ワークシェアリング

2009-01-12 21:13:17 | エッセイ風
 暮れからですが、明るくないニュースが流れ続けています。
 派遣切り、内定取り消し。

 それぞれいろんな手が打たれているようですが、今、1つ上がっている案がワークシェアリング。即ち、痛み訳ってことなのかしら。

 例えば、ある市はその職員の残業代をカットすることで浮く金銭で臨時職員を雇用する予定だと言う。

 それで職を得、生活を安定させる方が出るなら、それは1つの解決案でしょう。

 確かに残業代をカットされる側からすれば、病気の親を抱えているのに、子供の教育費がかさむのに、ローンがあるのに。言うことはいろいろあるでしょう。
 でも、生活も出来ずに行き先を失うことと比べれば・・・ってことですよね。

 自棄になり、街の治安が悪化すれば、誰かがその犠牲となることだって考えられる。それが自分とは関係のない話と言い切れないのが、共同体って世の中だしね。

 情けは人の為ならずと言いますが、かけた情けはかけた相手から返らずとも必ず戻りいつか困った時に自分助けることになる。

 そう思えば、こう言う時だからこそ痛み訳をしよう。それがいつか自分に返ってくることもあるんだから。

 思ってもつらいものもありますよね。
 でもそんな中ですら希望はあると思うのです。
 誰かが感謝し、いつか大きな恩を返せれば、そう思って頑張った誰かがいつか大きな借りを返してくれるかもしれない。
 
 理想の話だけど、新しい人を助ける道具を作るとか、薬を作るとか。
 例え、恩を受けた本人がなし得なくても、それを出来る人を助けて次の人がそれをなし得れば十分に還元したことになる。
 
 その時、痛み訳で残業代をカットされた人が、それによって生命を永らえさせることもある。ダメだと思っていた親を助けることだってできるのかもしれない。わが子を亡くす悲劇から守られるかも知れない。

 その可能性も無いわけじゃない。

 多分、形は違えどそうやって社会はここまで発展してきたんじゃないかな。

 そして更に発展すれば、もしかしたら、戦うなんて無意味なことすら止めようと思う人も増えるのかもしれない。その意味のなさに馬鹿馬鹿しさが募り、誰かを思い愛することにより意味を見出す人が増えるかもしれない。

 愛は返ると信じたい。信じるところから始めなきゃしょうがないもの。

 長い目で見れば、そうして答えは返るってくる。そんな人々の善意を信じてみたい年だと思う。

 


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