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バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

現代の町人文化と写真について

2007年09月12日 | おわら風の盆
 おわらはノーブルな芸事で、盆踊りではありません。踊りには洗練された美しさがあり、通常は室内の舞台で行うことを、あえて八尾という町の中の通りを発表の場としています。これは踊りながら町を練り歩いたという成立の過程から続いているものですが、現在の形になった大正から昭和初期にかけての変革期において導入された新踊り、男踊りがおわらの上品さを確立したものと思われます。かつては飛騨と富山を結ぶ交易の要所として栄えた八尾は、北陸の風土の中で豊かな財力の元、異彩を放つ文化を形成していました。その資質は現在まで連綿と引き継がれています。単なる町を踊り練り歩く行事がいつしか、三味線、太鼓、唄、そして胡弓が加わり哀調溢れる情感ある旋律と、新踊りによる洗練かつ上品な踊りがおわらを限りなく格調の高いものにしています。そしてその行事を行うのは、普段は職業も持って働いている八尾の町の人々ですが、ほとんど町を上げての行事で、おわら人口も非常に多く、9月1・2・3日の「おわら風の盆」を最大の発表の舞台として、それに向け、年間を通じて習練をしています。町人文化というのは、なにも元禄の頃だけの話ではなく、八尾町ではそれが現在進行形として続いています。「おわら風の盆」は現代の町人文化なのです。さて、それを写してゆく我々は、本気で演じている姿と真剣勝負を、正面から見据え映し出す気持ちが必要で、その結果、「美しい写真」が残せるのだと思います。人が表現したいところ、見せたい所を見ることが写真には重要で、逆に隠したいところを探して撮ることはタブロイド誌のカメラマンに任せておけば良く、ノーブルで美しい写真こそ、そこに沢山の真理や思想、真実が隠れていると思います。それだけにこそ美しい写真を撮るのは難しいです。
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1日鏡町

2007年09月12日 | おわら風の盆

 

 

 

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東町の踊り子

2007年09月12日 | おわら風の盆

 

 カメラを構える人よりも拍手を贈る人が多い貴重な(?)写真です。一体(私もそうですが)写真を撮る人は何のために撮っているのか疑問です。多くのアマチュアカメラマンはプロも含めメーカー、販売店などの営業戦略という大きな掌の上で、踊らされている気がします。踊る踊り子と踊らされるカメラマン。本当にその被写体を撮りたくて撮っているかは、撮影している姿を見れば判りますが、出来上がったおわらの写真に踊り子とカメラマンの放列が写っている姿は異様です。 

 

 

 

 

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西新町の踊り子

2007年09月12日 | おわら風の盆

 

 

 

 

 

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