感想

バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

深夜の西町

2007年09月24日 | おわら風の盆

 午前0時を過ぎると、どこからともなく集まりはじめた踊り子が、気の合ったもの同士で新踊りが始まります。おわら踊りは情感を内に秘め感情を外に現さない踊りで、昼間は笠で顔を隠しますが、深夜は笠を取り素顔を出して踊ります。表情は能面のように硬く喜怒哀楽を表に出して踊ることはありません。緊張感ある踊りの所作や、祈るよう眼差しに踊り手それぞれの様々な思いを感じることができます。おわらの美はそういったストイックな美しさでもあります。

 かつて比叡山の日吉大社に偽って巫の真似をして忍び込んだ若い女性が深夜、十禅師の像の前で、鼓を打ちながら、とうとうと詠っている姿を人に見られてその気持ちを問われると「生死無常のこの世のことはともかく、ただ後世(来世)は助け給えと祈る気持ちでした」と話していた。 これは小林秀雄が「無情ということ」の中で引用したことで大変有名な一言芳談 の中にある文章を私が意訳したものですが、一言芳談は鎌倉初期の念仏修行者の法語を集めたもので、浄土宗の本質を現している文章ですが、この文章以外はすべて修行男性の記述でおもしろみにやや欠けますが、こちらの文章はその中で唯一の一般女性の記述となっており、そこには優しい趣や風情があり、名文となっています。小林秀雄がこの文を冒頭に引用して続けた後の解釈については、いずれ感想を書きますが、深夜のおわら踊りを前にしてふとこの若い女性達と鎌倉時代の若い女性(原文ではなま女房ですが)が重なってくるような錯覚を感じました。

 おわら風の盆の3日間、昼夜繰り広げられる踊りは他所では見ることができない高い精神性を持った踊りのような気がします。

 

四季踊り 秋 

 

 

 

 

 

 

四季踊り  冬

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