光の村マラソン大会に行って来た。
中学生は20㎞、高校生は42㎞走ると聞いて、将人たちは本当に大変だなとかわいそうなくらいに思って来てみたが、意外や意外、こっちが拍子抜けするくらい、みんな淡々とやっていた。
みんなが毎朝5㎞走っている学校裏の山道で、栃本の公衆トイレ横駐車場をスタート兼エイド地点とし、学校裏から少し登った所を折り返し点とする、1週2.5㎞のコースの往復だった。
長距離走の分、普段より遅めのペースで、ちょこちょこわさわさという感じではあるが、力強くかつ粘り強くみんな走っていた。もちろん、しかめっ面している子もいたし、時には泣き声のような叫び声を上げている子もいた。こづかれるように先生に押されてやっと足を進める、ほとんど競歩しているような子もいた。
ただ、将人も含め概してみんなポーカーフェースで、どの子も足を淡々と進めていたし、逃げだそうとしている子はいなかった。長く座り込んでいる子も見なかった。以前、将人がよくしていたような、道路に大の字に寝て、「嫌だ!」と抵抗している子もいなかった。
また、普通のマラソン会場でよく見る、立ち止まってげーげー吐いたり、脇腹を押さえながら苦しそうに走っている子は不思議なほど見なかった。いわゆる体調不良なら青白くなったり、吐いてもおかしくないのに、そういう子は一切おらず、時折騒いだり停まったりした時はこだわりなど他の要因で停まったという事なんだろうか。 それくらい周到にみんな準備して頂いているということなんだと思う。
かと言って、先生方が鞭を持って追い立てているかと思いきや、そんな事はない。男の先生も女の先生も自転車に乗って、時折「がんばれ!」「どうした!」と声かけしながら伴走しているだけだ。
敢えて言えば、普段は厳しい中にもやさしさを漂わせた光の村の先生方が、この時だけはそのかけ声に異常なほど気合がこもっていた。
まるで冬山登山で遭難し、極寒のテントの中で「今眠ったらもう終わりだぞ。目ん玉をおっ広げてもう少し頑張れ!もう一度家族の所に一緒に帰ろう!!」と仲間に活を入れている人のようだ。
あるいは、猛火に包まれたビル火災で退路を断たれ、10階の窓から救助用ネットを張った下の駐車場まで、生き延びるために何とかダイブさせようと仲間に必死に気合いをかけている人みたいだ。
今思えば、あれは生徒たちに対する叱咤激励であると同時に、もしかしたら先生方自身もキツイから両者を奮い立たせていらっしゃったのではないかとも思う。もちろん、第一義的には「諦めるな。障害をぶっ飛ばせ!」という気合であることは明白だが・・。
それくらい、このマラソン大会にはさまざまな人の、複雑かつ単純、そして限りなく純な思いが込められているのだ。
早朝5時半からのマラソン、続いて保護者会という過密日程で、先生方もおそらくほとんど寝ていらっしゃらないのだろうに、勾配のある山道を42㎞も、しかも生徒に合わせて敢えてゆっくり伴走するのはたとえ自転車でもとてもしんどいはずだ。最長老(?)の校長先生に到っては、自転車にもお乗りにならず、始めから終わりまで遅い子に付き添っておられた・・・・。
考えてみれば、28才以降今まで42㎞も自分は歩いた事さえあっただろうか。本当にご苦労な事である。
一人も脱落する事なく、そんなご苦労を生徒も先生もしたのに、だれ一人「どんなもんだい!」(ボクシングの亀田風に言えば、どんなもんじゃい!)と威張ろうとしない事がむしろ不思議だった。
昔、私も体育会系のクラブに属し、頑張っていた時代があったが、所詮は自分のためにやっていたはずなのに、いつしか部のため皆のためみたいになって、トレーニングを終えて帰る時には心の中で「どんなもんだい。」といつも肩をいからせていた・・・。
知り合いがパラシュート降下にチャレンジした事があった。テレビでも時々芸人さんがやっている、インストラクターにぶら下がる形のタンデム降下ではない。バンジージャンプのような、11メートル飛び出し塔からの飛び出し訓練。それが躊躇なくできるようになると、数本の細いロープで空中に吊り下げられた、開傘状態からの80メートル落下訓練。もちろん、着地までパラシュートを操縦するための懸垂、着地のための受け身練習など、やる事は山ほどある。以上、さまざまな地道な訓練を数週間かけて行い、初降下となる。たとえ好きで始めた訓練とはいえ、最後の最後まで逃げ出したくなる気持ちが見え隠れする。だが、いったん降下したら、それまでの恐怖、不安がすっかり晴れて、まさに「天下を取った。」かのような自信と変わり、精神的にも雲上の人と化す。下じもの、娑婆の人間とは自分は違うのだ、と。
人間には一皮むける時がある。パラシュートの初降下しかり、マラソンしかり。それは人様々だろう。
だが、少なくとも将人たちにとっては、今回のハーフ、あるいはフルマラソンは十分それに値するはずだ。何十㎞も走ったのだ。威張り散らしたり、「お父さん、こんなに走ったんだから絶対○○買ってよね。」くらい言っても良さそうなものだ。
あるいは、光の村の子は自分から進んでここに入学したり、自ら好んでマラソンしている子はおそらくいない。それなら、こんなにきつい事をさせられたら怒り出して、先生にくってかかってもおかしくないはずだ。それが、先生方の並はずれたご苦労は当然あったにしても、結局すんなりマラソンに応じて、しかもできてしまう・・・。
基本的に自閉症は素直な障害なんだという事だろう。あるいは、これが若いという事なんだと思う。
これがまだできる時に、できるだけ多くの事を体験し、多くの世界に目を向けさせたい。
限られた能力の、将人の鍵穴に何とかして何かの鍵がささらないか、可能性をまだ探りたい。 諦めるのはまだまだ早い、と本当に思った。
今回は、忍耐力という点で完全に父を追い抜いた。これまで、子供子供して、障害児の幼子だった将人がひと皮もふた皮もむけて青年となり、我が子に「尊敬」の念を初めて感じた歴史的な一日となった。 光の村に感謝!