男の子二人に恵まれ一番喜んだのは親の私だったと思っている、自分の兄弟は妹ばかり兄が居たが小学生から10年も一緒に暮らしていない歳も離れていたので兄弟の様な環境ではなかった、私が高校時代には消息不明で死んだのか、生きていたのかさえ判らずじまい、二親もどれ程悲しんだか親で無ければ解らないと思う、遠藤製網倒産が原因なのだがその項の私には判らぬ事ばかりだった、生きてれば今年88歳になっている、死亡届けも出していないはずです、命日も判らぬただ一人の兄貴です。
札幌にオリンピツクが来なかったら、二人の男の子も競技スキー畑に足を入れていなかったと今でも思っている、次男坊の庄二が小学生になったばかりの時に札幌オリンピツク開催が決まった、そこから歯車が狂いだし二年後には親子でスキーチーム結成までしてしまつた。
それまでは子供たちの休みに合わせ親子四人で、お握り持参で、近い所では円山公園、荒井山、一山越えて盤渓まで20丁目の家から徒歩でハイキングが我が家の行事に組み込まれていた、その頃はテント、キヤンプ用具一式に寝袋まで用意し夏休みには海岸まで遊び歩いていた、飯盒で飯を炊くのもお手の物でもあつた。
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