やはり、ル・マンに行ってみたい。
サーキット周囲のお祭り騒ぎもきっと楽しいはず。
マツダ787B&ジョニー・ハーバート 2011年ル・マン24時間でのデモラン
次のコメントが付いていました。
『 2011年6月12日に、ル・マン24時間優勝20周年を記念して行われた
マツダ787Bのデモランの様子。ドライバーは当時の優勝ドライバーの
ひとりであるジョニー・ハーバート。
ル・マンを酔わせたロータリーサウンドとともに、20年前のマシンとは
思えないハーバートの渾身のドライブをぜひお楽しみください。』
トヨタも日産もHONDAもできなかったことをやったのだから
マツダはすごいね。
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過去問対策資料、一応作成完了。さて明日からは見直し。
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ジョニー・ハーバートについてwikipediaで調べると、
『 1988年、国際F3000へステップアップし、ジョーダンに所属。開幕戦でデビューウィンを飾るなど、非常に速さを見せ、
中盤には翌年からのF1ベネトンとの契約を結んだ。しかしその直後、ブランズハッチでのレース中に多重クラッシュに巻き込まれ、
足を複雑骨折。この骨折の影響で、以後ハーバートの右足首は曲がらなくなり、アクセルワークは膝の屈伸で行っている。
F1デビュー1989年には、完治しない足のままベネトンでF1参戦。「ジム・クラークの再来」と表現され、
新人らしからぬ傲慢な言動も相まって注目を浴びていた。
デビュー戦・開幕戦ブラジルGPでは、松葉杖を使わなければ歩けない状況の中、予選10位から2位争いを繰り広げた末4位でフィニッシュ。
注目に劣らない結果を残したが、その後は足の経過も思わしくなく成績が下降、予選・決勝共に下位に埋もれていった。
またチーム内の政治的抗争に巻き込まれ、サバイバルレースとなった第5戦アメリカGPで5位に入ったものの、
予選落ちを喫した第6戦カナダGPを最後に、エマニュエル・ピロにシートを譲る結果となった。
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1990年に来日し、全日本F3000選手権へ出場する。
その後は全日本F3000や全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)に参戦しながら、
上記のようにティレルやロータスでF1にスポット参戦。
また、1991年のル・マン24時間レースにフォルカー・ヴァイドラー、ベルトラン・ガショーとともにマツダから参戦、
787Bを駆りロータリーエンジンによる唯一の優勝をアンカードライバーとして勝ち取る。
ただし、脱水症状が酷く表彰台には立てなかった。
しかし、優勝して20周年となる2011年にル・マン主催者側の計らいにより行われた787Bのレース開始前のデモ走行で
久々に787Bをドライブ、さらにサプライズで、優勝時に立てなかったときの分として1位表彰台に立つことができた。 』
ひとには思いやりというものがあるんですね~。