少し時間ができたので、本棚を席捲している積ん読の中から、平野啓一郎『滴り落ちる時計たちの波紋』を引っ張り出して読みました。読む前に想像していたより面白かった、というのが、僭越ながら感想。
例え方がちょっとアレですが、言うなれば、老舗の料亭の若き三代目がデパ地下に出店して2000円のお弁当売ってる、とかそんな感じ?一品一品は小ぶりで手軽な印象ですが、それぞれに丁寧な仕事がしてあって、ちょっぴりお特感のある短編集でした。
こういうものを読むと、やはり平野啓一郎は達者だな、という印象を受けます。少しばかり若さの表れているところもありますが(「白昼」や「閉じ込められた少年」のような、少しばかり言葉遊びに遊ばれすぎた感のある作品とか)、それもまたひとつの魅力かもしれません。
他方で、確かな技術で丁寧な仕事をしてしまうあたりが、やはり平野啓一郎の現時点でのひとつの限界というか、望むと望まざるとに関わらず、彼が立たされてしまう立ち位置というものを表しているようにも思えます。例えば彼には、中原昌也や清涼院流水のような「天然系」の作品はどうやっても書けません。平野啓一郎が老舗料亭の三代目なら、中原や清涼院は「漁師が道楽で居酒屋始めました」のノリ。鮮度のいい材料を適当に丸焼きにしてごちゃ混ぜに盛り付けて出すだけです。それが案外旨いというのも真実でしょうが、老舗料亭の確かな包丁捌きを持つ平野にとって、それは料理ではない。あるいは、そんな恥ずかしいものを人様に出すわけにはいかないのです。
引きこもりネットワーカーの独白調でカフカを語る「最後の変身」や、似非論文のテイストでボルヘス「バベルの図書館」をネットワーク時代のイメージに即して捉えなおす「『バベルのコンピューター』」からも見て取れるとおり、平野啓一郎は、現在の日本語文学が向き合っている問題の中でもひときわ大きなもの、「インフォメーション・テクノロジーの進化とそれに伴うコミュニケーション様式の変化が、日本語に劇的な変化をもたらしている」ということに充分に自覚的で、古い文学作法に拘泥していては文学は今の時代に産み落とされる文学としての強度を有し得ない、ということにも充分に自覚的です。
したがって、先に「若さが表れている」とした「白昼」や「閉じ込められた少年」、あるいはもう少し筆を抑えた「瀕死の午後と波打つ磯の幼い兄弟」にしても、そこに現れている言葉遊びは単なる若さゆえの児戯ではなく、そのようにして日本語に圧力を加え、内側から破裂させるような作業が、文学にとって必要なのだと、そしてそのような役割を自ら引き受けることを買って出たのではないかと、私は勝手に邪推しているのです(そしてそれゆえに、平野啓一郎のこの短編集には多大なシンパシーを感じます)。
そして同時に、中原昌也に代表されるような「天然系」に膝を屈するわけにはいかない、ということも、勢いとフィーリングではなくて、研ぎ澄まされた正確な技術によって高みに達しようということも、引き受けているのではないでしょうか。大仰な言い方をすれば、彼は、あるひとつの窮地に即している「文学」を、自ら救う役割を引き受けたのではないか。「俺が文学を救う」ということを自覚した上で作品を呈示しているのではないか。そんな印象を受けるのです。それは勇敢で頼もしく、しかし、孤独で悲壮な戦いに見えます。
世代論に回収するのは卑怯と思いつつも、私が平野啓一郎に共感を覚えるのは、やはり彼が「われわれの世代の代弁者」の役割もまた、同時に引き受けているからではないのかな、と思います。
巻末の作者紹介によれば、平野啓一郎は1975年生まれ。涼風とほぼ同世代です。いわゆる「団塊ジュニア」のひとつ下の世代に位置し、ジュリアナ東京のお立ち台とルーズソックスの女子高生の中間に位置し、どちらにもご縁のなかった世代(なんつぅ言い方だ)。中高生の頃にバブルが弾け、ベルリンの壁もソ連も崩壊し、大学に入る前後辺りに高学歴で知られるオウム真理教がサリンを撒いて、求人倍率が最低の頃に就職活動を余儀なくされた、最近の新聞なんかで言うところの「失われた世代」です。
思春期から青年期に向かうありとあらゆる場面で、拠って立つべき価値観を次々に叩き壊され続け、諦めることも開き直ることもできない立ち位置に置かれた困難な世代。それでも苦しみもがきながら、何とか生きていかなければならないのだ、ということくらいは知っている世代。私は、自分を含むこの世代を、そのような困難な立場に生かされている世代であるのだと自覚しているのです。
そういうことなのではないでしょうか?新しい時代を迎え、今までのやり方が通じなくなっていく中で、それでも「僕らの世代」は結局、幼い頃から「昔ながらのやり方」で来ていて、それが身に染み付いている。もう少し早く生まれていれば、変革する時代を他人事のように冷めた目で見られたかもしれませんし、もう少し遅く生まれていれば、すべてを所与のものとして当たり前に受容していけたのかもしれません。しかし「僕らの世代」は、「昔ながらのやり方」をほとんど唯一の武器として、「新しい時代」に切り込んでいかなければならない、という困難を、自らの問題として、各々引き受けなければならないのです。そのことを文学の世界で体現しているのが、平野啓一郎なのではないでしょうか。
そのことがこの短編集『滴り落ちる時計たちの波紋』に、名門料亭三代目デパ地下進出、のノリで表れているのだ、と思います。
同時代の体現者としてはもう一人、中田英寿の名を挙げたいようにも感じられますが、まあそのへんの話はそれ、また機会があれば。(こうして宿題が増えていく)
※ このブログを書いている涼風のウェブサイト「涼風文学堂」も併せてご覧ください。
「涼風文学堂」は小説と書評を中心としたサイトです。
例え方がちょっとアレですが、言うなれば、老舗の料亭の若き三代目がデパ地下に出店して2000円のお弁当売ってる、とかそんな感じ?一品一品は小ぶりで手軽な印象ですが、それぞれに丁寧な仕事がしてあって、ちょっぴりお特感のある短編集でした。
こういうものを読むと、やはり平野啓一郎は達者だな、という印象を受けます。少しばかり若さの表れているところもありますが(「白昼」や「閉じ込められた少年」のような、少しばかり言葉遊びに遊ばれすぎた感のある作品とか)、それもまたひとつの魅力かもしれません。
他方で、確かな技術で丁寧な仕事をしてしまうあたりが、やはり平野啓一郎の現時点でのひとつの限界というか、望むと望まざるとに関わらず、彼が立たされてしまう立ち位置というものを表しているようにも思えます。例えば彼には、中原昌也や清涼院流水のような「天然系」の作品はどうやっても書けません。平野啓一郎が老舗料亭の三代目なら、中原や清涼院は「漁師が道楽で居酒屋始めました」のノリ。鮮度のいい材料を適当に丸焼きにしてごちゃ混ぜに盛り付けて出すだけです。それが案外旨いというのも真実でしょうが、老舗料亭の確かな包丁捌きを持つ平野にとって、それは料理ではない。あるいは、そんな恥ずかしいものを人様に出すわけにはいかないのです。
引きこもりネットワーカーの独白調でカフカを語る「最後の変身」や、似非論文のテイストでボルヘス「バベルの図書館」をネットワーク時代のイメージに即して捉えなおす「『バベルのコンピューター』」からも見て取れるとおり、平野啓一郎は、現在の日本語文学が向き合っている問題の中でもひときわ大きなもの、「インフォメーション・テクノロジーの進化とそれに伴うコミュニケーション様式の変化が、日本語に劇的な変化をもたらしている」ということに充分に自覚的で、古い文学作法に拘泥していては文学は今の時代に産み落とされる文学としての強度を有し得ない、ということにも充分に自覚的です。
したがって、先に「若さが表れている」とした「白昼」や「閉じ込められた少年」、あるいはもう少し筆を抑えた「瀕死の午後と波打つ磯の幼い兄弟」にしても、そこに現れている言葉遊びは単なる若さゆえの児戯ではなく、そのようにして日本語に圧力を加え、内側から破裂させるような作業が、文学にとって必要なのだと、そしてそのような役割を自ら引き受けることを買って出たのではないかと、私は勝手に邪推しているのです(そしてそれゆえに、平野啓一郎のこの短編集には多大なシンパシーを感じます)。
そして同時に、中原昌也に代表されるような「天然系」に膝を屈するわけにはいかない、ということも、勢いとフィーリングではなくて、研ぎ澄まされた正確な技術によって高みに達しようということも、引き受けているのではないでしょうか。大仰な言い方をすれば、彼は、あるひとつの窮地に即している「文学」を、自ら救う役割を引き受けたのではないか。「俺が文学を救う」ということを自覚した上で作品を呈示しているのではないか。そんな印象を受けるのです。それは勇敢で頼もしく、しかし、孤独で悲壮な戦いに見えます。
世代論に回収するのは卑怯と思いつつも、私が平野啓一郎に共感を覚えるのは、やはり彼が「われわれの世代の代弁者」の役割もまた、同時に引き受けているからではないのかな、と思います。
巻末の作者紹介によれば、平野啓一郎は1975年生まれ。涼風とほぼ同世代です。いわゆる「団塊ジュニア」のひとつ下の世代に位置し、ジュリアナ東京のお立ち台とルーズソックスの女子高生の中間に位置し、どちらにもご縁のなかった世代(なんつぅ言い方だ)。中高生の頃にバブルが弾け、ベルリンの壁もソ連も崩壊し、大学に入る前後辺りに高学歴で知られるオウム真理教がサリンを撒いて、求人倍率が最低の頃に就職活動を余儀なくされた、最近の新聞なんかで言うところの「失われた世代」です。
思春期から青年期に向かうありとあらゆる場面で、拠って立つべき価値観を次々に叩き壊され続け、諦めることも開き直ることもできない立ち位置に置かれた困難な世代。それでも苦しみもがきながら、何とか生きていかなければならないのだ、ということくらいは知っている世代。私は、自分を含むこの世代を、そのような困難な立場に生かされている世代であるのだと自覚しているのです。
そういうことなのではないでしょうか?新しい時代を迎え、今までのやり方が通じなくなっていく中で、それでも「僕らの世代」は結局、幼い頃から「昔ながらのやり方」で来ていて、それが身に染み付いている。もう少し早く生まれていれば、変革する時代を他人事のように冷めた目で見られたかもしれませんし、もう少し遅く生まれていれば、すべてを所与のものとして当たり前に受容していけたのかもしれません。しかし「僕らの世代」は、「昔ながらのやり方」をほとんど唯一の武器として、「新しい時代」に切り込んでいかなければならない、という困難を、自らの問題として、各々引き受けなければならないのです。そのことを文学の世界で体現しているのが、平野啓一郎なのではないでしょうか。
そのことがこの短編集『滴り落ちる時計たちの波紋』に、名門料亭三代目デパ地下進出、のノリで表れているのだ、と思います。
同時代の体現者としてはもう一人、中田英寿の名を挙げたいようにも感じられますが、まあそのへんの話はそれ、また機会があれば。(こうして宿題が増えていく)
※ このブログを書いている涼風のウェブサイト「涼風文学堂」も併せてご覧ください。
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