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バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

徒然草 6  第九十一段 吉凶は日によらず

2009年01月07日 | 徒然草

「赤舌日といふ事、陰陽道には沙汰なき事なり。昔の人、これを忌まず。この比、何者の言ひ出でて忌み始めけるにか、この日ある事、末とほらずと言ひて、その日言ひたりしこと、したりしことかなはず、得たりし物は失ひつ、企てたりし事成らずといふ、愚かなり。吉日を撰びてなしたるわざの末とほらぬを数へて見んも、また等しかるべし。 その故は、無常変易の境、ありと見るものも存ぜず。始めある事も終りなし。志は遂げず。望みは絶えず。人の心不定なり。物皆幻化なり。何事か暫くも住する。この理を知らざるなり。「吉日に悪をなすに、必ず凶なり。悪日に善を行ふに、必ず吉なり」と言へり。吉凶は、人によりて、日によらず。」(第九十一段)

 

赤舌日というのは、陰陽道における考え方で6日に一度訪れる、羅刹という人を食らう鬼神が支配する日ということで、平安時代からこの日は忌み日とし、何事もうまくいかない不吉な日とされていた。仏滅のようなもの。ところが兼好によると、そもそもの陰陽道においては、この日が不吉な日などという考え方はなく、主に仏教関係者からこの忌み日の風習が広がったという。当時の人はこの赤舌日に何かことを起こすと必ずうまく行かないとしていた。今は使われなくなっている風習の一つであるが、現在も暦を見ながら日を決めたり、占いを気にしながらことを行うことは鎌倉時代と変わりはない。兼好は言う。「不吉な日と吉日において、うまく行かなかったことの数を数えてみよ。同じである。」「何故ならば、この世は無常、同じ状態が長く続くものはなく、志は遂げず、願いはかなえられたためしはない。それは人の心は常に変化し、物も皆変わって行く。どこに同じまま存在するものがあるだろうか。そういう真理を知らないためである。」つまり「日の良い日に悪をなすことは、必ず凶となり、日の悪い日に善をなすことは、必ず吉である」そして力強い言葉で締めくくっている。「吉凶は日の良し悪しではなく、人の行いから起こるものである」(吉凶は人によりて日によらず)

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