。
判らん。
何故、そこまで追う?
追ってやるのだ?
忘れてやれ。
でも、最終回などを考えると、舞手として天才的な能力を持って生まれたチニには普通の生活は幸せではない。
そういうことかな。
と納得するしかない私であった。
キーセンとしてはミョンオルが(芸名?になる)イエジョパンソという、日本で言うお武家さんと駆け落ちをしたシーンを見た。
私、この回だけ知らないのよ。
だから凄く知りたかったの。
バラしますが(だから読みたくない人はここから引き返して~)
3年経った所、から始まってるんですね。2人の駆け落ち後って。
その割に、いろいろ教坊(きょうぼう=キーセンが住む場所)の事情も変わったのに、チニとイエジョパンソを探そうとする人々の執念は変わってない。
やはり韓国人の感情が判らないかもしれない。
日本だと3年も経つと「もういいじゃないか」となる。
事情も変わった、それどころじゃないとなる。
でも3年かかってもまだ2人を追う人々。
そして駆け落ちした2人が幸せそうじゃない。
3年夫婦を普通にしててもちょうど慣れてくるというか、倦怠期?
だからか、幸せな2人じゃなかったんだということが、残念。
逃げてた間だけは幸せであってほしかったね。
そこまで求められるミョンオル(チニ)の舞手としての才とはどんなものだ?
普通のダンサーでも3年踊らないともう元に戻るのは難しい。
まして彼女の場合、初恋の彼が死んでしまって6年舞っていない。
それを1か月の訓練で取り戻し、今度は駆け落ちして3年舞っていない。
ここからまた舞手として立ち直るのは凄いこと。
もの凄い才能だ、としか言いようがない。
みんなそこまでして何故あの2人を探すのか?
罪人は罪人、身分違いの2人が結婚するなどあり得ない、まして駆け落ちしたんだからね。
でも
ミョンオルが最後のお前が越えるべき高い山(彼女の敵役のキーセン・プヨンにとって)
イエジョパンソも王の命に背いて逃げたわけだが、そこまでして探しだしたい王のイエジョパンソへの信頼であり、執念。
判らん。
何故、そこまで追う?
追ってやるのだ?
忘れてやれ。
でも、最終回などを考えると、舞手として天才的な能力を持って生まれたチニには普通の生活は幸せではない。
そういうことかな。
と納得するしかない私であった。