私の悲劇 ~Wの悲劇~

2007-01-31 17:50:46 | エッセイ風
 印象に残ってる映画ですね。「Wの悲劇」
 ミステリー作家の夏樹 静子さんの同名小説を、当時圧倒的人気の女優・薬師丸 ひろ子さんで映画化したものです。
 映画の方は、和辻家の悲劇と女優になりたい少女の思いをからめたストーリーになってまして、なんていうのか・・・、ある種、役者をやっていきたい子へのメッセージの強い作品になってる。そんな感じがするんです。

 ヒロインは自分の所属する劇団の次回公演「Wの悲劇」の真子役のオーディションに落ちてショックを受けてる。そこへ彼女を思う青年の出現や、主演女優のスキャンダルを肩代わりすることで、真子役をできるチャンスを得たり・・・そこへ夏樹さんオリジナルの和辻家の悲劇の劇中劇が絡んできます。

 こんなエピソードが出てくるんですね。
 ライバルの役者が死んで、親友でもあった彼は親友の死をただ純粋に悲しみたい。でも、何処かで役者の自分が、ここではもう少しライバルを亡くしたって思いよりも、自分が浮ぶかも知れない嬉しさを表現した方がいいんじゃないか。そう囁きかけてくる声がある。それが嫌だっただから役者を辞めたんだ。

 判りますね。あるの。役者はいつでも役者だし。作家もいつでも作家なの。だから一個人であっても常にもう1人の自分の目って存在はある。
 でも、それが嫌なら、辞めるべき。そう思う。

 また、思いがけず真子役をやれることになって、幕が上がる間際、新人女優は怯えるんですよ。「私、怖いんです。この舞台を全て壊してしまうみたいで」(
みたいな台詞ね)
 そうすると言うんです。スキャンダルを肩代わりさせ、強引に真子役に彼女を押し上げた主演女優が。
 「あなた、この為に何を犠牲にしてきたの?」「私なんか、初舞台の時、怖くて生理が始まっちゃったのよ。でもやったわよ、血にまみれて」(みたいな台詞)「女優、女優、勝つか負けるかよ」(みたいな台詞)
 怖いんですよ。とっても。でも判るんです。
 そしてあるです、実際にこういうこと。

 私も役者をしたことがありますからね。
 なーんか・・・。・・・ですね。

 役者でも作家でもある種、とり憑つれたような仕事でしょう。それは仕事と呼ぶものではなく、生き方かもしれません。本気でやろうとしたら、もう人生捨てたようなものかもしれない。

 それが嫌なら、人並みの幸せが欲しいなら、しない。もしくは確実に趣味の内に留めるべき。もしかしたら・・・上手く行くなら・・・みたいな変な色気は持たないこと。

 でないと、恨んでしまうのね、色んなことを。
 目に見えない、運とか才能とか、そんなことが左右するという世界は、過酷です。その過酷さを楽しめる人だけが、もしかすると成功できるのかな。

 とも思う。

 判らないけどね、今の、私には、まだ。


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