解散、総選挙を打ってでた小泉さんの覚悟ということを聞いて
思い浮かぶことがある。
別の人のことである。
今更ながらだけど、東郷平八郎さん、そう、連合艦隊司令長官東郷元帥。
日本海海戦の間中、艦橋に立ち続けて戦が終わった後
元帥の靴のあとのところだけ濡れていなかったというのは有名な話だけど
もうひとつ、元帥の人となりを表すエピソードがある。
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元連合艦隊参謀 海軍中将 飯田久恒談
人というものは、よくものを考えて行動するときよりも、
何かおこっった時、すなわち危難なり重大事件なりが起こったときに、
これに応じて咄嗟に働く挙動により、真にその真面目を現すものである。
かの大正12年9月1日の大地震の際、東郷邸においてもガラガラときたときに
家族は皆庭に出た。
ところが元帥の姿が見えぬので、
「お祖父さんは?」
と見ると、元帥は部屋の中で箪笥の抽斗を開き、軍服を出しておられた。
そして軍服に着替えられるとすぐ東宮御所に行かれた。
大抵の人はあの大地震に狼狽し、まずもって自分の身の安全を図り、
どこか安全な場所に避難するだろう。これが人情である。
しかるにガラガラとくるとすぐに箪笥へ飛んでいって、
抽斗を開いたということは、
正に元帥の至誠の然らしむるところである。
当時のあの騒ぎでもちろん乗り物はなかった。
元帥はあの老体で東宮御所まで徒歩で行かれ、先ずもって東宮のご機嫌を奉伺し、
そのご無事なることを承って後、自宅に帰り、軍服のまま自家の始末をされた。
元帥は何故東宮御所に赴かれたかというと、当時元帥は東宮御学問所総裁として
いわゆる東宮の輔弼の任に当たって居られたからで、これが実に咄嗟の間に現れた
元帥の忠節であり、信義であり、その真面目の躍如として伺われたところである。
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こういう東郷さんだけど、
「わしは海軍生活が長かったから、何でも自分でする癖が付いている」
といって気軽に繕い物などをされたそうです。
小心者だし、迷いに迷いまくるし、怠け者のわが身を省みるとき
全く自分にないものをお持ちの東郷サン
改めて惚れ直しますね。
思い浮かぶことがある。
別の人のことである。
今更ながらだけど、東郷平八郎さん、そう、連合艦隊司令長官東郷元帥。
日本海海戦の間中、艦橋に立ち続けて戦が終わった後
元帥の靴のあとのところだけ濡れていなかったというのは有名な話だけど
もうひとつ、元帥の人となりを表すエピソードがある。
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元連合艦隊参謀 海軍中将 飯田久恒談
人というものは、よくものを考えて行動するときよりも、
何かおこっった時、すなわち危難なり重大事件なりが起こったときに、
これに応じて咄嗟に働く挙動により、真にその真面目を現すものである。
かの大正12年9月1日の大地震の際、東郷邸においてもガラガラときたときに
家族は皆庭に出た。
ところが元帥の姿が見えぬので、
「お祖父さんは?」
と見ると、元帥は部屋の中で箪笥の抽斗を開き、軍服を出しておられた。
そして軍服に着替えられるとすぐ東宮御所に行かれた。
大抵の人はあの大地震に狼狽し、まずもって自分の身の安全を図り、
どこか安全な場所に避難するだろう。これが人情である。
しかるにガラガラとくるとすぐに箪笥へ飛んでいって、
抽斗を開いたということは、
正に元帥の至誠の然らしむるところである。
当時のあの騒ぎでもちろん乗り物はなかった。
元帥はあの老体で東宮御所まで徒歩で行かれ、先ずもって東宮のご機嫌を奉伺し、
そのご無事なることを承って後、自宅に帰り、軍服のまま自家の始末をされた。
元帥は何故東宮御所に赴かれたかというと、当時元帥は東宮御学問所総裁として
いわゆる東宮の輔弼の任に当たって居られたからで、これが実に咄嗟の間に現れた
元帥の忠節であり、信義であり、その真面目の躍如として伺われたところである。
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こういう東郷さんだけど、
「わしは海軍生活が長かったから、何でも自分でする癖が付いている」
といって気軽に繕い物などをされたそうです。
小心者だし、迷いに迷いまくるし、怠け者のわが身を省みるとき
全く自分にないものをお持ちの東郷サン
改めて惚れ直しますね。