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バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

徒然草9 「怪しみを見て」(1)

2009年01月22日 | 徒然草

(第九十一段)の「赤舌日といふ事」に代表されるように兼好は、徹底的に俗説やいわれ無き迷信を批判しています。これは逆説的ではありますが、それだけ迷信に支配された時代であったことの裏返しとも読み取ることができます。当時最高の有識者であった兼好ははっきりそういった迷妄を否定する態度を持っていたのですが、それは以下の段に登場する極一部の人々の考え方であって、当時の大方の人の心には深く魑魅魍魎を畏れる気持ちがあった時代だということで、あえて繰り返しそうした風潮を批判する兼好の態度には、並々なるものを感じます。現在の常識を持って読むのではなく、そういった中世人の心持を常に思いながら徒然草を読まないと、本当に兼好の言いたかったことが理解できません。

第147段

「灸治、あまた所に成りぬれば、神事に穢れありといふ事、近く、人の言ひ出せるなり。格式等にも見えずとぞ。」

第206段

「徳大寺故大臣殿、検非違使の別当の時、中門にて使庁の評定行はれける程に、官人章兼が牛放れて、庁の内へ入りて、大理の座の浜床の上に登りて、にれうちかみて臥したりけり。重き怪異なりとて、牛を陰陽師の許へ遣すべきよし、各々申しけるを、父の相国聞き給ひて、「牛に分別なし。足あれば、いづくへか登らざらん。わう弱の官人、たまたま出仕の微牛を取らるべきやうなし」とて、牛をば主に返して、臥したりける畳をば換へられにけり。あへて凶事なかりけるとなん。

怪しみを見て怪しまざる時は、怪しみかへりて破る」と言へり。」

第207段

「亀山殿建てられんとて地を引かれけるに、大きなる蛇、数も知らず凝り集りたる塚ありけり。「この所の神なり」と言ひて、事の由を申しければ、「いかゞあるべき」と勅問ありけるに、「古くよりこの地を占めたる物ならば、さうなく掘り捨てられ難し」と皆人申されけるに、この大臣、一人、「王土にをらん虫、皇居を建てられんに、何の祟りをかなすべき。鬼神はよこしまなし。咎むべからず。たゞ、皆掘り捨つべし」と申されたりければ、塚を崩して、蛇をば大井河に流してンげり。

さらに祟りなかりけり。」

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